確信

 どこからか咆哮が響いた。それは木造の校舎を軽々と揺るがすほどのもので、静寂に染まりかけていた紡を一気に現実へ戻した。


「もう……今度は何よ……」


 紡が隠れ家に選んだのは、二階の西側階段横にある倉庫だ。ここはドアが一つ、巨体を持つ化け物では覗き込めない小さな窓、壊れた机や椅子が迷宮のように山積みにされているため、小柄な紡は隠れることに苦労しない場所だった。それに加え、黒い水が無いこともこれからの方針を考えることを助けてくれている。


 これからの方針は簡単だ。額の血は止まり、乱れていた息は正常に戻ったため、後は自分の霊力でまつろわぬものたちのケツを蹴っ飛ばし、鳴と雪斗を救出してこの空間から脱出するだけだ。


 ちょっと……本気で言ってるの? あんたの霊力なんてたかが知れてるでしょうが。


 それは現実を直視する自分の冷静な訴え。雪斗の前では強がって見せたが、現実は強がるどころかどうすることも出来ないのだ。心霊写真鑑定と護りの腕珠を作れることが役立つなら別だが、紡に蓮華のような除霊等は出来ない。


「どうすれば……」


 どうすることも出来ない現実に涙する紡。この事件で自分の無力さを思い知らされる形になったからだ。もう少し言う通りにして修業でも何でもしておけばよかった、と今更後悔してみても進展などなく、仲良くしてくれた友人を助けられないまま死ぬかもしれないことにかぶりをふった。だが、


「行動しろ……まだ鳴は生きてるかもしれないんだからさ……」


 自己批判の時間はたっぷりあるが、今は休憩時間だけで充分だ。今はなんとかして二人を見つけないといけない。


 そう決心した紡は、どこから攻め込むべきかと頭の中で見取り図を広げ――その見取り図に何かが当たった。スカートの上に落ちて来た何かを拾い上げた紡は、それが丸められた粘土だということに気付いて顔をあげた。


 積み上げられた机の頂、そこに彼女はいた。


 濡鴉と賞するに相応しい長髪、深紅の和服に大きなマフラーを纏い、伏し目がちな端整な顔立ちの下では足をぶらぶらと退屈そうにさせている。手には犬のような形をした粘土を持っており、小さく千切っては放っている。


 ぶつけてきた相手はわかった。だが、その相手が生きた人間でないことは紡でもなければ確定は出来ないだろう。それほどまでに彼女は存在がハッキリしていて、幽霊を視慣れている紡ですらしばらく動けなかった。


 見蕩れる紡に向けて少女は言った。


「わたしのこと視えるんだ」


 上品な唇に乗せられた声に感情はなく、どんな気持ちで話しかけてきたのか紡にはわからなかったが、良い感情を抱いてはいないことはわかった。


「わたしのことが視えたのは、あなたで二人目ね」


 二人目……?


 少女は紡と目を合わせた。


 少女の年の頃は十歳から十三歳ほど、伏し目の所為で気付かなかったが、諦観したような表情から年の割に大人びて見える。


 幽霊というものは、欲望だけが異様に高い。肉体という欲望制御マシーンがあることで、死ぬ前は抑制されたものが暴走しているのが幽霊のため、欲望に任せて現世に害を齎す。特に子供の幽霊は無邪気さも相まって質が悪いことが多い。それを蓮華から聞いていた紡は、彼女がそれに当てはまっていないことに驚かされたのだ。だが、油断はしない。


「あなた……自分が死んでいることはわかってる?」


 出せるだけの優しい声で告げると、少女はその声に対して鼻を鳴らした。


「そのしゃべり方嫌いだな……胡散臭いよ」


「……その様子だとわかっているみたいね」


「肺の病で死んだ。わたしが阿呆な奴らみたいに現世を彷徨ってると思ったんでしょう?」


 微かに顎を上げた少女は、文字通り紡を見下ろすように刺々しい。お前なんかに興味はない、と断言している声音だが、紡は怒るよりも彼女に自分の態度を重ねてしまい、恥ずかしさで思わず黙ってしまった。


 無自覚は罪だってとこかな……。それにしても……肺の病気はあいつと同じか……。


「ここがどこなのかわかってる?」


「朧小学校、教室棟二階の西側階段前倉庫」


「いや、そうじゃなくて――え? ここを知っているの?」


「……帰って来るのをずっと待ってた。二人きりなれるはずだったのに、ここを阿呆が乗っ取ったから、なかなか逢えない……」


「阿呆? 二人きり?」


 その返しに対し、少女は意地の悪い笑みを浮かべながら言った。


「何がここにいるのか、わかっているんでしょ? 神名様がお姉様の首飾りに封印させたのに……廃墟とはいえ安置されていた首飾りごと氷海神社を潰したから、こんなことになった……。自業自得ね」


 明らかに他者を馬鹿にした声音。紡はさすがに苛立ったが、幽霊とはいえ大事な情報源を手放すわけにはいかない。利用出来るなら、紡は頭だって簡単に下げられるのだ。


「封印させたってことは……その首飾りがあれば、まつろわぬものを再び封印させることが出来るの……?」


「出来るよ」


「お姉様って言っていたけど、あなたは首飾りを持ってないの?」


「あげた」


「あげた?! 誰に?!」


「ふふ……わたしの好い人、大切な人にあげたの。帰って来てくれた、わたしたちの約束を果たしに」


 粘土を横に置き、胸に両手を当てる少女。


「わたしたちの邪魔をしないって約束をしてくれるなら――助けてあげようか」


「えっ?」


「助けてあげようかって言ったの」


 助けてあげる。幽霊から出るとは思えなかった言葉に紡は即座に反応出来ず、素っ頓狂な返事の後に慌てて聞き返した。


「本当に……?」


「本当。わたしは好い人と一緒になりたいだけ。闖入者のあんたたちだって糧にされたくないでしょう?」


「……わかった、約束する。好きにするって言ったって、私たちの命を狙うわけじゃないんでしょう? それなら、いくらでも好きにして」


「じゃあ……約束ね。破ったら……その首を差し出してやるから。いい?」


 脅しにも近い釘刺しだが、紡は頷いた。


「素直な良い子ね。じゃあ……現世に戻るために裏方してあげる。馬鹿共にも抗えるいいものを身に付けているのが一人いるみたいだし……その子は逃げる時間くらいは稼げるね」


 いいものを身に付けている……鳴のことね。よかった、無事なんだ。


 胸をなでおろす紡。ものごとが上向きになってきたようだ、後は二人と合流するだけで、彼女が後始末をしてくれる。怨霊ではない霊が存在していたことに驚きつつ、脱出のために人生で一番の愛想を詰め込んだ声でお礼を言おうと少女を見――。


 ふと、彼女が言っていたことを思い出した。


 約束を果たしに帰って来てくれた。


 誰かが同じようなことを言っていた気がする……確か――。 


 あのバカ……まさか!



                  第陸幕 完

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