第38話 もうひとつの奇跡…。あるのです。
『う~ん…。』
「どうか…しましたか?」
今日は月に一度の定期検診。先月受けた血液検査の結果報告も兼ねて、日本の主治医さんとお話をしていました。
『本当に君は運が良いと思う。確かドナーは日本人だそうだが、ここまで拒絶反応が少ない移植患者は初めて見る。』
拒絶反応は例え親族間の移植であっても避けられない現象。一卵性双生児同士の移植でない限り、完全に抑えられる事はできません。そのため私も、一定時間内に免疫抑制薬を服用しなければならず、その副効果で慢性的に病気に罹りやすい状態となっているのです。
(そういえば母国のドクターも、私の心臓がとても安定している事に驚いていたよねぇ…。)
拒絶反応の検査は、心臓の組織片を採取して炎症の具合を調べたり、血液検査をしたりとお金のかかる事ばかり、しかも結果が出るまで長くて、心配で眠れない日々を過ごした事を覚えています。
「あの…。それは…。薬の効果…ではないのですか?」
『薬の効果を加味しても、数値が低いのはとても良い傾向だと、私は思いますよ。』
「でも、風邪にはなった、入院しました。」
『あれはコロナの疑いもあったのでね、念のための処置ですよ。』
ちなみに、医師の引き継ぎ資料は英語で書かれていて、日本の主治医であるドクター高橋は、英語が堪能である事から、私の担当に就いているのです。
『そう言えば、資料によると貴女は不思議な現象を体験しているようですが、今はどうですか?』
「あー。アメリカ、居た時より無くなった。自分でも、よくわからない。ママも、言ってた。私の性格、話し…方、全然違う。」
『まぁ心臓が記憶を持つ。なんて医学では全く解明されていないのです。実際はただ、健康になった患者が、精神的に安定した事で趣味嗜好が変わるんじゃないかと、浪漫ですよね』
ドクター高橋にそう言われた私は、思い切って秘密手帳を見せる事にしました。それはアメリカの医師にも見せた事はありません。日本人では竜也にのみに見せた私の大事な手帳です。
『これは…。日本語!?』
「イエス。私が心臓貰って、退院した後、私自身が書いた…と思います。」
『思う。と言うのは?』
「書いた、記憶が、えっと、なんて言えば良いのか、あ、あ、あ、」
『曖昧?』
「あいまい?」
『そう。曖昧。ハッキリとしない様を日本語ではそう言うんだよ。』
私は手術後から自宅に帰った三週間程の記憶がほとんどありませんでした。しかし、記憶がハッキリしてくるにつれて、私は自身で何かを書き続けていたのです。
それから時々記憶が途切れ、その都度私は日本語でノートに何かを書いていました。日本語を覚えた今なら、その内容を読み解く事ができるようになりましたが、初めはとても怖くて、でもその謎の文字を見るだけで、何故か心が落ち着いていたのを覚えています。
『本当に日本語を知らない貴女が書いたとは思えないほど、文字もしっかりしていて、意味不明な書き込みもありませんね。』
「私は…。カトリックですから…。その全てを受け入れようと思いました。そこから私は日本語への興味を持ち、辞書を買って貰い、ノートの意味を調べ、日本へ来るになりました。」
『大変興味深い。もしかすると本当に、もう一人の魂が貴女に宿ったのかもしれませんね。』
ドクター高橋はそう言うと、それ以上の質問はしませんでした。
定期検診の病院は、今住んでいる竜也の自宅から50キロ以上も遠い大学病院なので、検診の時は学校を休まなければならず、検診自体はそこまで時間が掛かる事もなかったので、帰りまでの時間が暇になってしまいます。
そこで私は、駅前にある電気屋さんへ足を運び、電子ピアノのコーナーを散策して回りました。
(あ…これで一曲弾いてみようかしら。)
一台の電子ピアノに座ると、持っていたスマホを小さいスタンドにセットして自撮り状態へ、そして周囲を確認して弾き始めました。
(始めはゆっくりと…、そして徐々にテンポアップ…。)
曲は『千本桜』。日本に来て知ることになったボーカロイド「初音ミク」で有名になり、日本人YouTuberもよく演奏される曲。私も最近練習を重ねていて、こうして公の場で演奏するのは今回が初めてでした。
軽快に演奏が弾けます。心臓病の手術前はここまでハードな楽曲を弾くことなんてあり得ないと思っていましたが、元気になった今ではそれが楽しくて仕方ありません。
(この曲を初めて弾き始めたとき、なんだか心臓の(竜也)パパさんが喜んでいる気がしたのよね…。まぁあれだけ日本のアニメが好きなパパさんだから、きっとこの曲も大好きなのね…。)
長いようで短い一曲をい弾き終え、スマホの録画を止めた瞬間、ふと気がつくとそこには10名ちょっとのギャラリーが足を止めて見ている事に気づきました。
「あ…あはは。Thank you…。」
私は恥ずかしさが急に込み上げてきて、何度もギャラリーに礼すると、そそくさとその場をあとにして、駅のホームへ向かうのでした。
(ちなみにそのうち一人は、私のファンだったらしく、帰り際にサインを書いてプレゼントしました。)
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