妨害
「先生、急いで!!」
紡の声が廊下に響いた。
雪斗が保健室を出て行ってからしばらくした時、校舎の激しい揺れと共に、黒い水の水位が上がりだした。いち早く気付いた円香の判断で東側階段を目指していたのだが、紡と新一が校長室を通り過ぎた時、突然防火シャッターが閉まり、円香、志乃、鳴とはぐれてしまった。
この状況での離散は危険と判断した紡は三人との合流を目指し、新一を引っぱりながら東側階段を駆け上がっていた。肩越しに振り返ると、すでに一階の半分は浸水し、踊り場を越えて二階が沈むのも時間の問題だった。
紡を追い越した新一は、中央階段へ通じる廊下を照らして安全を確認した。ざっとの確認でも、伏兵を除けば目に見える範囲に脅威はない。
「虎穴にというやつか……行こう」
紡を促し、新一は先頭に立って走った。襲って来るのなら、先頭を狙うはずだという持論に従った行為だ。頬を伝う冷や汗を感じながらも東側廊下を走り――襲撃を考えたのが合図だったかのように、図書室の壊されていない引き戸が勢いよく開かれ、照らした光の中に、ナイフを持ってフラフラと早足で歩く日向が姿を現した。
「先生!」
「わかってる……! 引き付けるから!」
日向に向かって走りながらも速度を落とした新一は、対処方を求めて左右の宿直室と六年生の教室を見渡し――突然、二人の背後で防火シャッターが下り始めた。反射的に引き返そうとした新一だが、当然それは間に合うわけもなく、彼は紡の背中を突き飛ばして彼女だけを防火シャッターの先へ潜り抜けさせた。
「ちょっ……せんせ……!!」
紡の叫びを無視して振り向くと――怪物のように両腕を広げた日向が迫り、黒い水を首から撒き散らすその姿に恐怖した新一は反射的に隣の六年四組に逃げ込んでしまった。
六年四組の教室には、破棄された机と椅子が壁のように積み重なっており、新一は机の陰に身を隠して日向をやり過ごそうとした。しかし、その希望は易々と散ってしまい、怯える自分の微かな息遣いの間に、ヒュー、ヒューという空気が漏れるような音が聞こえて来た。その音に混じって、液体が滴り落ちる音が続き、新一は日向の動きを窺おうと机の隙間から覗き――。
日向に覗き返された。
その瞬間、悲鳴をあげて尻餅をついた。その反応を楽しむかのように日向はゆっくりと机を迂回してその全貌を見せた。鋭利なナイフで切った首には紅い花が咲いており、動くたびに傷口から血が噴き出し、傾いた首が小刻みに揺れている。
新一は尻餅をついたまま後退りし、ドスン、と引き戸が背中にぶつかった。慌てて振り返ると引き戸をがむしゃらに動かしたが、何故かビクともしない。
日向は永遠に閉じることのない双眸を新一に向け、この生者に苦しみを与えてやりたいという衝動に駆られるままナイフを掲げた。
オマエモ……クビヲキレ。
喉から絞り出したような恐声で自殺を迫る日向に圧倒された新一はなす術もなく、差し出されたナイフを受け取りかけ――。
その瞬間、二人の耳に、甘く透き通るような音が響いた。それは楽器とは違う、鉱石のような透き通る響き――。
その音が頭の中を駆け抜け、忌まわしい意識と音色が思考を邪魔し――日向は動きを止めた。
立ち止まった日向を見て新一は急いで立ち上がると――背中の引き戸が開いたため廊下に倒れてしまった。思い切り打ち付けてしまった背中の痛みに耐えながら、立ち上がった新一は中央階段に向かって無我夢中で走り出した。
その背後では六年四組の引き戸が二つとも勢いよく閉まったのだが、新一は気付かなかった。
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