第弐幕 騒擾

『え〜全校生徒の諸君、明日から冬休みが始まりますが……』


 終業式という名の長話が始まった。それは生徒の誰もが思った心の叫びであり、ピシリと並んでいた列の至る所がモゾモゾと動き始めたことが物語っている。縮こまってしまった身体を小刻みに動かす生徒、小声で不満を話し合う生徒、立ったまま寝ている生徒、そろそろ秩序が崩壊しかけるぞ、と思った雪斗だが、それを注意するのはクラス委員長や教師の仕事だ。だが、クラス委員長たちは動かないだろう。


 その理由は簡単だ。この朧高校は豪雪を招く氷海山のお膝元に位置しているため、生徒たちが並ぶ校庭も雪掻きをしなければ白銀の海に沈んでしまうのだ。一応は雪掻きされたことで足下はまだ動ける状態だが、行き場を無くした雪たちがいい加減に撒き散らされている所為で風を防いでいないことから生徒たちは寒気に呑み込まれているのだ。夏休みの終業式でも炎天下に集められての長話だったが、教師陣は日傘で暑さを凌いでいた。今回も教師陣はコートやマフラーだが、生徒側は防寒着無しにされている。


 この状況で長話とはね。ありがたいです、ほんと……。


 始業式も終業式も生徒のことは考えていない。今に生徒からの暴動が起きるんじゃないかと思っていた雪斗だが、もう朧の生徒たちは学校側に何も感じてはいなかった。ここがかつて朧小学校と呼ばれていた時は生徒のことを第一に考えてくれる教師が多かった。それこそ用務員すらも生徒から慕われていた。今はもう三流高校なんだな、と雪斗はその場で小さく息を吐いた。


 何か自分を慰めてくれるものはないかと雪斗は視線を巡らせ――一年生の列に並ぶ志乃と不意に目が合った。その瞬間、志乃は天使のウィンクと小さなキッスを投げた。雪斗はそれに対して胃から込み上げて来る衝動を力づくで押さえつけると、別の列に向けて視線を飛ばし――今度は同じクラスの紡と目が合った。


 やや小柄で線が細く、真っ黒なロングヘアーと人形のように白い肌はまさに容姿端麗。アンニュイな表情はどことなくあの時の少女を彷彿とさせたが、雪斗は転校初日から別人だと判断していた。一見すると大人しそうだが、意外にも態度は悪いし口も悪い。現に目と目が合った今も雪斗に向けて舌打ちのような表情を置いて前を向いてしまった。


 あれ? 何で俺がフラれたみたいになってんの?


 もう振り返る素振りもない紡に肩をすくめた雪斗は、彼女に倣って結局は正面を見た。


 列の真向かいには長話に夢中な校長以外に教師陣が立っており、聞いているのかいないのかわからないモアイたちが並んでいる中で、一人だけ大欠伸をしている教師がいた。雪斗はそれが誰なのか目隠ししていてもわかる自信があった。大欠伸の下手人は新一であり、彼は二回目の大欠伸を披露した後に誰かからの視線に気付いたのか、文字通りの大慌てで口を閉じた。うるさい保護者にでも見られたら命取りだろう。今は警察、医者、教師は欠伸をしただけで魔女狩りに遭う。


 結局は長話を聞くしか選択肢はないようだ。そう項垂れた雪斗を見下ろす時計が示すのは九時四十八分だ。


『我々が若い頃は君たちと違って何事にも積極だったし、大人への敬いもあったものだが、平等だ何だと甘やかされて育った子供はすぐに反発して逃げ出してしまう。私の若い頃と来たら……』


 若い頃は。その言葉に生徒たちは身震いした。校長が若い頃の話を始めた場合、中身は絶対に自慢話である。若者にエールを送りたい、若者の意識に影響を与えたい、そんな気持ちで大人が長話をする場合、若い頃と自慢話は最も御法度だ。たった十年でも世の中は激変するため、その時世ではもう通用しないことは山ほどあるのだ。


『まぁ……私のように努力して得た地位はいくつになっても敬われるから、君たち生徒も敬うべきであって……』


 立ち並ぶ教師陣は誰も自慢話を止めようとはせず、横に立つ教頭に至っては腰巾着のような有様のため、長話はまだまだ続く。


『君たちと違って私は常に上を目指している。私を敬うことで君たちは――』


 校長の自慢話が最高潮に達した時、それを咎めるようにして――。



 ゴオォォォォォォォォォォォォォーン!!!



 それはまさに鶴の一声だった。だが、あまりにも不意に響いた重たいチャイムは教師陣どころか生徒側にも動揺を与えた。何故なら、鳴り響いたチャイムが巨人のうめき声のような威圧感あるものだったからだ。特に雪斗はかつての母校が発したチャイムとは到底思えず、思い出補正という魔法があってもあまりにかけ離れていると衝撃を受けた。


「おい……あの噂ってマジか?」


「〝旧校舎の祟り〟って? 校長の自慢話がウザいっていう生徒の総意だろ?」


「空気を読むんだな〜旧校舎って」


 生徒たちのざわめきは次第に大きくなり、誰かが発した旧校舎の祟りが一気にざわめきを大きくした。それに対してはさすがに教師陣が止めに入って来た。その荒波を背伸びして覗き見た雪斗は、教師陣の中で、特に慌てていた教頭が怪訝の校長に何かを耳打ちしている光景を見た。


 それにしても人の母校を祟りとは酷い。怪談の古典は山ほどあったが、祟りと来るか……。


「こらっ! 校長先生の話を聞きなさい!」


「静かに!」


 ワイワイと騒ぎ出した生徒たちの列に入って声をあげる教師陣だが、生徒側に効果はほとんどなく、収拾を捨てた校長は五回以上の咳払いをした後、


「えー大時計の誤作動で驚いたと思いますが、祟りなんて今の世の中には存在しません! 心霊や占い、呪いなんてものは全てまやかし、ペテン師が金を巻き上げるための嘘です!」


 その宣言に数人の生徒が笑ったのだが、それ以外にも振り回した末に紡へ向けられた視線もあった。それはあからさまな嘲笑の視線なのだが、当の紡はまるで動じていない。


「奇怪な事件が起きていたことは事実ですが、旧朧小学校は近いうちに取り壊す予定です。十六歳にもなって……肝試し感覚で中に入ったりしないように! 以上、終業式を終わりとします!」


 校長は早口のまま自らの長話を終わらせた。うんざりだ、とでも言いたげな仕草を連れて教頭に噛み付いている。


『全校生徒は一年生から順番に教室へ戻りなさい』


 マイクを引き継いだ教師からの指示が飛ぶものの、もう旧校舎の祟りで胸が一杯の生徒たちは耳を貸さず、雪斗が教室に戻れたのは十時を過ぎてからだった。

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