日記
雪斗が包帯男を誘い出したあと、教室から出た二人は保健室に向かっていた。そこは日向が出没した部屋のため、円香は別の場所を主張したが、紡は傷の手当が必要だと反論し、無理矢理保健室を目指した。紡に止血や治療の知識は皆無だが、止まらない血をそのままにしていることは危険だということぐらいはわかっていた。
出血か痛みの所為か、やや朦朧状態の円香を早く横にさせるため、早足になる紡。
立ち入り禁止のテープが無くなっていることは無視して中に入った紡は、ひっくり返っていないベッドがあることに気付き、円香を優しく横にした。彼女が言った通り、室内は保健室と思えないほど荒れており、清潔なものは望めそうにない。
「くそったれ……」
小声で呪いの言葉を呟いたつもりだったが、円香が静かに声をあげた。
「ふふ……紡はそんなに口が悪かったかな?」
「知ってるくせに。具合は……?」
「さっきよりは……良い方だ。紡の声もハッキリと聞こえる」
静かに身体を起こした円香にそのままでいるよう声をかけた紡は、医療品が散らばる棚を片っ端から漁った。すると、その中に埃をかぶっていた未開封のガーゼと包帯が見つかった。この状況で最高のプレゼントだ。
紡は急いで円香の手当を始めた。コートと制服を脱がし、傷口に大量のガーゼを押し当てて包帯で固定した。正しい応急処置かわからなかったが、円香は何も言わなかった。保健体育の授業を真面目に受けてこなかったツケがここで来た。
「ごめんね……今はこれで我慢して?」
「ああ、大丈夫。これで少しは動けるようになるさ」
乱れた制服を直す円香を待つ間、紡は使えるものを求めて室内を漁った。すると、日向小百合と名前が書かれたノートが見つかった。中は生徒たちの怪我や日記が書いてあるだけで、見るものはないと判断したのだが、最後のページで手を止めた。
二00二年二月十日
誰も信じてくれない。私が見た〝あれ〟は氷海山の中にいた。高い木々の中、黒い大きな帽子が動いていた。よく見ると三メートルはある巨大な女がそこにいた。あまりにも異形な姿。私は動けず固まっていると、女は振り返り、私を見て妖しく微笑んだ。
二00二年二月十三日
あの日以降落ち着かない……。校舎に入ると、どこでも視線を感じる……。昨日は宿直室の清掃をしていた時に、窓の隙間から私を見ていた。
二00二年 月 日
もう耐えられない……。最近は家の近くにまであれが現れる、朝も昼も夜も視線が追いかけて来る。誰もしんじてくれない。今もみてる、みてる。どうしたらいいの。わらってる、おもしろい。
年 月 日
きょうもわらってる、わらてる。みたくない。みたくない。
十日以降の日記は筆跡が乱れており、読める箇所だけでも気味が悪くなる内容だ。
三メートルの女。
その不気味な表記に身震いする紡。どこかで見たような気がするが、思い出そうとは思わない。目下は円香と鳴だ。
かぶりをふってノートを戻した紡は、引き戸の隙間から廊下を照らした。微かに聞こえていた雪斗と包帯男の足音や奇声はもう聞こえて来ない。
雪斗がどうなったかはわからないが、もしも奏と合流されたら脱出の望みは潰えるかもしれない。
「待たせたな、もう動けるよ、紡」
それに頷いた紡は、念のため肩を貸して保健室を出た。
「先生は一階にいなかったか?」
「見てないよ。隠れているなら見逃したかもしれないけどね」
紡はかぶりをふった。学校生活において、新一の気遣いはありがたいが、普段の新一はとにかく頼りない。パニックを起こして事態を悪化、ということだけは避けたいのだ。紡が対処出来る最悪の出来事は、新一がゲロを吐くことぐらいだ。
「……沢田はどこまで行ったと思う?」
「……さぁね。私としては、まだ追いかけられていることを希望かな」
「さっき話していたこと……首飾りが必要なのか?」
紡は大きく頷き、雪斗に対する怒りで眉を顰めた。
「なにが奏のものだ、よ! あの馬鹿は怨霊に誑かされて、正常な判断が出来てない」
「誑かされて……か。わたしに霊のことはわからないが、あの様子を見ると……その奏某は紡が教えてくれた怨霊のようには見えないけどな……」
「怨霊だよ。あいつらはクズ……小さい時から視てきたけど、手当たり次第に災厄を撒き散らす……。現にあいつはその災厄を被っている……約束っていう災厄を」
「約束……どんな約束なのか知っているのか?」
「それは――」
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