第6話
「T美さん、性格分析してあげようか」
ろれつのおぼつかないA子がなでるようにいった。
「A子さんの分析ですか。おもしろそう、どうぞ。お手やわらかに」
「昔流行った、連想分析だからね。フロイト亜流のくっだらない、遊びだからね。好きな動物は?」
「犬かな。実家では飼ってるんですけど、猫より犬ですね」
「じゃ、好きな男性のタイプ」
「えー?いきなりそっち?血液型とか、よく見る夢とか、そんなふうじゃないんですか。えーー、答えにくいなぁ」
「先生は?」
「先生、ですか?」
「ワタシは、先生が、好き」
「え?あ、はい。私も先生のことは尊敬していますし…」
「だって、完璧だもの、先生は」
「A子さんのいいたいことわかります、確かに完璧です」
「かなわない夢。T美さん、あなた、そうおもってるでしょ」
「そんなこと、A子さんにはもっと良い人が、それに先生は」
T美は気を許していた。普段はT美の中に、浮かんでは消えていた、Mの本質のようなものが、酔いにかぶれた頭の中に唐突によみがえってきた。
それは警察官僚の父親がふとあることを漏らしたことからはじまった。
「お前のところの先生ね、気をつけた方がいい」
米国に1年ほど研修経験のある、父親は異常殺人の現場や捜査官、心理学者と懇談する機会があったという。
「奥さんの自殺の現場でああやって泣くやつは、人格構造に問題がある。衆目が見ている前で、流す涙は準備でもしなければなかなか出せないものだよ。予期しない身内の死なら、呆然として所作が止まるのが自然だよ」
娘の近くでおきた事件に興味をもったのか、偶然知ったのかはわからない。週刊誌に記事が載っていたから?いずれにせよ、警察での立ち位置を考えれば、電話で部下に聞くことも容易だったろう。
久しく寄り付かなかった実家に戻った時の夕食の席だった。父親が巷の事件を身内の雑談に交えるのははじめてだった。
T美は軽く反論したが、久しぶりに会う父の機嫌を損ねるのを躊躇し、黙って箸を進めた。
「A子さんならもっと素敵な人に巡り合うと思います」
「わたしじゃあ、釣り合わないっていうの、もちろん釣り合わないわよ。そんなことわかってるわ。あなたは先生のご苦労をわかってないのよ。私はただそれに…」
「違うんです。先生は難しい方です。そういう方と一緒になるとつらいと思うんです」
「なによ!」
A子の形相は酔いの混ざった、下品なものにすっかり変わっていた。
やはり来るべきではなかった。T美はつよい後悔とともに、A子の機嫌を損ねたことをひたすら詫びた。
「それなら私もいわせてもらうわ」
「A子さん、明日もありますから…」
雲行きの怪しさを感じたT美は遠慮がちにいった。
A子はまるで聞いてないようだった。そしてふん、やっぱりね、ほほう、とつぶやき、「ということは」と頭の中で回答を下したように、目をパッと見開いた。
「あんたって、人はね…」
A子は低い声音でそういった後、またワインで口をゆすいだ。
「人を殺めておいて、許されると思ってんの!」
忘却しかけていたクライエントの呪いが復活したように、T美に突然、激しい動悸が襲ってきた。昼間の安堵がウソのように身体から抜けていった。
クライエントを殺したと指さされて、もはや返す言葉がなかった。アルコールと混ざった苦い液体が胃をたどって逆流してきた。
A子がつかんでいたフォークをテーブルにうちつけた。
「あなた何様のつもりなの!!大切な顧客だったのに」
T美は、あの、あの、とまごついた言葉を発するばかりだった。
「これでわかったわ。あなたの本当の姿。あなたは嘘つきで、世にもおぞましい人格障害者よ、Wさんを殺したのはあなたよ」
T美は座っているのがやっとだった。もはや崩れ落ちるのは時間の問題だった。皆、A子の冷酷な語りなぞ気にしていなかった。もしそこで誰かが後ろから、「大丈夫ですか」と声をかけてくれたなら、少しは正気を取り戻せたかもしれない
「研究所のチーフとしていわせてもらうわ。あなたにはやめてもらう。二度とこないで。Wさんの霊前で土下座しなさい」
A子はナプキンを投げつけて、
「このうそつき!!」
といって、声で揺れるカーテンをめくり去っていった。
T美は黙って、テーブルの白いシーツを握った。一瞬で何かが壊れていくのを感じた。酔っていたとはいえ、A子のいうことは正しいかもしれない。
私はこの仕事に就くべきではなかった。
やがてT美は屠殺前の家畜のように、むせび泣いた。
泣いて、この償いをするにはどうしたらいいのか、考えた。しかし何も思い浮かばなかった。そのうち考えるのに疲れ、もはや生の必要も感じなかった。
店から出た後、T美は誘われるように、走る電車に飛び込んだ。
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