第30話

それから数日後、イブキの人気は少しずつ落ち着いてきていた。



女子たちはみんなイブキの迷惑にならないよう、人が集まりすぎないように配慮している。



けれど人気が落ちたわけじゃなくて、蔭ではファンクラブもできているという噂だ。



「ねぇイブキ君。クッキー作って来たんだけど、よかったら食べる?」



イツミが体をくねらせながらイブキに話かけている。



イブキは目の前に差し出されたプレゼントに戸惑い、表情を歪める。



今までも他の女子たちが手作りのお菓子などを持参してきていたが、イブキはそれを受け取ることはなかった。



手作りのものは何が入っているから分からないから怖いのだと、あたしにはこっそりと教えてくれた。



イブキのことだから前の学校でも手作りプレゼントはよく貰っていたようだけれど、食べきれないカップケーキを当時飼っていた愛犬に与えたところ針が出てきたそうなのだ。



針は愛犬の喉に刺さり、病院へ連れて行って摘出されることになった。



それからしばらくは元気だった愛犬だが、傷口からバイ菌が入り、それが脳まで到達して結局命まで奪われてしまったらしい。



初めてその話を聞いたときはさすがに背筋が寒くなった。



人気者になればなるほど、そういうリスクも背負うことになるのだと初めて知った。



「ごめん、俺手作りのものは食べられないんだ」



「えぇ~? あたし頑張って作ったのにぃ!」



イツミはイブキの気持ちも知らずに駄々っ子のように我ままを言い始めた。



その額の数字はどんどん低くなっていく。



あたしは見かねて席を立って2人に近づいた。



「イツミ、イブキは困ってるんだからやめなよ」



「はぁ? なんであんたにそんなことがわかるの?」



イツミは敵意をむき出しにしてあたしを睨みつける。



「いらないって言ってるんだから、プレゼントを強引に渡すのは良くないって言ってるの」



「なによ。ちょっとイブキ君と仲が良いからって調子に乗って……!」



イツミが怒りで眉を吊り上げ右手を振り上げた。



殴られる!?



咄嗟に身構えて目を閉じたとき、「やめなよ」と、イブキの声が聞こえてきてそっと目を開けた。



見るとイブキがイツミの右手を掴んで静止している。



「だって、あたしはイブキ君のために……!」



「ありがとう。だけど、受け取れないものもあるんだ。本当にごめんね?」



イブキはイツミへ向けて頭を下げる。



その様子にイツミは右手を下げ、みるみるうちに顔を真赤にさせた。



今にも泣きだしてしまいそうだ。



「別にいいし」



小さな声でそう言い残し、クッキーを握り締めて教室を出ていく。



「アンリにまた助けられちゃったね」



イツミを見送ってからイブキがそう言った。



「え?」



「ほら、転校初日にも助けてくれただろ?」



「あぁ……助けただなんて、そんな……」



「本当にありがとう。俺アンリと出会えてよかった」



イブキはそう言ってあたしの手を握り締めたのだった。


☆☆☆


家に帰ってからもイブキの笑顔が頭から離れなかった。



イツミからあたしを助けてくれた時の男らしい表情も。



あたしの手を握り締めてくれたぬくもりも。



あたしと出会えてよかったと言ってくれたことも。



すべてが夢のようだった。



あたしの勘違いじゃなければ、あたしとイブキの距離は随分と近づいてきているはずだ。



もう少し頑張れば、友達だと思ってくれるかもしれない。



ううん。



もしかしたらもう、友達くらいにはなれているかも。



だとすれば今度は特別な女の子……?



そこまで考えたとき、スマホが震えた。



一瞬イブキから連絡が来たのかと思って緊張した。



しかし、画面を確認するとそれはゴウからのメッセージだったのだ。



あたしは落胆しつつ、メッセージに目を通す。



《ゴウ:今日もなんだか上の空じゃなかったか?》



その文面に思わず笑ってしまいそうになった。



ゴウはまだあたしのことを心配してくれているようだ。



そうだよ。



ゴウの言うとおりあたしは今日も上の空だった。



授業だってなかなか身に入らない。



だってあのイブキがあたしの手を握り締めてくれたんだから。



そう言えたらいいのかもしれない。



でも、さすがにそんな風にメッセージを送ることはできなかった。



「ごめんねゴウ。あたしに相応しいのはゴウじゃなかったみたい」



スマホへ向けてそう呟き、あたしはゴウからのメッセージを無視したのだった。


☆☆☆


ゴウと距離ができても、あたしの気持ちは何の変化もなかった。



寂しさも悲しさも存在しない。



仮に存在していたとしても、その変化はイブキがすべて埋めてくれていた。



「最近ゴウ君と会話してないみたいだけど、どうしたの?」



休憩時間、ヤヨイが心配そうに声をかけてきたけれどあたしはごく普通に「別れたよ」と、返事をした。



本当はちゃんと別れていなくて、あたしから連絡を絶っている状態だ。



でも、いくら連絡しても返事がなければゴウだって感づくはずだ。



その証拠に、ここ数日はゴウから連絡も来なくなった。



「どうして!?」



ヤヨイは心底驚いた様子で目を丸くして身を乗り出してきた。



「どうしてって言われても……」



イブキの方がよかったから。



なんて言えるわけがない。

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