休み時間その5:「鈴音:エピソード0」

「古月、本当にいいの? 確かに偏差値的にもここは悪く無いが……、古月ならもっと高いレベルの高校にも進学できると思うよ」

「いえ、私はどうしてもこの高校に行きたいので」


 放課後のガランと開いた教室の真ん中に、机が二つポツンと置かれている。

 そこに向かい合って座っているのは、とある中学校の教師と中学二年生の古月静音。この頃の彼女は今に比べてまだ少し幼く、あどけなさも残っている……、訳でもなく、着ている制服が違うという点以外は、寸分もなく今の静音と同じ見た目をしていた。

「うーむ、一応担任として理由は聞いても良いか? どうしてその高校いきたいのか」

「まず1つ目は屋上に行けるからですね」

「……え? 屋上?」

「やっぱり学園ものと言ったら屋上でお弁当を食べないと始まりませんから」

「すまないが、先生にはちょっと古月の言っていることが理解できない。とりあえず、高校は屋上で弁当を食べたいということか?」

「いえ違います。私はヤンキーキャラでも、友達ができないことで悩むキャラでも無いので、屋上でお弁当を食べるのは似合いません」

「……なるほど? ちなみに他にその高校にこだわる理由はあるか?」

「そうですね、確かここの校庭の隅っこには、告白スポットとして有名な木が生えています」

「おお、先生今度こそ分かったぞ。古月は高校生になったら恋愛したいということか」

「残念ですが違います。なぜなら、私には冴えなくて耳の遠くて両親が海外出張に出かけている幼馴染みの男の子がいないからです」

「どういうこと!? そんな限定的な知り合いがいないと恋愛ってできないの!?」

「ラブコメは基本そうですね」

「僕の今までの教員人生の中で、進路面談中にラブコメという単語が出てきなのは初めてだ……」

「あと他に理由があるとすれば、染髪が自由という点でしょうか」

「……一応聞くが、古月は髪の毛を染めたいと思っているのか?」

「全く思わないです。ただ生徒全員が黒髪なのは、漫画っぽさが足りないので」

「だと思ったよ! ……まぁ、そこまで志望しているなら先生も止めないよ」

「はい。面談ありがとうございました」


 その一言を言い終わると同時に、静音はこれ以上なくスムーズな動きで教室のドアから退出する。教室に残された担任の先生は、わずか15分の面談とは思えないほど、疲弊し切った様子だった。

「相変わらず何を考えているか分からない生徒……。まぁでも、今まで見たでは一番生き生きしていたかもしれない」

 彼がそう思うのも無理はない。

 と言うのも、静音は基本的に教室内では喋らない大人しい生徒だったからだ。

 中学二年生当時は親と一緒に暮らしていた静音だが、彼女の両親はともに海外出張の多い職についていたため、小学校を卒業するまでは祖父母と一緒に暮らしていた。

 彼女の祖父母は小さな定食屋を営んでおり、その手伝いをしていた静音は、友達と遊んだりするような経験はなく、暇なときは専ら客席に置いてある古めの少年漫画を読み漁っていた。

 そんな生活を続けていた静音が学校のクラスメイトと仲良くなれる筈もなく、特別嫌われるという事でもなかったが、仲の良い友達と呼べるような存在はいない。


 比較的特殊な環境で育った静が、学園もの題材としてもよく取り上げられる高校生活に胸をふくらませてしまうのも無理はないだろう。

 謎の部活動。

 突然の転入生。

 桁違いなお金持ち。

 大きな権力を持つ生徒会との衝突。


 しかし、そんな静音の架空すぎる期待は入学前に配られたパンフレットによって打ち砕かれる。

 学校行事の紹介

 部活動の紹介

 普段の授業風景

 楽しそうに学校行事に参加している生徒の写真


 何もおかしなところはない。むしろ模範的だとも言える。

 しかしそれは波乱万丈な学園生活を望んでいた静音にとって、あまりにも退屈だった。



 ショックというほどでもない絶妙なレベルで落ち込む静音の人生が変わったのは、3月25日、入学手続きのために母親と一緒に高校に訪れたときのことだった。



「本当は仕事で忙しいのに、なんでこんな面倒なことまでしなきゃいけないのかしら」

「ごめんなさい、お母さん。でもお父さんにも断られちゃって」

「あなたは悪くないわ。静音。私が文句を言っているのは、作業を効率化させようとしない教育機関の姿勢についてよ」

「それはそうかもしれないけど、でも学校と会社を同列に考えるのも変だよ」

「大体、平日に親同伴じゃないとできない手続きっていうのがおかしいのよ。共働きが珍しくもない時代に……」

「まぁまぁお母さん、その辺で」

「あんまり文句言っても仕方ないわね。あれっ静音、あそこにいる子って1人じゃないかしら。親同伴って必須よね」

「うん、確かそう」

 受付窓口の前に作られた長蛇の列。そのほとんどは母親と学生が2人1組によって構成されていたが、静音達の少し前にポツンと一人で並んでいる男子生徒がいた。

 髪型はかなり強めの天然パーマ、表情を見るになんとなく気怠げ、そして明らかに詰め込み過ぎでパンパンになっているリュックを背負っていた。

 何か特別な事情があるのかと考えている内に、ちょうどその男子の番がやってきた。


「はい次のかたー、お名前お願いします」

「えーと、徳居彗斗です。はい」

「はい、徳居彗斗さん。受験番号101263ですね。あれ、今日親御さんは?」

「あー、ちょっと忙しいというか、その、今はちょっといないんですけど……」

「なるほど、一応親に直接渡したい書類とかもあるので、別日にもう一度来ていただく形でー」

「いや、その、忙しいっちゃ忙しいんですけど、すぐ来るんで、大丈夫です」

「はい、わかりました。では揃ったらもう一度列にお並びください」

「……はーい」

 徳居彗斗と名乗った男子は、そのまま誰もいない廊下の方へと歩いて行った。

 その様子がなんとなく気になってしまった静音は、自分の手続きが終わるや否や、母親には先に帰るように伝え、徳居彗斗が向かった方へと自然に歩き出してしまっていた。なんとなく、『もしかしたら同級生になるかもしれないし、話しかけてみよう』くらいの軽い気持ちで。

 しかし、向かった先の廊下は行き止まりになっており、途中の教室にも人の姿は無かった。


 さっきの男の子はどこに行ってしまったのか、いくら探しても見つからず、諦めて帰ろうと静音が考え始めたそのとき、廊下を曲がってすぐの位置にある多目的トイレの扉が開いた。

 そこから出てきたのは、貴婦人のような見た目の……、女性? にしては少し身長が高く、なんとも現実感のないファッションをしていた。

 中世ヨーロッパのようなドレス、派手な羽のついた帽子、そしてふわふわしたレースのついた扇子で顔を隠している。

「あら、ごめんあそばせ」

 貴婦人は少し不自然な声でそう呟くと、廊下の先の入学手続き窓口の方へと足早に歩いて行った。

 その様子を変に思った静音は、多目的トイレへと向かい、そこで思いもよらないものを発見した。

 さっき前に並んでいた男子が背負っていたリュック。中身は減ってだいぶ萎んでいたが、底の方にヘリウムガスが取り残されていることを静音は見逃さなかった。


 つまりは?

 さっきの男子が?

 女装して?

 母親のフリをして?

 入学手続きを乗り切ろうとしているということ?


 いやいやいやいや、そんな馬鹿なことをする人がいる訳が無い。一応ここだってそれなりの進学校だったはず、ウケ狙いでやるにしても無謀すぎる。

 頭ではそう考えながらも、静音は今までの人生で体験したことないほどに胸を躍らせていた。

 そして、貴婦人の後を追って着いた窓口で、思った通りの、いや、期待を遥かに上回るやりとりを目撃することになった。

「お待たせいたしましたわ。ごきげんよう、彗斗の母です。おほほほ」

「はい? えーと、どなたのお母さんですか?」

「あらやだ、さっき手続きしたではありませんの。徳居彗斗の母親の徳居彗子と申しますわ」

「え、ど、は、えぇ?」

 窓口担当の人が混乱するのも無理はない。不自然に高い声、時代錯誤の言い回し、その上扇子によって顔が隠されて貴婦人の表情が見えない。

「ワタクシに渡したい書類があるわよね。いいでしょう、受け取ってあげますわ」

「いや、あの御子息も揃った状態でないと、お渡しできないというか」

「ワタクシは忙しいのよ? 早くしてくださいまし」

「えぇ……、では……どうぞ?」

 貴婦人は有無を言わせず書類を受け取ると、多目的トイレにおいてあったリュックを急いで回収し、そのまま逃げるように帰って行った。

「徳居彗斗、ふーん、おもしれー男」


 入学式が待ち遠しい静音であった。

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