ボタンを押す世界

はちやゆう

第1話

 ボヴァンはボタンを押した。

 ベットの半分がせりあがりボヴァンの半身を起こした。


 ボヴァンはボタンを押した。

 しばらくすると下半身がキャタピラのロボットが給仕にあらわれた。トーストとバター、目玉焼きにハムとベーコンとソーセージを添えたもの、コーヒーとをのせたトレイがその手にはあった。


 朝食を受けとるとボヴァンは再びボタンを押した。

 やがてロボットが新聞を運んできたのでボヴァンはそれを受けとった。

 新聞には、世の中は万事快調、すべて世は事もなし、といった内容が刷られており、その内容は昨日とだいたい同じであった。また明日もだいたい同じ内容になるのだろう。

 

 ボヴァンはシャワーを浴びた。髭をそった。髪の毛を整えた。今日はデートだった。ボタンを押し、車を呼ぶ。車に目的地と時間を告げると、それは速度を上げたり下げたり、道を大きく迂回するなどして、目的の時間のぴったり五分前にボヴァンを運んだ。


 彼女はまだ到着していないようだった。まもなく約束の時間のすんぜん、ボヴァンのまえに一台の車が止まった。なんどか目の前を通りすぎていた車であった。そこからひとりの可憐な女がでてきた。ジェーンであった。約束の時間ぴったりに二人はあいさつを交わした。


 ボヴァンはボタンを押した。

 ボヴァンという男の乗ってきた車がジェーンという女の乗ってきた車に追突すると、追突面が融解し、ひとつの飛行機となった。

「今日はフライトデートと洒落込もうじゃないか」と言うとボヴァンはジェーンを飛行機へエスコートした。


 その飛行機はトンボのようなかたちをしていた。マーチングバンドの指揮棒のようなボディに羽根が四枚、丸いたまねぎのような部分が頭で、そこはコックピットだった。

 ボヴァンがレバーに触れるとトンボ型飛行機は垂直にひっぱられた。


 いつもは見上げていたでっかいビルがだんだん小さくなって、四角い灰色の固まりになっていった。もっともっと小さくなると、やがてとなりの灰色、またとなりの灰色とまざってひとつの大きな灰色になった。

「いちめん灰色だね。緑が苔みたい。ねえ、これって夜になるとどうなるのかな」とジェーンは言った。

 

 ボヴァンはボタンを押した。

 景色が暗転した。街はそれじたいを光源として光を発していた。暗いところがツタのように、血管のように、街にはりめぐらされていた。

「別なところがみてみたいわ」ジェーンがいった。

「おやすいごようさ」と言ってボヴァンはレバーを動かした。


 二人のゆかいな夜間飛行は、まるで生きもののように明滅する黄色い明かりのなかに赤くまじるところをみつけた。そこは白いもやで分かりづらかったが、たしかにそこは赤く燃えていた。ボヴァンはレバーを前に入れた。大地に近づくと、やがて色はかたちをもち、そして、ボヴァンとジェーンは目を覆った。たのしいピクニックが血と硝煙のかおりする景色になりかわった。


「ねえ、ボタンを押さないの」ジェーンは言った。

「ボタンを押したところでどうなるっていうんだい」ボヴァンは言った。

「彼らを救えるわ」

「いや、ボタンを押したところで救えはしないさ。救いは行動にしかない。ボタンを押すことも行動だが、情けないことだけれど、ぼくの力では救われるのは自分ばかりというありさまさ」


「こんなくだらないこともう終らせないか」

 ボヴァンは言った。

「ええ、そうね、もう終らせましょう」

 ジェーンは答えた。


 ボヴァンはボタンを押した。

 たちまちにボヴァンとジェーンの乗った飛行機は宇宙ミサイルへと変わり、そらたかくジャンプした。宇宙ミサイルは、ボヴァンとジェーンをそのなかにのせたまま、なにもかもを眼下に見下ろす、口に自分の尻尾を咥えたヘビに突撃した。彼らの特攻にもかかわらず、その爆発はヘビの大きさと比べるとささやかなもので、ヘビのからだはびくともしなかった。だが、爆煙を吸い込んだヘビが呼吸をせんと口をあけてしまったために、円環はとぎれた。結果オーライ。亀は前につんのめり。上に乗った三頭の象のうちの一頭は甲羅よりころげた。土台のバランスを欠いた世界のトレイはひっくり返った。 

 このようにしてボヴァンの世界はおわりを迎えた。


 わたしはボタンを押した。

『ボタンを押す世界への変更内容を上書きしますか』とアラートが出る。

 わたしは、いいえ、のボタンを押した。

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