第2話 庭師と公爵令嬢

絶望するサンドラの前に現れたのはサンドラの公爵家に奉公する庭師の一人息子『オリー』だった。


「おいたわしやお嬢様……此の期に及んでは是非もなし。僕と共に参りましょう。」


「オリー? あなた何を言って……」


「この下民ふぜいが! 誰の許しを得てここにいる! サンドラを救うだと!? ふざけるな! このような悪女は閉じ込めておく他ない! 処刑せぬだけ幸運に思え!」


身分が天と地、いやそれ以上に違う二人。しかしオリーには全く怯む様子がない。平民は王族を直視すれば目が潰れると言われるこの世界で。


「ハインツ! 余の顔に見覚えはないか?」


王子を呼び捨てにする平民。パーティー会場に戦慄が走る。


「貴様! 誰の名を呼び捨てにしておるか! ええい出会え出会え! この不届き者を斬り捨てろ!」


「オリー! 逃げて!」


しかしオリーは懐から短剣を取り出し華麗な剣技で三人の騎士を制圧した。


「ハインツ! この剣を見てもまだ分からぬか!」


「なっ! 今の技、その短剣……そしてその顔、どこかで見たような……まさか! ダイヤモンドクリーク皇帝の縁者か!?」


「いかにも。余の名はオリベイラ・フォン・ダイヤモンドクリーク。隣国ダイヤモンドクリーク帝国皇帝の長男である。」


「え!? オリー……? 一体どういう……」


「お嬢様。ここは僕にお任せを。」


オリーはサンドラを優しく抱き起こす。


「ふざけるな! 貴様どこでその短剣を手に入れた! 貴様ごとき下民が手にしてよいものではない! 顔が似ているのだって偶然だ! 隣国皇帝の縁者を騙ったのだ! もはや許せぬ! 囲めぇー! やれぇー!」


しかし誰も動かない。それは当然だ。先ほどの三名の騎士、いずれも名の通った歴戦の強者。それがたった一人に一瞬にして斬り伏せられたのだから。

将軍の次男クライドも、丞相の三男ラリーガも喋ることさえできないでいる。


「ハインツよ。お前も王子なら自分の腕で確かめてみよ。余が本物のダイヤモンドクリーク王家の人間かどうかをな。」


しかしハインツは剣を抜かない、抜けない。歯を噛み締め、眉は釣り上がり……オリーを睨むのみだ。

結局誰も手出しが出来ずオリーとサンドラは悠々と会場を後にした。




「お嬢様、急いで国境を越えます。ご自宅に帰る暇はありません。」


「ありがとう……オリー、あなたは……ダイヤモンドクリーク帝国の王子だったの? それがどうして庭師なんか……」


「その説明は後です。まずは国境を越えないことには……ね。ご自宅や公爵領へ向かう道にはやがて手配がかかるでしょう。ならば一刻を争います。」


「そう……私、これからどうしたらいいのかしら……あんなに好きだったハインツ殿下が……いえ、好きだと思い込もうとしてただけなのかしら……」


「お嬢様……生きていればいいんです。そうすればお嬢様の勝ちです。」


「サンドラって呼んで……明らかに身分が上のあなたから、お嬢様って呼ばれるのは……」


「そうはいきません。この国にいる間、僕は庭師のオリーですから。ですよね、お嬢様?」


「ふふっ、そうね。ありがとう。いつだったかしら、庭の木の実を取ろうとして登ったのはいいけど降りられなくなって。その時もオリーが助けてくれたわよね。」


「自分の手で取った実を殿下にプレゼントするんだって言われてましたね。」


「結局殿下、いやハインツは、そんな物が食えるかって捨ててしまったわ……御側御用人おそばごようにんを通して毒見までクリアしたのに……」


「じゃあ国境を越えたら僕のために実をもいで欲しいですね。今の時期だと……」


「何も成ってるわけないわね。」


「そうかも知れませんね。さあ、ここからは山道です。僕の手を離さないでくださいね。夜の山道は非常に危険ですから。」


星明かり一つない夜の森。ほとんど暗闇と変わりはない。


「お嬢様、『暗視』の魔法は使えますか?」


「ええ、使えるわ。ただ魔力の節約のためにギリギリまで使わないつもりだけど。」


「それでよろしいかと。そのまま行きますよ。途中で『暗視』をお願いするかと思います。」


「いいわ。交代で使いましょう。夜の山ですもの。魔力を節約しておかないと危ないものね。」


冬。そして夜。外気は二人から体温を奪い、野獣は二人から命を奪おうとしている。


「伏せてください!」


言われるがままに手を離し冷たい地面に伏せるサンドラ。


獣と思しき声、一瞬の断末魔の後に何かが倒れる音がした。


「お嬢様。お怪我はありませんか? 赤突猪ルアージュボアでした。」


「ええ、おかげで。助かったわ、ありがとう。」


「こいつをこのままにしておくのはマズいのですが、今はどうにもできません。先を急ぎましょう。」


「そうね……」


山道、道無き道を進む二人。


「痛っ!」


「お嬢様!?」


「ごめんなさい……ヒールが折れちゃって……」


「それは僕のセリフです。山道だというのに、すっかり忘れておりました。少々お待ちを。」


オリーはコートを脱ぎ、裂き始めた。


「え? 何しているの?」


「即席の靴を作ります。このコートは意外と丈夫なんですよ?」


「オリー……」


裂いた革をサンドラの足に巻く。ハイヒールよりよほど歩きやすいだろう。


「よし、これでいい。さあ、もう二時間も歩けば国境です。行きましょう!」


「ええ!」


冬の夜の山道を二時間。屈強な男であってもかなりの危険を伴うルートだ。しかし庭師として鍛えたためかオリーの歩みに迷いはない。むしろ問題は……


「きゃっ!」


「お嬢様!?」


「ごめんなさい……足がもつれちゃって……」


「そろそろ体力的にもきつい頃ですね。よし、どこかで休憩しましょう。」


このような山中で休憩に適した場所などそうはない。せめて冷たい風から身を守れる木の陰ぐらいのものだろう。




大木の根元に身を寄せ合うように座り込む二人。互いの体温で互いを温める他ない。


「ねえオリー。どうしてここまでしてくれるの? 私なんかを助けても……私にはもう何もないのよ……」


「……先ほどの話、ハインツが食べなかった木の実。あれからどうしました?」


「え? 木の実? あれから……確か泣きながら持って帰って……あっ、オリーにあげた!?」


「そうです。いただきました。あの時いただいた無棘大木苺ズイピンフランボワの味は忘れられません。」


「まさか……そんなことで?」


「僕は確かに隣国皇帝の長男です。パーティーではあんなことを言いましたが、ハインツと面識なんかありません。でもハインツは僕の顔に見覚えがあるはずなんです。」


「それは……なぜ?」


「簡単です。僕には双子の弟がいるんです。帝国はそいつが継ぐことになっています。そして僕はお嬢様のお祖母様の伝手で公爵家に預けられました。」


「おばあ様? あっ! 確かおばあ様ってダイヤモンドクリーク帝国の三代前の皇帝陛下の妹なのよね! もしかしてお父様はオリーの素性を知らない?」


「その通りです。お祖母様、マーガレット様だけがご存知なのです。」


「それなのに……帝国に帰ってしまって、いいの?」


「問題ありません。僕は皇帝の長男ですよ? どうにでもなります。」


少しの憂いも含んでいないオリーの言葉にサンドラは安心した。もしもその瞬間に『暗視』を使っていたのなら、覚悟を決めた男の横顔を見ることができただろう……


身分を偽り国を追われた王子が帰国する。そこにどのような意味があるのか。普段のサンドラなら分からないはずはないのだが……


ますます強くなる寒風に凍えつつも、どこか安らぎを覚えたサンドラであった。

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