第3話

 起きたのは夜の九時頃だった。リビングに行くと誰もいなかった。お母さんがお風呂に入っているようだ。お父さんはまだ会社から帰ってこない。美咲はそろそろ塾から帰ってくるという頃だろうか。

 お母さんの入浴は異様に長い。お風呂と夜ご飯を先に済ませようと思ったのだが、自分の部屋に戻って先に宿題を終わらせることにした。

 恭平は宿題などでは、手のかかる物から終わらせるようにしている。特に意識している訳ではなく、そういう性格なのだ。今この場合でいえば、日記ということになる。

 桐生先生が出す日記には、その日の大まかな授業の内容を記す欄と、その日の出来事を書き入れる大枠がある。桐生先生は一生の宝物になるから毎日しっかりと書け、と言うのだが、毎日書くくらいならそんなものはいらないと思うのだ。

 一度寝たお陰で頭が冴えているのか、授業内容はスラスラと書くことができた。日記本文に進んでも、その調子は続いた。朝、お父さんの声で目覚め、お母さんとの会話、洪喜と一緒に登校して……まるで今、その場にいるかのように思い出せる。

 ふと思った。なぜこんなにも、覚えているのだろう。学校での様子は、誰が、いつ、どこで、何を言ったのか、はっきりと思い出せる。

 覚えてる、覚えてる。今日の出来事を何もかも。なんだか胸騒ぎがした。

 途端、鉛筆を持つ手の力が抜けた。全身が凍りつくような感覚を覚えた。しかしそれは直後に、激しい胸の痛みへと変わった。少しでも息を吸おうと思えば、胸に激痛が走る。座っていた椅子から転げ落ちた。恭平が今まで味わったことのないような苦しさで、必死に藻掻いた。

−自分にとっての「一日」そのものが、人生で最後だったということか−


 悪魔の存在には薄々気付いていた。記憶を通じて、人生で最後の出来事だと宣告されたものは、二度と経験できない。いや、経験してはいけないのだ。今日という日のどこかで、恭平はそのパラドックスを崩壊させてしまったのかもしれない。

 恭平は今、部屋で暴れているはずなのに、気付けば何も聞こえなくなっていた。その後、何も見えなくなった。

 やがて、意識は遠のいていった。

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最後の記憶 キリンノツバサ @kirinnotsubasa

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