休み時間その3:「見えないものを見ようとして」

 5月16日の時刻は16時20分。

 つまり、ファミレス事件とフィギュア転売未遂、その二つの出来事のちょうど真ん中にあたる日の放課後。

「というわけで、これより化学部の定期活動を始める」

「はーい。よろしくお願いしまーす」

 今日も今日とて、化学室で活動をする男女二人、一見真面目そうに見える男子生徒の助平孔明と同じく一見普通の明るい女子生徒に見える小宮涼菜。

 その二人から少し離れた位置に、約1ヶ月ぶりに化学室に呼び出された男がいた。

「あの、なんで俺が参加することになっているんですかねぇ」

 左手を控えめに上げながら当然の疑問を口にしたのは、この場で一人浮いている徳居彗斗。

「実は部活動には月に一度、活動報告書を作らないといけない義務があってだね。その際には8割以上の部員の出席が義務付けられている。化学部の部員は全部で3人であるからにして、全員の出席が必須という訳だ。入部時に伝えそびれてしまい、申し訳ない」

「いやあの、俺がいつ化学部に入部したかを聞いているんだけど……」

「ふむ、確か正式な手続きのもと、入部届が提出されたと顧問の先生から聞いているが……」

「ホントだよ! 出した記憶も書いた記憶もないのに! 申し訳ないけど、毎月参加するのも面倒くさいし、近いうちに退部する」

「徳居くん。残念だがうちの校則には、部活動の入・退部は四月にしか受け付けないと記載されている」

 孔明のこの発言は100%嘘であり、本来なら退部することに時期的な制約はない。

 しかし、いつも焦りながら苦し紛れの作り話を捻り出す彗斗とは違い、孔明はただ淡々といつもと同じように喋っている。

 その嘘を見抜けるほど彗斗の勘は鋭くなかった。

「ええ……、じゃあちょっと参加していいか聞いてみるけど」

彗斗がスマホを取り出し、奈波に「部活に入るために、買い出しが月に1回出来なくなってもいい?」と質問を送る。

 送信ボタンを押してから一秒も経たないうちに「桶」という返信が来る。

 さながら結婚五年目の夫婦のようなやりとりを、高校生の恋人でもない男女二人が行っている事の異常性に、この場で気づいているのは涼菜だけだった。

「大丈夫でしょ。そんな部活動なんかで束縛するような女の子いないよ〜」

 涼菜のその発言が冗談なのか本気なのか、彗斗は分からないまま苦笑いで相槌を打ち、当の孔明も実験器具の準備を始めていて、気に留める様子はなかった。

「今日は二人に手伝って欲しいのはこの自作望遠鏡製作、と言っても完成自体はしているから、動作テストに付き合ってもらうことになる」

 孔明がそう言いながら取り出した望遠鏡の全長はおよそ一メートルで、鏡筒部分には等間隔に4つのホイールのようなものが取り付けられていた。

「さすが孔明、すごーい。やっぱり頭いいよね〜」

 まるで、合コンで見つけた高収入のイケメンを煽てるかのような口調で、涼菜は大袈裟なリアクションを取る。

 一見、ずる賢そうに見えるその立ち振る舞いも、彼女が一途であるが故のものだった。

「そうだな、この4つのジョイント部分は人の関節のように自由に折り曲げることができて、中の鏡と連動して好きな角度で望遠鏡を覗き込むことができる。真上を見上げることもできれば、潜水艦のようなZ字にすることもできる」

 相変わらず自分の興味のあること以外に無関心な孔明は、望遠鏡を実際に折り曲げながらその機能性について説明をした。

「普通にすげぇ……。望遠鏡って高校生が作れる物なんだ……」

 望遠鏡製作の途中経過を見ていない彗斗は、そのあまりの出来の良さに、童心を思い出し、自分が嫌々部活動に参加していることなどとうに忘れていた。

「動作は問題なさそうだな。では報告書を書くために、この後実際に使ってみようか」

 望遠鏡から連想される活動といえば天体観測。

 夜の学校に集まり、屋上で星を眺めるのがお決まりパターンと言えるだろう。

「つまり天体観測デートってことね。えー、そんな遅い時間の部活動とか女の子としては困るんだけどな〜」

 困っているようには一切見えない涼菜は、小躍りしながら鼻歌まじりに化学室の中を歩き回っている。

 その様子を目の端で捉えながら、彗斗も少しわざとらしく呟く。

「報告書に書くってことは俺も参加しないといけないのか。全く、面倒くさいな〜」

 しかし、化学資料集の巻末ページの『星座写真一覧』を眺めている彼からは、説得力が感じられない。

 誰の目から見ても、この奇妙な空間には、ツッコミ役が致命的に足りていなかった。


 一方その頃、制作に三万六千円もの費用と一ヶ月の期間を要した、自他共に認める自信作の望遠鏡を携えて、孔明はプールサイドを眺めていた。

 当然のように、女子サイドを。

「……よーしーあーきー? 私、そういうのやめてって言ったよね……。ゆったよね?」

 ドス黒い感情の込められた声とは反比例するように、涼菜は満面の笑みを浮かべていた。

「ああ、水泳部からも名指しで指摘されたからな。『助平に覗かれるのが嫌』と。こういう風にしゃがんで望遠鏡だけ窓にかかるようにすれば、誰が覗いているかわからない。水泳部の生徒も傷つかないという訳だ」

 そう語る孔明の目には一点の曇りもなく、彼が言い逃れや屁理屈ではなく、真剣に水泳部のクレームに対応しようとした結果、わざわざ望遠鏡を作るまでに至ったと暗に示していた。

 その拗らせた価値観が故に、彼と親密な仲になるのが難しいということは、涼菜が一番わかっていた。

「普通! 女の子は! 覗かれたら嫌な物なの! ……好きな人は別かもしれないけど」

「なるほど。小宮がそういうなら、覗きはやめよう」

「そもそも、他の女の子をっ、そういう目で見るのがダメっ」

「そういう目、か……。うーむ、難しいな」

 あまりの気まずさに、彗斗は痴話喧嘩をしている二人からテーブル二つ分の距離を取り、頭だけ覗かせるような形で、その修羅場を眺めていた。

 世の中、奈波のようにあっさりとしたような女性ばかりではない。

 彼は一つ学び、少しだけ大人になった。


 その後涼菜からの指示で、望遠鏡は孔明を含む他の人に見つからなさそうな場所に隠されることになり、消去法で責任者は彗斗になった。

 そして彗斗は望遠鏡を隠す場所を探すついでに、眺めのいい場所も何箇所か発見し、化学部の五月分の活動報告書のタイトルは、『身を潜めて確実にバードウォッチングを成功させる望遠鏡の作り方とその活用成果』となった。

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