とっておきのごちそう

 ぱりんっ、と薄い硝子の割れたような音がして。その直後、鬼火を灯した暖炉の前で長椅子に横たわり、うつらうつらとしていた吹雪ふぶきの上に、忽然と現れたものがどさりと落ちてくる。

「――六花りっか?」

 およそ尋常まともではない現れ方をしたは、吹雪にとって唯一と言っても過言ではない、愛しい女のなりをしていて。

 思わず抱き留めた肢体はまるで、死人のように冷たく強張っていた。


(なんだこれは)

 突然のことに動揺を隠せず、息を呑んだ吹雪の腕の中。

 ぎこちない動きで体を起こす女の肌は紙のように白く、それを覆うはずの衣服は無残に引き裂かれ、乾き固まった血で赤黒く染まっていた。

 血の気の失せた容貌とは対照的に爛々と輝く緋色の双眸が、吹雪を捉えて離さない。

「ほぅら、お前の愛しい男がいるぞ」

 六花の姿形をした、六花ではない

 それが根本から六花とは違うものなのか、判断が付かずに突き放すこともできないでいる吹雪を見下ろして、六花のごとき女は睦言を囁くかのよう甘く嘯いた。

「お前が死んでめざめてしまうのは、この男の愛を失くしてからでも遅くはない」

 泥を掻いたよう汚れた女の手が、もっとよく顔を見せろと、吹雪の頭を掴んで引き寄せる。

「この男と生きる世界が愛おしいだろう――?」


 額同士をつき合わせるよう至近距離から顔を覗き込まれると、吹雪からも同じだけ、女の様子がよく見て取れた。


 自分自身が吐いた言葉にうん、と自答した女の瞳が、瞬き一つするうちに深い夜の色へと染まる。

 吹雪が見慣れた、六花の色に。

「ふぶき」

 それは今度こそ、ただ一人、吹雪が愛して止まない女の声だった。

「わたし、まだ、しにたくない」

 溺れる者が藁でも掴むよう吹雪に縋った女が、力尽くでこじ開けた男の首元に顔を寄せる。

「たすけて」

 尋常ではない強さで噛みつかれ、ぶつりと肉を囓りとられても、吹雪は六花のことを――突き放すどころかいっそう強く抱き寄せて――抱えたまま。

 人の温もりに餓えた女が満足するまで、可愛そうなくらい冷えて震える体を、大丈夫だからと宥めるように撫で続けた。

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