決意

 部屋に斬り込んで来た包帯男を見て、パニックが身体を貫いた。生徒のことなどすぐに吹き飛び、思考を焼き尽くすほどの恐怖に支配された新一は絶叫し、雪斗と円香を無視して逃げ出した。


 自分に出せるとは思ってもいなかったほどのスピードで一階に転がり落ち、水浸しのことも気付かないまま昇降口に突っ込んだが、ドアに跳ね返されてしまった。そのまま水の中に倒れた新一は、大慌てで顔をあげたが、血生臭い水を大量に飲んでしまい、昼食と水をいっぺんに吐き出してしまった。その後は落ち着くために無理矢理深呼吸をしたが、悪臭をたっぷり吸い込んでまた吐いてしまった。


 嘔吐物だらけの口を袖で拭いた時、新一は懐中電灯を水の中に落としていたことにようやく気付いた。辺りは真っ暗で、手探りで壁に沿うしか移動手段はなくなった。腕を前に突き出しながら慎重に進むと、蛍光灯が点いている廊下を見つけ、急いで職員室に入った。


 さらに幸運なことに、机の上に懐中電灯が二つも置いてあるのを見つけた。祈りながらスイッチを押すと、パチッ、という威勢がいい音がして室内を照らした。水と荒らされた机を除けば不思議とここは安全だと思えた。


 教師だからかもしれないが、何が起きたのかを冷静に考えるには良い場所だ。そう思った新一は埃まみれの椅子を出し、一息つくと、少しずつ記憶が鮮明になった。


 この校舎はまつろわぬものに支配されており、鳴、雪斗、円香、紡が閉じ込められている。外には出られない。紡を中心にして、出口を探すために全員が合流する必要がある。


 そう、その通り。少しでも霊や怪現象に明るい人がいるなら行動方針は決まる。それで? 確かそれを話していた時、図書室で人が斬り殺された……。包帯姿の化け物が現れて、逃げた――逃げた?


「逃げた?!」


 新一はその事実に気付いて椅子から飛び跳ねた。一緒にいた雪斗と円香を置いて逃げ出したことを思い出したのだ。〝二人を置いて逃げた〟という現実が頭の中で猛烈に弾け飛び、今度は罪悪感で吐いてしまった。


 急いで口を拭き、安物の腕時計を見た。図書室から逃げて来てからまだ十分と経っていない。


 新一は水音を気にすることなく職員室を飛び出した。


 二階を目指しながら、新一は教師としての自分を振り返り、あることを思い出した。


 妹に背中を押され、熱意を持って教師になったが、待ち受けていた現実にヘトヘトだった新任時代。生徒との気持ちの隔たり、嘲笑、保護者とのトラブル、頭を抱えることばかりだった。それでも辞めずにいるのは、生活のためでもあり、もう一つは、どんなに生徒に舐められても嫌われても自分の生徒は大切な存在だということだ。死なれてしまうのはもう見たくない。


 そのことを改めて確かめた新一は、恥ずべき逃避行の所為で二人が危機にさらされていないことを切に願って走り続けた。

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