10「合鍵って恋人かよ」



 奴が何も気にせず渡してきた合鍵に視線を落としながら、俺は彼女の家の前で5分ほど入っていいのか悩んでいた。


「いや、まぁ渡してきたんだからOKって意味なんだろうけど……」


 さすがに女子の家に付き合ってもいない男が一人で鍵開けて入るのはきつい気がする。というか、犯罪とかじゃないのか? 大丈夫なのか?


 真面目に不安だ。


 だが、時間も時間。そろそろこの家の住民たちも帰ってくる頃だろう。こんな意味の分からん男が女子大生の部屋の前であたふたしているのを見たら―—もう、110番案件だな。


 そう思った俺は生唾を飲み込み、喉を鳴らす。


「っん」


 よしっ——と鍵を挿し込み、ぐるりと回して扉を開けた。

 ささッと入り込んでは、直ぐに扉を閉じて背中を預けた。


「——っはぁ」


 まったく、女子の部屋に入るのにこんなにも神経を使うとは……さすが女性経験のない俺。なかなかどうして、不思議と嫌ではないな。この緊張感も。我ながら童貞の誇りだ。恥じらいと節度を保ったこの形こそ、清純派であろう。


「先輩、何息を荒げているんですか?」


「いやぁ、それが一人で女子の部屋に入るのはナンセンスかなぁ————って、えぇ!? なんでいるの⁉」


「あぁ、それはまぁ、なんか講義がめんどくさくて抜け出してきちゃいましたっ!」


「抜け出してきちゃいましたって……おま、単位とか大丈夫なのか?」


「え、まぁ、ていうか先輩なんだから一回くらい欠席したくらいで単位は取れなくなるわけじゃないって知ってるじゃないんですかぁ」


「知ってはいるが……その沼にハマったら、白瀬の大学生活も俺と同じで終わりだぞ……っ」


「私はずる休みはしないタチですからっ! 大丈夫で~す」


「今日は?」


「——う」


「ほら、本当に大丈夫なのか?」


「……細かい男は嫌われますよ? 先輩なんて特に……パッとしないし」


「おい、図星疲れたからって論点をずらすな。というか悪口を言うんじゃねえ」


 こんな失礼極まりない女を育てた親の顔が見てみたいわ、ほんと。毎度のことだが少しでも気の食わないことがあればすぐに俺に転換してくるのだから俺もたまったものではない。


 むすっとかわい子ぶったって俺は騙せないぞ。


「はぁ……先輩ももっと優しかったらなぁ」


「な、なんだよ……俺が優しかったら何かあったりするのか?」


「はい、勿論ありますよ? 入会者限定の特典、がね?」


 まさか、エッチを―—


「エッチはないですけど」


「ちぇ」


「うわっ! 先輩ってほんとサイテーですね……だいたい、どんどけエッチしたいんですか……私と」


「そら、可愛いからな。男としては博が付く。というか、死ぬ間際にする美少女とのエッチなんて最高だろ、絶対」


「……」


 そんなヤバいこと言ったか俺?

 なんかめっちゃジト―って冷たい目を向けられてるんですけど?


「やっぱり、なし」


「え?」


「あぁ、こっちの話。というか先輩? そんな人とはエッチは一生しませんから、死んでも」


「……死んでも、挿せてくれないのか?」


「させてと挿せてを掛けないでください……それと、私はビッチでもないし、やっすい女でもないんですぅ~~」


「なんだよ、せっかくあわよくばと……」


「せっかくなら―—ちょっとぐらい努力をしたらどうですか? その、昔みたいに……」


「……努力、ね。はぁ」


 彼女のそんな言葉に俺は急激に現実に戻された気がした。

 努力……その言葉の響きにはすごく思い入れはあった。


 死のう……なんて思い始めたのもこの2文字が原因でもあるのだから。そんなたった2文字の言葉に俺は殺されたようなものなのだ。


「……はい、もっと頑張ってくれたらカッコいいんですけどね……」


「ははっ、努力でカッコいい……そんな前時代的なっ」


 まったく、こいつは分かっていない。


 努力など白瀬の言うようなカッコいいものでもない。

 憧れて、頑張っていた昔の自分がそうであったように。もっと気楽にしていれば、変わっていたのかもしれなかった。思いつめずにやれれば変わっていたのかもしれないのだ。


 ただ、事実。

 結局のところ、努力はしても報われないのだ。


 努力をしたところで、何も変わらないものだってある。神に願えば顔が良くなるわけでもないのと同じように、どんなに努力したって変わらないものは——まして、天才には勝てないのだから。


 それを知っている俺は小さな声で呟いた。


「まぁ、そうかもなっ……」


「なんですか、先輩?」


「いや、なんでも……」


「は、はぁ……」




 

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