西暦1989年日本、東京新宿駅。時はバブル景気の真っ最中。後の世から見れば、『昭和のええじゃないか』が巻き起こった時代である。地価の異常な高騰と好景気に沸く世の中であった、多くの人々は一円でも高く家を買いたいと願い、そして誰もが何であれ金で買えると信じていた。

学生は新たな商業であるカラオケボックスに夢中だったし、ディスコには人が溢れていた。親は子を塾などの教育費に注ぎ込み、平成令和と続く後の世の学歴至上主義が既に形作られつつあった。


「……何処だよここ?」


そんな時代の新宿駅を彷徨う一人の青年がいた。黒い紙マスクに、15cm程の長方形の板を右手に持っている。明らかに不審な人物なのだが、道行く人々はまるで気にしていないようだ。そんなことよりも金儲けの話や、今晩の夕飯の方が重要だからだろう。


「なんでスマホ使えないんだよ……」


青年の名は黒井幸太。令和二年の日本からタイムスリップしてきた男だ。面白いことに1989年と言えば、『バック・トゥ・ザ・フューチャー』の公開年でもある。しかし、残念ながら彼はタイムマシンで過去に来た訳ではない。神隠しの様な突然の出来事だったのだ。


「……どうすりゃいいんだ。」


幸太は途方に暮れるしかなかった。彼がいるここは、彼にとって全く見知らぬ世界であり、未来の知識など役に立たないからだ。


「誰か!助けてくれ!」


新宿駅で叫ぶ青年、当然助けてくれる人はいない。むしろ……


「なんだテメェ!!こっち来んな!!」


ヤンキーに突き飛ばされた。80年代は不良文化の全盛期。1985年に『ビーバップハイスクール』が映画化し大ヒットした時代だ。ツッパリと呼ばれた世代から数年、その勢いはまだ衰えることを知らなかった。

不良文化が終わるのはミレニアム、2000年より少し前の事である。それと入れ替わる様にオタクと呼ばれる層が台頭して来るのだが、それはまた別の話である。


「あぁ、マジかよ……」


幸太は倒れたまま、泣きそうな顔になった。何故なら彼の所持品は使えないスマートフォンだけなのだ。つまりこの世界で無一文ということだ。


「このままだとマジで俺死ぬな……」


それ程までにバブル期は混沌としていた。当然、不良が増加する以上、警察が黙っているはずもなく、新宿もてんやわんやの大騒ぎだった。


「おいコラァ馬鹿共!!動くんじゃないぇぞぉ!!!」

「うるせぇぞポリッ!!」

「やっちまうぞ!!オラッ!!」


警官とチンピラの殴り合いが始まる中、幸太はただただ呆然としていた。しかし巻き込まれる訳にもいかない。急いで立ち上がり、その場から逃走した。


「なんだよ……なんで俺がこんな目に合わなくちゃいけないんだよ!!」


新宿駅を出た幸太は、近くの公園へと逃げ込んだ。そしてベンチに腰掛け、頭を抱えた。


「……何が“バブル最高!!”だ。何一つ良いことなんてねぇじゃねーか……」


幸太は度重なるカルチャーショックからか、ゆっくりと意識を手放していった……

泡が弾けるように……ゆっくりと……


「……え?」


幸太が目を開けるとそこは六本木ヒルズ、『ママン』と言うオブジェの足元だった。蜘蛛の形をしたそれは、幸太を嘲笑うかの様に黒光りしている。


「夢……だったのか……」


辺りを見渡すと、スマホで『ママン』や六本木の夜景を撮影している人々の姿があった。2021年だ。間違いない。


「やっぱり俺は過去になんか行ってなかったんだ……そうだよな、あんな非現実的なこと起こる訳無いもんな。」


幸太はホッとした表情を浮かべると、自宅に帰るために歩き始めた。脳内で響く泡が弾ける音を聞かないふりして……

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