エンドホームルーム:「土曜ってどうよ」

 5月28日土曜日、今日は先週と違って午前授業も無く、部活動にも所属していない(と言っても過言ではない)俺は、いつもなら家でダラダラしているか1週間分のたまったゴミや洗濯物の処理に追われていただろう。

 そんな貴重な土曜日を潰して俺は『自動販売機』をやっている。

 この状況、誰かに説明しようものなら、『どこの芸人のコント?』と聞かれてしまいそうだ。

 具体的には、内側の機器を全て取り外したガワだけの自動販売機の中で、『押されたボタンに対応したドリンクを出す』、『お金を受け取ってお釣りを返す』、『売り切れになったドリンクに後ろから売り切れシールを貼る』と言う3つの作業を人力で行なっている。

 運がいいのか悪いのか、今日はハンドボール部が男女合同で練習試合をやっているようで、スポーツドリンク系統が飛ぶように売れている。

 これでこそ、元々設置している自動販売機よりも10円だけ安く設定した甲斐があるってもんだ。


 しかしまぁ、売れていると言ってもいいことばかりではない。

 自動販売機の中は、孔明から貰った大量の保冷剤を、さっき連絡したら快く貸してくれることになった孔明自作の冷蔵庫を駆使して、半分ずつ冷やしながら使いまわしている。そして言うまでもなく、コンセントは無断利用である。

 何が言いたいかと言うと、自動販売機の中はものすごく涼しいと言うことだ。そんな環境にずっといようものなら、腹を冷やしてしまうの自然の摂理だと言える。

 つまり俺は、トイレにずっと行きたいが、思いの外自動販売機が大盛況のため、出るタイミングを完全に見失っているということだ。

 ……高校生なんだぞ、俺は。今年16歳の。

 いくら腹が冷えたとはいえ、なんとしても最悪の状況だけは回避しなくてはならない。

 そんな俺の心を折るかのように、おそらくは他校生の『午後の部だるいよなー』という声が聞こえる。

 俺は後あと何時間この状況を我慢すればいいんだ……。


 ほんの少し、最悪の結末に向けて覚悟を決めたその時、つい最近までよく聞いていたのに、なぜか少し懐かしく感じる声が聞こえた。

「え、ホントにあんじゃん。どうやって持ってきたんだろー」

 声の主は奈波、なんて間の悪い。

 ……いや、逆に最高のタイミングかもしれない。

 事情を話せばきっと助けてくれるはず。

「あのさ、なな……、」

「彗斗には悪いことしたなー。恨まれてるかなー?」

 えっと……、奈波さん?

「あいつ、あれでも一応ウチのために色々頑張ってくれてるのになー。一回相談しなかったくらいで怒りすぎちゃったのかも」

 ちょっとあの……、話を切り出しにくい雰囲気なんですが……。

「元はと言えばうちの家の借金が問題なのになー。なんであんなこと言っちゃったんだろう……」

 自動販売機に何かが当たる音が聞こえる。おそらく奈波が寄り掛かったのだろう。

「どこからおかしくなっちゃったのかな……。」

 微かに鼻を啜る音が聞こえる。

 ……どうしよう、完全に出るタイミングを見失った。


 そこから何分が経過しただろうか。俺の大腸は限界を迎え、もはやしゃがんでいる体制から立ち上がることさえ困難に感じる。

 なぜか分からないが、孔明から聞いた表面張力の話を思い出す。

 後がなくなった俺は、意を決して奈波に話しかけることにした。

「あのさ、奈波聞こえるか」

「……へ?」

「聞こえてたら返事をしてほしい。」

「……どうしちゃったんだろう、ウチ。いないはずの彗斗の声が聞こえてくる気がする……」

 はい、彗斗です。今あなたの後ろにいます。

 勝手に殺さないでくれ。まだ死んで無いから。

 物理的にも、今のところ社会的にも。

「いや、実際にいるんだよ。ここに。徳居彗斗が」

「え、彗斗いるん? どこに? どーいうこと?」

「自動販売機の中にいる」

「え……、なんでなん?」

「その、機械が重くて、代わりに俺が入ったというか」

「なんか、なんていうか、……すごいね」

「それでちょっと頼みがあるというか」

「ん、なに」

「トイレものすごく行きたいから、中代わってくれない? ずっと前から我慢してるんだけど、だからと言って空っぽにしておくのもまずいっていうか」

「……っ!」

「……奈波?」

「あっはっははは! ふふ、んぐ」

 奈波は今までに聞いたことがないレベルの声量でおかしそうに笑っている。

 というか、そもそも奈波が笑うこと自体見たのが初めてかもしれない。

 だけど俺にはそんなリアクションが終わるのをじっくりと待っているような暇はない。

 自動販売機を中から開き、いつもよりも真剣な表情で奈波に話しかける。

「聞いてくれ奈波、かなり深刻だから、笑ってる場合じゃないんだ」

「あー、ふふっ、ごめんねー。とりあえず彗斗の代わりに中入ればいいんだよね」

「そうだ。やり方は……、とりあえず相手がなんのドリンクを押したのかは見逃さないようにして、お釣りは左下の方から」

「あーそーゆーのいいよ、多分なんとかなるから。ほら、さっさとトイレいっときー」

 俺は、奈波に背中を押され、その衝撃に少し焦りながらも、極力変な体制にならないよう注意しながら、近くにあった多目的トイレに駆け込む。


 しばらくはトイレに篭ることになりそうだが、自動販売機は奈波がなんとかしてくれるだろう。一応細かい指示もメッセージは送っておくけれども。

 奈波とまだちゃんと話せていないが、さっきの様子を見るにもう怒っていないということでいいのだろうか。

 そんなことを考えながら、少し長文になってしまった自動販売機の取り扱いメッセージを奈波に送る。そしてその数秒後に奈波からの返信が来る。



『せっかくの土曜日なのに自販機ってどうよ?

 休み台無しってウケんね』


『平日よりもバレにくいと思って……』


『で、どう? トイレと自販機どっちが快適?』


『いや、本当に

 ありがたいというか申し訳ないというか』


『本当に彗斗は

 1人だとロクなことしないねー』


『返す言葉もないです……』


『しゃーない

 んで、ご飯とかどうしてたん

 今週ずっと』


『どうしたって

 そりゃ菓子パンとかおにぎりとか……』


『そんなもん食ってりゃー腹も壊すわな

 とりま今日はウチに食べにきなー』


『あ、どもご馳走様です』


 とりあえず仲直りはできたようだ。

 雨降って地固まる……か?

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