第2話俺が推さずに誰が推すんだ!


 あまりの事態に一瞬頭が真っ白になった。ニュースを見ながら俺は固まった。すぐにはニュースキャスターの言っていることが理解できなかった。


 何が起きたんだ、というか、なんで、と誰に向けた何の気持ちか分からないものが体の中を駆け巡った。現実なのか。


 ……神様を呪った。なんで、なんで今なんだと、拝むように頭を抱えた。メンバー自体を責める気はしなかった。ただ、なんでこんなことが起きたんだと認めなく気持ちと今後どうなるのかという不安が一気に脳内を駆け巡った。その不安に包まれた俺は気が落ち、俺の視界はブラックアウトした。




 すぐに本人と公式が謝罪と火消しに走ったが、この時代はそんなものでは止まらない。飢えたメディアという怪物がすぐに噛みつき、その鋭すぎる牙で獲物をズタズタにする。




 事故自体は不幸中の幸いではあるが、誰かに怪我を負わせることはなかったが、飲酒運転と未成年という過ちは本当に大きく重く、全国で報道されている。……程なくそのメンバーがグループを辞めた。


 しかし、それだけでは怪物の腹は満足しなかった。次の獲物を探し出す。


 そのメンバー退所後は事故を起こしたメンバーだけではなく、他のメンバーにも匿名の悪意が襲い掛かる。悪口、誹謗中傷、嘘、暴露、ありとあらゆる悪意が降りかかる。



 愛情が憎悪に変わる瞬間を見た。



 いや、愛情なんてものは無かったのかもしれない。元々、大勢に楽しみを与えていた彼女たちは、歌や踊りや活動の代わりに、ゴシップという本人たちが望まない形で娯楽を与えていた。




 昨日のファンは、今日の意識希薄な殺人鬼。




 見えない所からその隠れた顔をニヤリと歪めて人を痛めつけている。いや、感情なんてものはないか。無意識だ。傷つけている意識すら無い透明な刃は確実に相手を切り刻む。


 そんな刃物のような悪意が次に獲物を定めた。





 推しだ。





 事故を起こしたメンバーとは一番仲が良かった推し。そこから様々な邪推が生まれる。悪い噂。実は推しがすべて仕組んだという陰謀説。グループ不仲説。


 怖い事に、この世で大事なことは物事の真偽ではない。より多くの人がその事を信じているかどうかだ。なぜなら真偽を知ることができないからだ。だから、より多くの人が信じる事が正しいのである。


 推しのSNSは何を書こうとも反発され、暴言を吐かれていた。彼女を庇う人もいるが、庇った人が次に潰される。必然的に、庇う人、寄り添う人がいなくなる。




 SNSは更新されなくなった。




 人が怖くなる。つらい。


 そして月一、二回か行っていたライブはしばらく延期と公式が発表した。




 どうなっちまったんだと、何かが手のひらからこぼれて無くなってしまったような虚無感が俺を蝕む。元々俺とは、かけ離れた存在だし俺がどうこうできることではない。結局はそういう関係。



 心が灰色に染まる。



 何もかもやる気が無くなった。仕事もぼーっとしていることが多くなり、色々な人から怒られた。ただ、心は何も感じない。どんな飯を食べても美味しくない。そもそも何を食べたかすら覚えていない。




……人生、くそつまらねぇな。




 完全に推しに会う前の自分に戻ってしまった。何もかもがつまらない。すべてのものがつまらない。ネットで見たいものもなくて、テレビもつまらない。食いたいものもなければ、やりたいスマホゲーもない。


 ただの習慣、といか依存症のように無意識にスマホを触る。


 やることがなさ過ぎて、保存しているデータを見てみた。しょうもない写真ばっかりある。


 その中に、だいぶ時間が長い動画を見つけた。なんの動画か覚えていないが、暇つぶしには丁度いいし、要らないなら削除しよう。容量を無駄に取られては困る。


 特に深く考えずに俺は動画を再生した。


 その動画はガヤガヤと人や町の喧騒から始まっていた。直後、聴きなれた声が聞こえた。





『それでは、新曲を披露します! 皆さん聞いていってください!』





 推しだ!これは、初めて推しに出会ったときの動画という事にすぐ気が付いた。周りの雰囲気に合わせて撮っていたものだが、その時からもう半年も過ぎていて、撮った事自体忘れていた。


 動画の中で推しは一生懸命踊り、初ステージの緊張で一杯一杯なはずなのに、しっかりと俺たちに楽しんでもらえるようにできることを精一杯していた。よく見ると歌詞は間違えていたし、振り付けも間違えている。


 あの当時は分からず気が付いていなかったが、合いの手のタイミングやメンバーの振り付けを覚えた今では間違いにも気づけた。


 急に何かが頬を伝う感覚に気が付く。




 涙だ。俺は今泣いている。




 段々色々な感情が蘇ってくる。失敗して辛かったこと。推しに初めて会った時に心に湧き出たもの。彼女から与えてもらったこと。みんなと夢を見て目指していたこと。


 その瞬間、ハッとなって自信を見下ろしてみた。


 急に目が覚めた気分になった。毛穴がブワッと開き、体中がゾクゾクした。血が勢いよく体の中を流れている気がする。





『おい、俺! 何やってんだ! 推しが困っているんだぞ!』





 俺の推しが困っているのにお前は何をしているんだ、と内側から俺が俺を揺さぶってくる。俺が辛い時に助けてくれたのは誰だったんだ。自分も大変な状況なのに、周りに笑顔で元気を届けてくれたのは誰だ。






あああああああああぁぁぁぁ!推しぃぃぃ!






 俺しかいない!


 推しを推すのは俺しかいないんだ!


 俺が推さずに誰が推すんだ!





 俺はその瞬間に決めた。世界中のどんな奴よりも推しを推す。推し続ける絶対にやってやる!



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