第2話 詰まる呼吸
8月3日
ドンッドンッドンッドンッドンッ!
階段を物凄い勢いで上がってくる音が聞こえて目が覚めた。やばい、寝過ぎたかな。いやでも今日は日曜日で仕事は休みなはず。と、思った瞬間、僕の部屋のドアを壊す勢いで母が入ってきた。心臓が止まりかけた。母は静かに叫んだ。
「や、大和が事故った!心臓が止まってるって!」
僕は2人兄弟で大和(ヤマト)は僕の弟だ。まだ21歳だった。
僕は考える間も無く体が本能的に動いた。なぜか部屋が広く感じる。見えるもの全ての色味がやけにくっきりと見える。どこに何があるかも1発で分かり、服を着替え、財布などの貴重品を持ち、玄関に立つまでに1分はかかっていない。父も乱れる呼吸を抑えながら病院へ向かう準備をしていた。うちでは犬を3匹飼っているが3匹ともパニックだ。それもそうだ、飼い主がこれだけ騒いでいるのだから。この時ちょうど母の従姉妹の娘が泊まりにきていた。この子を1人にはさせる事ができないと判断をし、父は母に言った。
「病院へは翔太を連れて行く。母さんは面倒を見てやってくれ。」
普段はどっしり構えた力強い父だが、今回ばかりは声が震えていた。
「嫌だー!!私も行きたい!!!」
母は狂ったかのように泣き喚いた。なにか勘づいているのだろうか。本当は今すぐにでも駆けつけたかったが僕は諦めて言った。
「父さん!母さんを連れて行って!」
あれ?声が震えてる。声量はあるのに。僕も何か勘づいていたのだろうか。
僕は家に残り、母の従姉妹の娘と3匹の犬の面倒を見た。ふと時計を見ると夜中の2時だった。
まだ2時だったのか。そういえば大和は帰ってなかったのかな。部屋のドアが空いていたな。まだまだ震えが止まらない。なぜか涙まで出てきた。もう会えないのかなって思った。僕は大和の部屋に行った。いつも使っている財布が机の上に置いてある。急いで家を出たのかな。何をしに?分からないが全て分かった気がした。
僕は願った。戻ってこい。がんばれ。大丈夫だよ。何回も何回も願った。
夜中の3時ごろ、居ても立っても居られなくなった僕は母に電話を入れた。
「大和は?どうなった?」
「まだわからない。先生が頑張ってくれてる。」
「脈は打ってるの?」
「まだ分からないってば!」
電話は一方的に切られた。騒いだせいか寝付けれない従姉妹の娘が起きてきた。まだ8歳だが、状況の深刻さは何となく理解しているのだろうか。
「どうした?寝れない?」
「ううん、喉が渇いただけだよ。」
「そっか、何がいい?ジュースもあるよ。お兄ちゃんが入れてあげる!」
なんとかいつも通りを保とうとしたが、声が震える。
「いい、自分でできるよ。」
気を遣わせてしまってごめんね。従姉妹の娘もやっぱりこの状況を理解しているようだ。
それから1時間経った。家の固定電話が鳴った。警察からだった。大和の家で合ってるか、何かあったら担当の私に連絡をくれ、とだけ言い、最後に僕の名前と携帯の電話番号を聞かれた。電話を切ろうとした警察官を食い止め、事情を聞こうとした。なぜ弟はこうなったのかと。まだ調査中で分かり次第連絡すると言われ、電話を終えた。無性に腹が立った。
また1時間が経った。今度は母からの電話だ。
「もしもし!大和は!どうなった?」
「…」
「もしもし!母さん!!」
「…」
「母さん…」
「終わったよ。大和は死んじゃった。」
僕は何も言葉が出なかった。
「翔太も病院に来てあげて。」
母は従姉妹の娘の母と連絡が取れて娘の迎えを頼んでくれていた。あと10分後ぐらいに娘を迎えにきてくれるらしい。家の電話を娘の母親に繋げて、受話器を娘に渡した。
「10分だけお母さんと電話しながらお迎えを待っててね」
鍵はかけたあとポストに入れておくよう伝えた。
外は少しだけ明るくなっていた。景色の色味は薄く感じ、少し肌寒い。あ、もう5時か。車も人気も無く、信号の光が目立っていた。この感じは朝帰りをしてた学生以来だ。だが、こう言う時に限って信号には捕まらない。心の準備、まだできていないのにな。
病院の敷地内に入った。さっきまで平常心を保とうとしていたが、また震えが始まった。本来なら分かるはずの駐車場が分からなくなり、正面ロータリーで立ち往生をしてしまった。だだっ広く周りには明かりすらもない真っ暗な場所のようだった。すると父がちょうど病院から出てきて、案内をしてくれた。家を出るときはあんなに騒いで震えていた父が今は何かを悟ったかのように落ち着いている。それを見た僕は余計に死を感じさせられた。
ようやく車を停めた。降りると足に力が入っていないのがよく分かる。うまく歩けない。完全に震えている。たぶん、普段なら3分後には大和のいる場所には着く距離だろう。10分、いや20分ほどかかっただろうか。会いたいが認めたくない気持ちでいっぱいだ。
大和のいる部屋の前に来た。母が廊下の椅子に座っている。母は何もかもの感情を捨てた表情をしていた。目の焦点は合ってない。体に力も入ってない。誰が死人が分からない程だ。そして僕は大和のいる部屋のドアに手をかけた。が、なかなか入ることが出来なかった。父が先に入ってくれて大和に声をかけた。
「おい大和。兄ちゃんが来てくれたぞ。」
僕は勇気を出して中に入った。大和だ。たしかに大和だ。優しそうな顔をして寝ているようだった。力が抜けて膝から崩れ、覆い被さるようにして抱きしめた。声が出ない。涙も出ない。なぜだろう。すごく悲しいが、それよりも無気力感が勝るこの気持ち。現実を受け止めることが出来ないのだろうか。大和の表面は冷たくとも、芯はまだまだ温もりが残っている。まるでクーラーに当たりながら寝てしまったかのようだ。だが、よく見ると顔はアザだらけだ。体に触れると所々ゴツゴツしている。肘の先端の様な突起のあるものだ。事故の衝撃で骨が折れてるのか、いろんな方向に曲がっている部分もあった。心電図も繋げられていないのだろうか。一直線のままだ。もう、本当に終わったのかな。まだ受け止めることができない。
父が話した。
「言いにくいけどな翔太、大和は自殺を選んだ。」
やっぱりか。僕はそう思った。
「とりあえず俺は葬式の準備と身内に連絡する。母さんは大和の側にいてあげなさい。翔太は悪いが少し動いて欲しい。家に戻って犬の面倒、俺らの着替え、あと大和が気に入ってた服も持ってきてあげてくれ。」
父が頼もしく見える。
「なんでも言って!だから父さんと母さんは少しでも大和の側にいてあげてくれ。」
僕は家へ帰る。行き道の風景とは全く違った。明るくなり人が動き出し車も増えた。周りを見た。他人は何も変わらず普段通りの生活をしているんだろうな、と思い不思議な感じがした。家に着いたが現実を受け止めることができない。すごく広く感じる。何も分からない犬は3匹とも僕の帰りを喜んだ。ゴミを捨てて、掃除をして、それから犬の散歩と朝ごはんの用意。淡々とこなせている。無気力というより、感情が今はどこかに置いてきている気がする。親の着替えや大和のお気に入りの物をかき集めた。僕もシャワーを浴びて準備をした。まだ朝の8時なのに準備で汗ばむ。クーラーをつけ忘れていた。やっぱり無気力なのかな。何もかも信じることができなかった。
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