不安

「お兄さんって鈍感なんですね。幼い頃は気付きませんでしたが、今見るとお婆様の評価は納得です」


「評価ってなによ……?」


「よく言われていましたよね? 黒澤家の恥部だって」


「ひどい言われようだなぁ……」


「だって霊への対処がまったく出来ないとなれば言われてしまいますよ」


「仕方ないだろう? お前みたいな霊感なんて持ってないんだから」


「うちは代々女系ですし、お兄さんが異質なのかもしれませんね」


「白い目で見られるのは辛いよ。」


「昔だったら男とわかった時点で……流されていたと思いますよ?」


「穏やかじゃないなぁ……」


「じゃあ高校卒業と同時に上京ですか?」


「うん、そう考えているけど大学行ってもやりたいことなんてないのよ……」


「……じゃあ教師なんてどうですか? お兄さんの友達から聞きましたよ? 勉強を教えるのがうまいそうじゃないですか。さすが二年連続学年トップです」


「教師かぁ……」


「お似合いかと。人にわかりやすく教えるのは難しいですから、わかりやすいなんて言われるのも才能です。そうすれば今の怠惰な生活も改善されますよ」


「そうかなぁ……」



 そうだよなぁ……。


 目を覚ます新一。実家にいる妹と話していた気がしたものの、目に入ってくるのは暗闇だけだった。


 痛む頭を押さえながら立ち上がり、握り締めていた懐中電灯で周囲を照らす。そうして光の中に浮かび上がったのは、床に散らばった本と無残に倒された本棚、誰もいない受付と壁を埋め尽くす書架だ。


「旧校舎の図書室? 何でこんな所に……?」


 一緒にいたはずの円香の姿は無く、墓場のような静寂に怯えた新一は、見つけた近くの引き戸へ向かった。無残に倒れた本棚を乗り越えた時、どこからか恐ろしい咆哮が聞こえて来た。雷のような咆哮に新一はその場で屈み込み、固まったまま次を警戒したが、咆哮はその一度きりだった。


 何が起きたのかわからないが、廊下に出るという選択肢を見直すには十分な理由になった。信じられないことだが、旧校舎にはモンスターがいるのだ。もし見つかれば悲鳴をあげるよりも早く、肉片か繭にされてしまうだろう。


 心の警告を受けた新一は唯一の隠れ家になりそうな受付に隠れようと移動を始めたが、それとほぼ同時に足音を拾った。


 それはとにかく慎重な足音で、耳が良いという特技がなければ新一は気付かなかっただろう。猪突猛進の化け物とは思えない知性ある足音に対し、側に倒れていた本棚に身を寄せた。


 今にもモンスターがドアを破壊して現れる……。


 頬を伝う冷や汗にも気付かないまま、新一は足音の方角を凝視し――引き戸が動いた。もうおしまいだよ、と飛び出してしまわないように自分を必死で抑え込んでいると、夜行性の昆虫のようにチラチラと動く懐中電灯の光が室内に差し込まれた。


 人間だ……。


 そう思った新一は相手を驚かせないことを意識しつつ声をあげた。


「やぁ……どうも、誰かわかりませんが……僕は人間です……」


 だから食べないで、と続いた命乞いはあっさりと終わりを告げた。


「えっ……? 先生ですか?」


「ああ……見知った顔に会えるなんて嬉しいよ……!」


 立ち上がった新一は満面の笑みを連れ、困惑という文字を顔に浮かべている雪斗と明後日を見ている円香へ駆け寄った。


「わたしのツレだ」


「もう一人って……先生だったんですか」


「なあ、一体全体、何が起きてるんだ……?」 


 こちらも困惑という文字を顔に堂々と浮かべており、発狂寸前ではなさそうだが、雪斗は新一の普段の態度から足手纏いが来たと思った。すると、その表情を察した円香が言った。


「……困惑なのは仕方ないだろう? この状況なんて発狂ものなんだから」


「……そうですよね。先生……すいません」


 そうだ。柊さん、速水さん、先生の中で、幽霊系に耐性がないのは先生だけだ。俺は奏とのことがあったし、俺と先生の立場はフェアじゃない。


「えっと……全部話すと長いので、かいつまんで説明しますね」


 雪斗は状況確認も兼ねて、今までのことを話した。円香も部屋を調べながら、自分が知っていることを話した。志乃が見せてくれた切り抜きの話は雪斗にとって辛い内容だったため、聞くたびに教員の名前を呟いていた。


「……というわけなんです。ドールハウスって表現が現状をよく表してますよね」


 わかっていることは全て(奏のことは除き)話したが、新一はまだよくわかっていないようだ。だが、まつろわぬものには興味を示した。


「そういえば……妹から届いた手紙にそんな記述があった気がするなぁ……」


「わからなくてもすぐに実感出来ますよ……先生もね」


 かぶりをふった雪斗は、倒れている本棚を調べている円香に近付いて声をかけた。


「借りたい本はありました?」


「そうだね、じゃあ……これを借りようかな、図書委員さん」


 そう言って円香が差し出したのは、血のような液体を浴びてカピカピになった児童書だ。それを見た雪斗は彼女が屈み込んで調べている本棚を照らした。すると、散らばった本の中に返り血を浴びたようなものが何冊もあった。


「この惨状と血……誰かがここで暴れたようだ」


「血の痕って……まさか……」


「いや、最近のものじゃないから……紡でも鳴でもないだろう。もちろん……確証はないけど――」



 うわぁぁぁぁああああああああああー助けてくれぇぇぇぇぇえええー!!!



 円香の声を遮ったのは、静寂を引き裂く男の悲鳴だ。三人はその悲鳴に殴られたように引き戸へ振り向いた。直後、助けを求める悲鳴が図書室へ近付き――引き戸の窓に松明の揺らめきが見えた瞬間、男が引き戸を巻き込んで倒れて来た。


 突き倒された引き戸は返り血を浴び、倒れ込んだ作業服姿の男は床を這い、新一に向かって手を伸ばしたが、迷いのない切っ先が背中に突き立てられたことで男は絶命した。


 ビシャッ……、という耳を覆いたくなる音を連れて刀を引き抜いたのは、全身に汚い包帯を巻き付けた人間――のような何かだ。だが、人間との類似点はシルエットだけだ。懐中電灯を必要としないほど煌々と猛る松明の炎が、目すらも覆う包帯顔に浮かぶ耳まで裂けた異形の口を照らし、右手に握られた太刀に寄り添う血を輝かせる。


 そんな衝撃的な登場をしたにも関わらず、包帯男はそれ以上のアクションを見せず、鳥のようにキョロキョロと頭を動かしている。


 その仕草が告げる事実に気付いた円香は、嘔吐しかけていた雪斗へ目と耳を指差す合図を送った。それが何を意味しているのか、顔を真っ青にしながらも雪斗は理解し頷いた。


 あの化け物は〝目が見えていない〟の合図を受け取った雪斗は情報提供に感謝しつつも、円香の冷静な態度に、ある意味で恐怖を感じた。包帯男以外は〝現在いまの〟出来事ではないとわかってはいるが、人が殺される光景を見ても彼女は顔色一つ変えていない。


 それにある意味で戦慄しつつ、雪斗は辛うじて声をあげていない新一に目と耳のことを伝えようとしたが――包帯男は〝見えていない〟はずの目をハッキリと雪斗へ向けると、裂けた口を歪んだ笑みでいっぱいにした。


「一目惚れされたな……」


「うれしくない……!」


 やり取りの直後、静寂を引き裂く新一の悲鳴を合図に三人は廊下へ飛び出した。逸れないように雪斗は新一の腕を掴んでいたのだが、案の定、追いかけて来た包帯男を肩越しに見た新一はパニックを爆発させてしまい、中央階段まで来た時に雪斗の手から放れると一人で一階に逃げてしまった。


 しかし、それを非難する余裕などなく、二人は四年生と五年生の教室も並ぶ西側廊下に向かって逃げた。

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