第拾幕 逆波

 紡は壁にもたれたまま首飾りを調べていた。


 放り投げられた雪斗を回収してから逃げ込んだのは、日向の自殺後に臨時で用意された保健室だ。


 この部屋に逃げて来てすぐにこれからの方針を話し合い、首飾りのことも説明した紡だったが、これだけは一行にとってオーパーツに等しいものだったため、詳しく調べておきたかったのだ。


 見た目はシンプルな勾玉であり、言われなければ誰も特別なものだとは思わないだろう。だが、紡のような霊感持ちや勘の鋭い、神仏に携わる人なら確実に特別な勾玉だと気付くだろう。ましてや紡は雪斗から渡された時点で勾玉が持っている霊力の強さに怯んだ。持っているだけで悪い念や雑魚霊ごときは自然と弾かれ、人に危害を加えられるほどの怨霊はおろかまつろわぬものすらも直接ぶつけるだけで封印出来るだろう。

 

 ちなみに紡が気付けなかったのは、この空間そのものがまつろわぬものの妖力に溢れているため、感覚を遮断されていた所為だ。


 どうして寒村の一神社がこれほど強い勾玉を持っているのかはわからないが、ここから出るにはどうしても雪斗自身が必要になるということは実感した。


 まったく……持ち主は二人だけか。


 かぶりをふった紡は首飾りを机上に置くと、すぐに掌をさすった。持っているだけで勾玉からは敵意が感じられ、ずっと掌がビリビリと痛かった。


 無理矢理奪っていたら私たちに残された道は一つだけだった、ってわけか……。私は優しくないから……って?。


 紡は皆を見た。


 新一は引き戸に張り付き、廊下で音がすればすぐにでもわかるようにしている。


 円香は棚の中から見つけた包帯やガーゼで皆の傷の手当てをしている。


 志乃はあばらのことが気がかりだったが、円香に診てもらううれしさでニヤニヤしていることから、平気だと判断された。


 鳴は目を覚まさないが、きちんと息はしている。


 雪斗は――。


 ふと見ると、雪斗の身体に動きがあり、紡は首飾りを持って彼の頬に触れた。


「雪斗、生きていて私の声が聞こえているなら何か合図をちょうだい」


 その呼びかけに対し、頭が痛い、雪斗はそう言おうとしたのだが、肝心の頭が揺れている所為で言葉に出来ず、目も満足に開けられないまま雪斗はベッドに溶けてしまった。


 合図……あいずって……なんだっけ? ああ、わかった……。


 頭が痛いことを告げるため、雪斗はふらふらと揺れる右手で頭に触れた。その右手も傷が酷く、円香から包帯をぐるぐる巻きにされた。


「水を飲ますから、少し頭をあげるぞ」


 円香が枕の下からそっと頭を支えてくれたため、痛みにのたうつことなくペットボトルの水を飲むことが出来た。ふらふらする意識の中で水が少しだけ怪しい味がしたことに気付いたが、どんな水であれ水分補給はありがたいとして雪斗は何も言わなかった。


 時間をかけて水を半分ほど飲み、頭を下げた。そうして身体と脳が落ち着くのを待った。水が身体中に行き渡り、悲鳴ばかりあげていた脳も視界も落ち着いていき、何をしていたのか、その記憶の欠片が少しずつ集まって来た。


 旧校舎、まつろわぬもの、新一、鳴、志乃、円香、紡――。


 頭の中で記憶が巡り会い、一つ一つが形を作り、雪斗に今までのことを鮮明に思い出させた。ただ一つだけ、形が作れない記憶があった。何よりも大事なこと、忘れてはいけないこと、闇の中を歩く少女の後ろ姿――。


 耳飾りが鳴った。


 奏――!


 雪斗は飛び起きたが、頭痛はその無茶を激しく咎めて彼をベッドに押し戻した。それを見ていた円香は雪斗の頭を掴んで言った。


「こら、いきなり動くな。脳震盪の可能性だってあるんだぞ」


 すると、後ろにいた志乃が、雪斗に飲ませた水を少しだけ飲んでニヤリとした。


「よかった、元気そうですね。少し怪しかったけど、この水は飲んでも平気みたいですし」


 俺で試しやがったな……。 


 苛立ったが、結局は弱々しくかぶりをふった。後で身体に異変が起きたら続きは法廷だ……。


「ここは……?」


「保健室、日向って人が自殺してから……用意されたほうのね」


 場所は一階の東側廊下、校長室の隣だ。


「何が起きた……?」 


 その問いに対して紡と目を合わせた円香は頷き、弱った雪斗が質問しなくていいように起きたことを説明した。


「君が先生と話していた時、背後から……三メートルはある女が覗き込んできた。放り投げられた君は頭を打って気を失ったというわけだ。右目の下から耳の下までの傷と左足首の骨折。応急処置のためと、その女から逃げた末にここに来た。十五分ほど経ったが校内に動きはない」


 動きはない……か。包帯男は熱心に動き回ってると思っていたが違うみたいだな。それに……追跡を止める理由もわからない。胸に包帯をしている志乃、眠っている京堂、俺、今襲えば確実に誰かを始末出来るはずなのに……。それとも襲えない理由があるのかも……ゲームみたいに誰が俺たちを最初に始末するか、とかで賭けたり競ったりしてるんだろうか。それとも、勾玉の存在に気付いたかだ……。


 今度は静かに優しく上半身を起こした雪斗は、自分の身体がどれだけ動けるのかを確かめたくて骨折診断の左足首を見た。


 骨折の左足首にはふくらはぎから足の先まで段ボールと包帯とタオルでバランスよく覆われており、意外にもしっかりと固定されていた。


「速水さんが手当てを? ありがとう」


 心の底から彼女に感謝した雪斗は、少しくらいなら動けそうなことに感謝した。どれもバランス良く巻かれており、少しぐらいなら動けるように見えた。だが、


「言っておくが、床には水だ。動くたびに水の抵抗で苦しむことになるし……悪化したらどうなるかわからないぞ」


 先に釘を刺されたが、それでもやらなきゃいけないことがある。


「手当てをしてくれたおかげで歩けるよ。痛みは耐えればいい」


「人の話を聞いていたか? 脳震盪、顔に傷、腕の傷、肺の痛み、骨折、今すぐに病院行きの状態だ。脳震盪なんてもう一度起きたら骨折より危険なんだぞ?」


 円香の目には呆れと驚愕があり、気は確かか? と書いてある。


 それは雪斗自身も狂っている行為だと自覚はしているが、〝サヨナラ〟が本当なら、寝ていることなんて出来ないのだ。


「まぁ、ちょっと待ってくださいよ」


 そう言って雪斗を呼び止めた志乃は、汚れたカーテンの裏から埃まみれの松葉杖を取り出した。


「使ってください。一本だけだし、小さなひびが入っているから心配ですけど」


「ありがとう、何も無いよりましさ。……何をしようとしているのかわかっていて渡したのか?」


「もちのろんですよ」


 志乃はまた芝居かかったように腕を広げて、ニヤリとした。


「奏さんと別れて現世に帰るなんてありえない。でしょ?」


「わかってるじゃないか。みんなは俺のこと……気にしないで帰っていいからさ」


「はは、奏さんにぞっこんですね。それに一途だ、まるで僕を見ているようで――」


「お前は生きている人間にぞっこんだろ。俺の恋路より自分の気持ちを言えよ」


 志乃の一人芝居を止めさせて、雪斗は一行の顔を見渡した。また紡に怒られてしまいそうだが、残るのは自分一人だから問題はないだろう。


「勾玉は持っているよな?」


 頷く紡。


「さっき言った通りだ。紡、みんなを頼む」


 脱出の報に喜んでいると思っていた雪斗だが、予想に反して彼女はうれしそうには見えない。


 何だ? さっきまで脱出のことばかりだったのに……。


「……それは出来ないかな」


「出来ない? 何を言って――」


 すると、紡は持っていた首飾りを雪斗の首に戻した。


「紡?」


「この勾玉、あんたと奏にしか持たせたくないって言ってる……。私たちが持っていても何の意味もない」


「つまり……みんなが脱出するには俺か奏のどっちかがあいつを封印させなきゃいけないと……?」


「いいよ……行きな」


「え……?」


「奏が怨霊じゃないって言うなら、捜してきなよ……」


「だけどそうしたら……」


 今度は紡がかぶりをふった。


「みんなと話をしたから……。二人がいなかったら私たちは脱出の希望すら持てなかった。ここに隠れてるから、早く見つけてきな」


 素っ気なくそう言った紡は、雪斗に背中を向けてしまった。


 その態度に困惑したままの雪斗は視線を揺らして志乃と目を合わせた。すると、志乃はニコリとして頷いた。


「どうぞ、行ってください」


「……わたしは君の身体を心配している。まつろわぬものから逃げられるという自信があるなら……行くといいさ」


 やれやれとかぶりをふりながらも、円香の声音は促すような勢いがあった。


「怪我のことは大丈夫。松葉杖もあるし……」


「それ……私の所為なの」


 紡は頷いたまま、雪斗の声を遮った。


 それがどういう意味なのか訊こうとして振り返った雪斗は、微かに身体を震わせている紡の姿に小さな衝撃を受けた。ついさっきまでは華奢であっても他者へ噛み付ける度胸と気の強さが見えたのだが、


「あの時、雪斗が勾玉を手放さなければ……骨折なんて……」


 そう言った紡に過去の面影はなかった。だが、雪斗には自分の現状が紡の所為だ、と責め立てる気など毛頭なく、


「渡したのは俺じゃん? 気にしなくていいって……みんなのこと頼むよ。志乃、立ち上がる手助けをしてくれるか?」


 志乃の手を借りてベッドから下りた雪斗だが、水の中に入れた足は一瞬で悲鳴をあげた。


 自己主張が強すぎる奴は嫌われるぞ……。


 そんな馬鹿馬鹿しい嫌味を思いつつ、痛みに耐えて引き戸まで来た雪斗は、化け物たちが勾玉の存在に気付いて尻込みしてくれることを祈った。


 全員がうまく立ち回れますように……。


 真剣な祈りを加えて部屋から出ようとしたその時、黙っていた新一が声をあげた。


「一人で行かせたくないけど……一緒にいたら足手纏いになるんだろう?」


「……はい。紡が言ったように、奴らに遭遇してもこの勾玉は俺しか護ってくれません」


 渋い顔の新一。いつもならこんな表情をすることはない。


「……子供の頃から役に立たないと言われてきたけど……僕だって生徒を守りたいと、力になりたいと思うさ。だけどここまで自分が無力だと思い知らされると……」


 自嘲気味に呟いた新一だが、雪斗はかぶりをふった。


「速水さんに言われたからでも、ここまで来てくれたことはうれしいですよ……それに無力なんかじゃないですから、みんなのことお願いしますね」


 新一に頷き、もう一度皆の顔を見た。最後になるかは自分次第だが、皆を現世に戻すまで倒れてはいけないと改めて決意し、雪斗は堂々と保健室を出た。

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