西武沿線の殺し屋

松戸与六

第1話 ペドロはどこへ行った

 最初は絶対にうまくいくつもりだった。


 近所にある空き家管理会社がアルバイトを募集していたので、上井草駅前の、いつもながらエアコンの効きすぎてクソ寒いマックの店内で履歴書を書いて、そのまま面接に向かった。


 会社とは名ばかりの、駅近くの住宅街の中にある古い木造の平屋。お屋敷と言った方が良いのか、玄関を通ってからずいぶんと長い廊下を歩いた。どことなく腐臭のする、薄暗く蒸し暑い居間に通され、扇風機のそばに座るよう勧められた。


 畳は日焼けしてささくれ立っており、大きな床の間には、猫の彫師が猫に刺青を彫っている奇妙な小さな絵が飾られていたが、あきらかにサイズ感が間違っていた。その床の間を背にする柔和な顔の社長も何だかパースが崩れた仏像のような違和感があった。空き家を利用して社屋にしているのは明らかだった。


 バイト内容は簡単で、管理している空き家に行って、窓を開け、簡単に掃除して、写真を撮って郵便物を回収してくるというもの。スクーターは貸与。庭仕事はできる? と聞かれたので、よくわかりませんと答えたところ、開け放たれた縁側から上がり込んできた浅黒い男が、扇風機の首を自分のほうにガガッと振って


「雑草とー、そうじゃないのの区別がつけばいいよー」


 妙に間延びした口調でそう教えてくれた。彼がペドロだった。



     * * *



 募集広告にあった、高校生にはかなり魅力的な時給はもちろん名ばかりで、研修期間は半額の時給650円。そしてペドロの仕事ぶりははっきり言ってデタラメだった。


 管理物件の家に着いて玄関を開けるなり、家にあるすべてのエアコンを22℃に設定しフル稼働。そして風呂場に直行、おもむろに制服のツナギを脱いでシャワーを浴び始めた。


「とりあえずー、庭の草むしりしといてー」


 と、濡れた髪もそのままに食材を取り出したコンビニ袋を俺に渡して、説明らしいことは一切なし。仕方なく軒先にあった鎌を持って、草むしりと言うより草刈りをしていると、10分もしないうちに雑草が袋に入りきらないほどになった。


 どうしたものかと家に入るとテレビの音。電子レンジの「チン」という音が聞こえてきたのでキッチンに居る様子。


「ピラフ食う?」

「あ、是非」


 食器棚から皿を出し、レンチンピラフを盛り付けていたペドロに呆れつつも、つい答えてしまった。あまり腹も減っていないんだけど。


 俺が食器棚からレンゲを見つけ出すと、


「おー、か」


 と妙に喜んで器に分けてくれる。


「じゃあー、初仕事だから多めに」


 まったく有難くない。


 冷凍ピラフって意外と旨いんだな、とこちらはこちらで感心していたところ、


「このチリレンゲってさー、蓮の花びらの散る様から名付けたんだよー、お釈迦様はコレでメシ食ってたって」


 レンゲを上下させ、妙な蘊蓄を垂れつつも、柄の溝の中に人差し指を入れ、親指と中指ではさみ込むようにレンゲを正しく持っている。育ちの良さアピールかよ、これがギャップ萌えかと思ったところ、俺の目線に気づいたのか、


「漫画に描いてあったんだよねー、正しい持ち方。西村しのぶって知ってる?」

「知らないです。グルメ系ですか?」

「人は出会いがないと育たないってことを描き続けてる漫画家でねー、出会いが人を育てるんだからー、成長するんであれば、自分の男の浮気も許せるし、すべからく自分の浮気も許されるよね? っていう恋愛勇者を野に解き放った厄介な人ー」

「浮気の言い訳としてアリなんですかそれ?」

「雰囲気に流されてチンコ刺された私の成長をとくと見よー」

「まるで成長してない?!」



     * * *



 ペドロは日系メキシコ人の帰国組で、ペドロ・コーヘー・カタヤマと言うそうだ。日本生まれの日本育ちだが、祖父はメキシコ東部のベラクルスという街で牡蠣の養殖をしており、生牡蠣を食べる屋台を数十軒持っていて地元の名士らしい。


「丸一日かけてカンクンというリゾート地まで牡蠣を届けると、10倍の値段で買ってくれる世界的に有名なギタリストがいたらしいんだけど、届けた翌日に心臓麻痺で死んじゃったんだよね、怖いよねー貝毒って」


 と言ったところでペドロがふと黙り込むので、顔を上げるとじっとこちらの反応を伺っているのに気づいた。何か詮索されるようなことを話した覚えは無いはずだが、をしただろうか。ダイニングはエアコンで冷え冷えにもかかわらず、ブワッと汗が噴き出すのが分かった。


 ペドロは食べ終わった皿の横で、ポストに溜まった郵便物を、折り重なった層のそのままの状態でジップロックにしまい込むと空気を抜く。日付と依頼主オーナーの名前をサインペンで記入すると立ち上がり、


「はい、携帯出してー」


 見上げると、あれ、ペドロってこんなに年食ってたっけ? と思わせる貫禄があった。最初から年齢不詳だったが今は30代後半、もしくは40代相応の皺が刻まれた顔があった。


 俺が慌てて携帯をポケットから取り出すと、


「じゃあこのアプリ入れてー」


 と写真に日付が入るカメラアプリを指定してきた。マジびびったんですけど。手汗で反応悪いし。


 クラウドと紐付けして、日付入りの写真を撮ったそばからサーバにアップロードするらしい。パケット代は自腹かよ、と思ったらポケットWi-Fiを渡された。写真の撮り方にも色々ルールがあるらしいが、要は「引き絵」で撮れとか、窓を開けた様子を撮れとか、明るく補正しておけ、雨漏りの早期発見のため天井は必ず写れ、等々。


 自撮り棒を取り出し、庭に出ると玄関に始まり、家を一周するように撮り、雨どいが詰まってないか確認する。道路に出て庭、植木の様子を押さえて終了。


「草むしり、半端ですけど」

「いいのー、規定は15分の軽作業って明記してあるから」


 要は空き家に見えないように手が入れば良いのだ。玄関周りとか、通行人から見える場所から始めるのが正解だったらしい。


「じゃあ、近所の空き家っぽい家にチラシ入れてきてー」


 なるほど納得。スクーターで20分ほどかけて近所を巡って戻ってくると、家の前の道路はきれいに掃かれ、打ち水までされている。


「そういえば、ずっと空き家なのに、電気も水も通ってるんですか?」

「空き家とみなされると固定資産税が変わったりー、ローン組むのに本人が住まないといけない条件があったりー、あと政治家が籍だけ置いてたり?」


 最初の無法っぷりにどうなることかと途方に暮れたが、戸締りをするあたりでようやく研修っぽくなってきた。ペドロはスクーターのヘルメットボックスから『城南〇〇サービス』という聞いたことのない社名の入ったマグネットシールを張り付け、ニヤリと笑った。


「空き家管理会社ってたくさんあるように見えるけど、実はけっこう窓口は同じだったりするんだよねー」


 マジっすか。


「もちろんちゃんと登記してるし会社はあるよー、信用商売だし。今日は上がっていいよ。お疲れ様ー」




     * * *



 翌週出勤すると、ペドロが失踪したと聞かされた。


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