消失

「ではHRを終わります。冬休みだからって浮かれないように!」


 その言葉に続いて鳴り響いた終業のチャイムを受けて、明日からの冬休みに心を弾ませる生徒たちが続々と教室から飛び出して行った。鳴もその人波に乗って教室から飛び出し、仲良しのクラスメイトたちと別れを告げ合う。


「鳴、またね!」


「年賀状待ってるから!」


「また来年ねー!」


 鳴は人波を乗りこなしつつ職員室を目指した。これから始まるのは各部活動の会議だ。冬休みの予定を話し合うだけのため、基本的に終業式後は活動を行う部活は少ない。バレーボール部も今日は練習なしだ。


『部活会議が終わったらメールするから待っててねー』


 顧問から部室の鍵をもらい、紡と円香にメールを送った鳴は体育館横にある部室棟へ小走りで向かった。


 体育館横の部室棟へ行くルートは寒さと雪の歓迎を一心に受ける一階だけではなく、二階から伸びる渡り廊下もあるため、また階段を上がる手間をかけても鳴が選んだのは渡り廊下だ。両開きの重たいドアを押し開け、百八十度に広がる窓に覆われた一文字の渡り廊下を抜けて部室棟へ入った。


「あれ……アタシ一人?」


 いつもの部室棟は部活中の生徒がひっきりなしに行き交う場所だ。廊下で駄弁っている生徒も多い場所なのだが、今は鳴も思わず立ち止まってしまうほどの静寂が支配していた。二階は文化部が中心、一階は校庭や体育館を使う運動部が中心になっているため、鳴は自分の足音が部室棟全体に響いているような感覚に襲われつつ一階に駆け下りた。


「……誰かいる?」


 覗き込んだ一階も静寂が支配しており、鳴は不気味さから廊下に向けて声をかけてみたが、どこからも返事はない。紡と円香と遊びたい一心で飛び出して来たのが仇となった。鳴が来たから会議が始まるわけじゃないのだ。


「もう……何か気味悪いなぁ」


 朝一で登校しているため、沈黙の校舎には慣れている鳴だったが、今日だけはこの沈黙の廊下が不気味に感じられた。HRが終わるまで大時計の話題で騒がしかったこと、紡のクラスで起きた黒い手形事件も相まって静寂と不気味さが増長されているのだろう。


 鳴は想像力が豊かな方ではないが、静寂、校舎、不気味な事件、それが合わされば誰でも気味の悪い想像はしてしまうだろう。


 廊下の曲がり角に潜む化け物……長い廊下の先でアタシを待っている幽霊や化け物――。


 鳴はそこまで考えて足を止めた。紡と知り合ったことで恐怖にもある程度の耐性を得たのだが、十七歳になった今でもホラー関連は苦手なのだ。


 鳴は部室のドアに背中を預け、紡からもらったラピスラズリを握り締めたまま誰かが来るのを待ったのだが、そういう時に限って誰も来ないのだ。結局は部室の中で部員と顧問を待つしかないわけだ。


 ドアノブにガチャガチャと鍵を差し込み、ドアを開けようとした――その瞬間、鍵穴から黒い水が濁流のように溢れ、鳴の手に絡み付いた。


「いやっ!!」


 突き飛ばされたかのように鳴はドアノブから手を放したが、その勢いでバランスを崩してしまい、乱暴に尻餅をついてしまった。だが、痛む臀部を気遣うような余裕はなく、鳴は半狂乱のまま、手から腕を駆け上がろうとした黒い水をハンカチで殴りつけた。タワシで削るように何度も腕を拭うが、肌を抜けて身体の中そのものに入り込まれたような感触は消えない。


「悪戯? 何の水……これ……!」


 黒い水を吸ったハンカチは瞬く間に黒焦げになり、洗えば大丈夫という問題ではなくなってしまったため、鳴はお気に入りだったハンカチを近くのゴミ箱に投げ捨てた。


「もう……最低……」


 鳴は這々の体で立ち上がると、スプラッター映画のように黒い水を吐き出したドアノブに近付いた。廊下の照明で照らされる水はヌメヌメしているうえに、黒光りして血生臭いため、鳴は近付けた鼻を慌てて引っ込めた。


「……誰か撮ってんじゃないでしょうね?! そんなことしてたら最低だから――」



 ビチャ――。

 


 鳴の背後で音がした。水が滴り落ちるような嫌な音だ。



 ビチャ……。



 ビチャ。 

 


 近付いて来てる……?


 鮮明になっていく水音に対し、鳴は震える身体を崩さないよう必死に持ちこたえつつ、ラピスラズリを握り締めたまま振り向いた――。



 サァ……イッショニ……トケマショウ……。

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