三時間目:「VS √¢隊 (バーサス・ルーセント隊)」

「……いったん話を戻そうか」

「第一回! お金、なんとかしようぜ会議!」

 両腕を組みながら(本人がいうには塾長のポーズ)元気よく宣言したのは、当然のようにそこいる静音。身長が低いからか、どうしてもちんちくりんな感じがする。

「彗斗、この主張の激しい地味な子誰?」

 奈波の質問は最もだが、正直俺にもよく分かってない。

「主張の激しい地味、矛盾ね! クラスメイトの古月静音よ。静音でいいわ」

「何そのテンションー、だるすぎー、ダルビッシュー」

「そういえば奈波、クラスメイトに対してはそういう喋り方だったな……」


 放課後の1年4組教室、奈波の借金をどうやって返済するかの話し合いを真面目にする予定だったはずなのに……、どこからともなく『面白そうね!』とやってきた静音が乱入してからはこんな調子になっている。

「話を戻そう。奈波、お母さんは大丈夫か?」

「あー、退院はもう直ぐできるけど、しばらくは家で安静。内職始めるって」

 奈波はなんだかバツが悪そうに視線を逸らす。

「おおう、それは大変だな……。よし、できるだけ借金は俺たちだけでなんとかしよう」

「『俺たち』ね、なるほど、二人は相当仲がいいのね」

「ん? まあ、家が近いからな。ってか、静音も意外とそういう野次馬な所あるのな」

「少し語弊があるわね。男女間だと、仲良くなるまでの期間が一番面白いのよ。その先は少女漫画の領域、私には興味ないわ」

「へー、初めて話したけど、静音って変なの」

「お褒めに預かり、光栄よ。佐々木さん」

「ん、奈波でいーよ」

 何となく、この二人は馬が合わなさそうと思っていたが、どうやら大丈夫みたいだ。


 それにしても、奈波の『変なの』というのはブーメランだと思う。

 始めて会った時の衝撃もそうだけど、奈波には未だに謎な部分が多い。

 家で家族や俺と喋っている時なんかはクール&無表情なのに、学校では底無しの明るいテンション。しかも時々変な言語を喋る。

 今の静音とのやりとりを見るに、静音も身内、言うなれば内弁慶の内側に来たらしい。

「まあいいよ、話を戻そう」

「何回目なの。その前置き」

 尤もすぎるツッコミを奈波から食らってしまったが、誤ちを繰り返さないために反応はしない。

「俺たち二人で借金を返す方法を考えよう」

「オイオイ忘れてもらっちゃ困るぜ旦那。三人よれば文殊の知恵っていうだろ?」

 どう考えても女子高生からは出ない渋い声が静音の方から聞こえてきた気がしたが、これに対しても無反応を決め込む。

 俺のコミュ力枯らしたらキャパオーバー。まとものリアクションがとれる気がしない。


 絶妙な沈黙に対して、奈波が気を遣ってくれたのか、話を切り出した。

「そーいえば、うちの高校バイト禁止って彗斗言ってたよね」

「そう、ただ一つ抜け道があって、長期休業中限定で経済状況に難があればバイト許可の申請ができるらしい。ただ、3年間の休み期間を足しても約半年、二人合わせても300万円は流石に苦しいか」

 三年生になったら受験勉強諸々もあるだろう。いくらなんでも無理がある。

 そう答えると、奈波はいつになく真剣な眼差しで口を開いた。

「さっきから彗斗も手伝う前提だけどさ、流石に悪いよ。もういろいろやってもらったからさっ。嬉しいけどね、もちろん」

 奈波のこういうところは母親譲りな感じがする。自分自身は面倒見がいいのに、人を頼るのは苦手というか、人に何かしてもらうのは遠慮がちというか。

 納得してもらうために、今までお世話になった分だという事とクレープ屋での出来事を奈波に話し、自分にも関係あると説明することにした。もちろん、佐々木母の過労が俺の食費のせいではないかという部分を伏せて。

「そっかー、じゃあ無理しない程度にお願い」

「ああ、ここは俺に任せて先に行け」

 いい加減このやりとりにも飽きてきたな。

 もうお分かりの人もいるだろう、今答えたのは、当然のように静音だ。


 まぁ、それはそれとして。

「二人はフクマって知ってる?」

 フクマというのは個人で出品できるネットショッピングアプリのことだ。その語源にはいろいろと諸説はあるが、副業マーケットの略というのが一番有力だ。

「当然、知っているわ。私は時々漫画を買ったりするのに使っているわね」

そう言って静音が差し出してきたスマホの画面には、『北斗の拳全巻セット』や『スラムダンク完全版美品』などの名作漫画の数々が購入履歴に並んでいた。ざっと見ただけでも200冊以上はあるだろう。どう見ても『時々買ったりする』という頻度ではない。

「うちもあるよー。キャンペーンの時登録してポイントもらって、学校のノートは全部それで買ったやつ」

 妙に統一感のあるノートを使っていると思ったらそういうことだったのか……。それにしても、『キャンパスノート30冊セット600円』、恐るべき節約術。流石は奈波という感じがする。

「二人ともアプリ入れているなら話は早いんだけど、プレミア価格のつくようなものを仕入れて、ここで売るっていうのはどうだろう」

 俗にいう転売屋ヤーってやつだ。褒められた行為ではないが、バイトもできない高校生がお金を稼ぐ方法なんてこれくらいしか思いつかない。

「そういえば少し前に炎上にしてたよね、女子高生がお古の服とか高値で売ってたやつ。どうする? うちの上履きとか売ってみるー?」

 おい奈波、その恥じらいのなさは女子高生としてどうなんだ。

「いや、特定とか怖いし、それはやめておこう」

 うちの高校は、上履き、体操着、ジャージなど、学内で身につけるものほとんどが学校指定になっている。身バレも怖いし、何より学校側にバレたらどんな処分が下るかもわからない。

「それなら、これはどうかしら」

 そう言って、三人の中心にある机の上に置かれた静音のスマホには、『鋼鐵ノ譚詩曲 限定フィギュア 先着100名』という見出しのネット記事が表示されていた。

「はがね……、なんて読むんだ? これ」

 見覚えのない漢字に思わず戸惑いの声を漏らしてしまった。

「その漢字は旧字体の鉄。読み方はアイアンバラード。最近アニメ化して水面下では 社会現象が起こっていると言われている漫画作品よ。タイトルを読めないと過激派のファンからは怒られるから気をつけてね。と言っても、私も作品自体は読んでないから中身までは知らないけど……」

 静音は残念そうに呟いた。

 どうでもいいけど、水面下で社会現象ってなんだろう。

「はーい、『アイバラ』ってやつでしょ。それうち読んだことあるー。音楽を武器に戦う話だよね」

 奈波が左手を挙げながら得意げに答える。普段、授業中はほとんど寝ている奈波のその姿に違和感を感じずにはいられない。


 アイアンバラード、確かに聞いたことはある。

 流石は少年漫画オタクの静音。なかなかいいアイデアを出してくれる。中身までは知らないっていうのも、漫画の趣味が全体的に古い静音らしい。

 流行りの作品、限定フィギュア、先着100名、確かに入手できればそれなりに高く売れそうな気がする。

「よし、じゃあこれを転売しようってことで。ふた……、三人で行けばかなり稼げるだろうし」

 そんな俺の意気揚々とした宣言を、発案者のはずの静音が首を横に振って否定する。

「下までちゃんと読んで。5月21日土曜日の午前9時販売開始と書いてあるわ」

「どゆこと? 午前9時なら始発まだってこともないし、土曜なら学校も……」

 そこまで話をして、ようやく気がついた。5月21日ってことは第3土曜日だ。つまり、月に一度の土曜授業がある。

「あー、うち無理かも。お母さんズル休みとか許さない人だし、一日中家にいるし」

 奈波がそう言うのも無理はない。ただでさえ、療養中の佐々木母に余計な心配をかけるわけにはいかないのだから。

 静音の方を向くと、顔の前に両腕をクロスさせて、×の形を作っていた。

 考えてみれば当たり前の話だ。学校をズル休みしたくないって俺も入学式の日に思っていた事だし、そもそもの話、学校を休んだら大抵担任の先生が家に確認の電話をかけてくる。その時に自宅にいないとなれば、電話に出るであろう親に協力してもらって在宅をでっち上げなければいけない。

 さらに言えば、そもそも俺の家には他の人がいないから電話がかかってきた時点で家にいないことがバレかねない。

 なんとかして外にいながら家の電話に出る方法はないだろうか。

 必死に考えるも、そんな都合のいい展開が用意できるはずもなく、頭を抱え込むしかなかった。



 秋葉原駅より徒歩5分、カラオケ『ふぉ〜ちゅんパラダイス』。この店を始めてから15年ほど経ったが、今回のような奇妙なお客さんは初めてだ。


すまない、自己紹介をしていなかった。一応店長をやらせてもらっている山下剛士(やました・たけし)だ。今年で四十四になる。

 奇妙なお客さんというのは30分ほど前に入ってきた男五人のグループのことだ。個室の防犯カメラで映像と音声を確認しているが、入ってから今に至るまで誰も歌わず、会話もなく、ただ各々がスマホをいじっている。協力してゲームをプレイしている様子もなく、なんのために集まったのか不明である。

 そんなことを考えていると、お客さんが新たに一人入店してきた。このお店は来客が少ない分、バイトを雇っていないので、接客も全て一人でしなければいけない。

「いらっしゃいませ。お一人様ですか?」

「あ……、いや……、五人きてると思うんすけど」

「はい。かしこまりました。ご案内します」

 お客さんを五人の元に案内すると、全員ほっとしたような顔で挨拶をし始めていた。

 少々ぎこちない様子から察するに、全員初対面なのだろう。

 おそらくオフ会というやつだ。一人が遅刻してしまい、残りの人たちもどうしていいのか分からず、30分間待ちぼうけだったということか。

 疑問も晴れたところで、「他にお客さんもこないだろうし、モップがけでもやろうかな」などと考えながら、個室のドアを閉じたその時だった。

「全員揃ったようだな。それではこれより、第一回√¢隊(ルーセントたい)活動方針ミーティングを始める」

 さっきまで無言だったとは思えないほど、荘厳な声が聞こえてきた。

ルーセント隊? なんだそれは。気になるあまり、もう少しだけ防犯カメラを覗かせてもらうことにした。どうせ他にお客さんなんてこないだろうし。

 スタッフルームに戻り、モニターの前に座ると、先ほどミーティングの開始を宣言した男がちょうど続きを話し始めていた。

「それでは、まずは自己紹介をさせていただこう。√¢隊筆頭幹部、六天象の時雨だ。」

「えっと幹部で六天象の五月雨です。よろしく」

「実行部隊、六天象の霧雨。よろしくなんだぜ」

「同じく春雨。以下同文」

「今は雷電で通している」

「みぞれ……」

 どうやら今のが自己紹介だったらしい。

「いや、一人ぐらい晴れろよ。なんで六天象全員、生憎の天気なんだよ」

 自分しかいない部屋の中で思わず声に出して突っ込んでしまった。

 つまりはルーセント隊という団体の中でも六天象と呼ばれる人たちが集まっているという認識でいいのだろうか。なるほど。

「今日六天象のみんなに集まってもらったのは他でもない。プロジェクトαについての話をしたい」

「なにぃ、プロジェクトαだと?」

「ああ、ついに始まるんですね」

「例のプロジェクト、か……」

「ワクワクするんだぜ」

「プロジェクトα……。状況把握……」

 なるほどなるほど。

 つまりはルーセント隊の六天象によるプロジェクトアルファの話をしているということだな。

「イリュージョンアーマーの用意に成功した」

「ほう、イリュージョンアーマーか……」

「計画通りですね」

「第一関門突破、といった感じか……」

「お疲れ様だぜ。流石なんだぜ」

「イリュージョンアーマー……。確保完了……」

 なるほど、なるほど、なるほど。

 つまりはルーセント隊の六天象によるプロジェクトアルファにおいてイリュージョンアーマーの用意が完了したということか。

 いや、もう話が全く頭に入ってこない。

 さらに言うと、この六天象の方々は全員メガネをかけている上に、同じような髪型・服装をしているのだ。そもそもの話、見分けることが不可能に近い。

「エージェントは知り合いに頼むことことができた。彼は鋼鐵ノ譚詩曲に興味がない。我々六天象全員分のフィギュアは手に入れたも同然だ。これを祝して乾杯しよう」

 おそらく時雨と名乗った男の掛け声により、六人はドリンクバーで祝杯をあげた。


 鋼鐵ノ譚詩曲のフィギュア、初めて知っている用語が出てきた。確か今週の土曜日に向かいのお店で発売される限定商品だ。定価は6980円となっているが、そのあまりの人気っぷりに、10倍以上の値段がつけられても不思議ではないと噂されている。

 それにしても『全員分を入手同然』とは変な話だ。購入希望者が殺到することは間違いないので、おそらく当日は抽選販売になるだろう。一体どのような作戦……、プロジェクトアルファを用意したのだろうか。

 そんなことを考えながらも、長年働いているクセなのか、いつの間にか通常業務に戻っていた。そして、珍しく混雑してきた店内の接客に追われているうちに、そんな些細な出来事なんてとうに忘れてしまっていた。



 5月21日の土曜日。

 それは学生みんなが大嫌いな土曜授業がある日。

 それも、俺には関係ないことだけども。

「もしもし、1年3組の徳居彗斗ですが、昨日に引き続き体調が悪いので学校休みます。……はい、お願いします」

 学校に欠席の連絡を入れた俺は自宅で安静に……、ではなく秋葉原の某アニメショップの行列に並んでいた。そう、「鋼鐵の譚詩曲」の限定フィギュアを手に入れるためだ。

 学校との電話が切れた後、引き続き奈波にライン通話をかける。

「ん……、奈波、で……す」

 朝早いからか、いつもよりテンションが低めな声が聞こえる。

「おはよう奈波。じゃあ昨日言った通りに頼む。」

「りょ、二度寝終わったらやる……」

 時刻は七時ちょうど、いつもの奈波なら起きている時間だが、今日は弁当を必要としない午前授業の日なので、余分に早く起こしてしまったようだ。電話口からは奈波の寝息が聞こえる。

 これは決して奈波が電話を切り忘れたわけではなく、ズル休みがバレないための仕掛けの仕上げを奈波にやってもらうためだ。そのために奈波だけでなく、静音のスマホまで借りることになってしまった。

 具体的には、まず奈波と俺のスマホを通話状態にしておき、奈波に自分のスマホの上に俺の家の固定電話の受話器を乗せてもらう。次に、半分ほど水の入れたペットボトルを受話器が元々置いてある位置のボタン(フックスイッチというらしい)の上に置いておき、静音のスマホと紐で結びつけておく。そして最後に、静音のスマホを表面が滑りやすい素材の下敷きで作った斜面の上に設置する。これであとは奈波のスマホを通じて聞こえた固定電話の着信音に合わせて、静音のスマホにメールか何かを送ればいい。

 そして着信のバイブレーションによってスマホは斜面を滑り落ち、予め下にセットしておいたクッションの中に収まり、紐によって引っ張られたペットボトルが落下し、電話がつながる、という仕組みだ。

「なんだかピタゴラスイッチみたいだな……」

 昨日一日試行錯誤したことを思い出しながら、思わず呟いてしまった。

 成功率は大体8割といったところ。

 よっぽどのイレギュラーがない限り、基本的には大丈夫だろう。

 では、よっぽどのイレギュラーとは一体どのレベルの出来事を指しているのか。


「徳居くんですよね……。こんな所で何をしているのですか……?」

「そ、その声は、真白先生っ、なんでっ、ここにっ」

「こちらのセリフです……。しかも今、ちゃっかりサボりの電話まで入れてましたよね……」

 例えば、『学校をサボって行列に並んでいて、振り向いたら真後ろに担任の先生がいた』なんてことは間違い無く想定外だろう。

 こう言う時は一体どんな言い訳をすればいいのだろうか。誰か教えてくれ。


「えー、あの、これは奈波のためというかなんというか……」

 借金のことまで先生の話していいのだろうか。なんとか言い逃れる方法を考える。しかし、真白先生が一歩こちらに詰め寄り、そんな余裕も与えてくれない。

「確かに佐々木さんから学校を辞めずに済んだことも……、徳居くんが相談相手になったことも佐々木さんから聞きました……。でも、ダメなものはダメです……。」


 そういえばあの日、奈波に電話をかけるきっかけになったのは、先生から言われた言葉だったんだっけ。あんなに大きな声で喋る真白先生が珍しくて、今でもよく覚えている。

『相談相手』という言葉から察するに、奈波から大まかな事は聞いているが、ファミレスでおじさん二人と揉めたことまでは伝わっていないようだ。

 果たして俺の判断で全部話していいのだろうか?

 そういえば、奈波とはずっと通話状態で繋がっている。今奈波に頼んで事情を全部話して貰うのが一番得策だろうか。


 そんなことを考えながらスマホを掲げると、タイミングがいいのか悪いのか、ちょうど奈波の声が聞こえてきた。

「うい。これでいーかな。あ、遅刻しそ。行ってきまー」

 テンパると無言になってしまう自分の癖をこれほど呪ったことはないだろう。そういえばファミレスの時も、最初気押されてなんもいえなくなってしまったんだっけ。

 最悪のタイミングで奈波がスマホを置いて学校に向かってしまったため、頼れる人がいなくなってしまった。

 視線を真白先生に戻すと、先生は相変わらず開いているのか閉じているのかわからない目でこちらを見つめている。更に、いつものようにマスクをしているため、表情がわからない。

 なんとか話題を逸せないか、必死に会話の糸口を探す。

「せ、先生もアニメとか、見るんですねっ」

 それを聞いた先生はバックからスケッチブックを取り出し、こちらに手渡してきた。中には様々なポーズのデッサンが描かれている。

「先生は資料として買います……。今回のフィギュアは値段の割にクオリティがとても高いので……」

 そういえば真白先生の担当教科は美術。プライベートで絵の練習をしていても不思議ではない。

 受け取ったスケッチブックのページを何枚かめくると、確かにアニメキャラデッサンのようなものもいくつかあった。

「なるほど。やっぱりクオリティとかってあるんですね」

 言い終わると同時に先生に両手を握られる。その拍子にスケッチブックを地面に落としてしまったが、そんなことを気にする様子もなく先生は早口に語り出した。

 そして相変わらず、先生の手はものすごく冷たかった。

「そうなんですよ……! 写実的な絵を描く時にどうしてもデッサン人形だと限界があって……! 今回販売されるフィギュアは塗装も丁寧で表面もとても滑らかで……! 6980円とは思えないクォリティなんです……!!」

 そこから始まり、5分ほど先生の熱弁は続いた。

 あまりの迫力に気押されて、『奈波の退学の話をした時よりも熱量がすごいですね。』という余計な一言を口に出さずに済んだ。

 話を聞く限り、先生は『鋼鐵の譚詩曲』という作品自体は知らないようだ。そんな人まで欲しがる所はやはり人気商品なだけある。

 一通り喋り終えてぐったりと息切れしている先生から視線を逸らし、前後を見渡しながら列の全長を把握する。パッと見ただけでも前に約300人、後ろには少なくとも800人以上はいるようだ。

 フィギュアは限定100体とのはずだったから、手に入る確率は10%もない。まあ、手に入らなかったとしても損するのは交通費だけ。その交通費も「必要経費だから」とのことでフィギュア代と一緒に奈波からもらったから実質ノーリスク。

「あれ……。なんの話でしたっけ……」

 呼吸を取り戻しつつある先生が記憶を取り戻す前に、落ちたスケッチブックと先生に返して体の向きを前に戻す。

「まあ、ゆっくり待ちましょう」

 意図せずに話を逸らすことができた。


 その時、前方から微かに電話をしている人の声が聞こえた。

「もしもし、時雨だ。すでにエージェントには指令を送った。これよりプロジェクトαを開始する」

 その一言に感化されたかのように、間に何人かが挟んだ4・5人が、一瞬だけ右手の握り拳を掲げた。何かの合図だろうか。


「お待たせしました皆さん! 今から抽選券を配ります!」

 突然聞こえた大声の方には、お店のロゴが入ったエプロンをきた男の人がプラカードを持って立っており、プラカードには「鋼鉄の短詩曲フィギュア 抽選券配布列 先頭」と書かれてある。

「鋼鉄のバラードフィギュア抽選券配布会場までご案内するので、ついてきてください!」

 店員と思わしき男の人が高らかに宣言すると、それに続くように、列の大移動が始まった。

「徳居くん……、私たちも行きましょう……!」

 一緒に動き出した真白先生の手を、無意識に後ろから掴んでしまった。

「えっと、徳居くん……? 先生と生徒の間の過度な干渉はよくないので……、あんまりこういうスキンシップは……」

 その台詞は特大ブーメランだと思う。

「えっと、すみません、つい」

 自分でもなぜ先生を引き止めてしまったのか分からない。

 どこかに感じた違和感。

 その時ふと静音の言葉を思い出した。


『漢字は旧字体の鉄。読み方はアイアンバラード。最近アニメ化して水面下で社会現象が起こっている漫画作品よ。タイトルを読めないと過激派のファンからは怒られるから気をつけてね。と言っても、私も中身までは知らないけど……』


 あの店員ははっきりと『鋼鉄のバラードフィギュア』と口に出した。細かい所だが、プラカードの鉄の字も譚の字も間違っている。

 秋葉原のアニメショップの店員ならば、アニメにも精通しているだろう。それなのに果して名前を間違えるだろうか。

「えっと……、徳居くん……? 動かないと迷惑になるかもしれませんよ……?」

「真白先生、これは罠です。誰かの陰謀です」

 その証拠に、後方の人たちはほとんど移動してしまったが、前方にはまだ人がいっぱい残っている。きっとガチ勢の人たちも違和感を感じて留まっているのだろう。

「えっと……。徳居くんは誰と戦っているの……?」

「とにかくここに残るのが最善です」

「そっか……。徳居くんも難しい年頃の男の子だもんね……。大丈夫、先生ちゃんと話聞くからね……! どっか行ったりしないから……!」

 何故か可哀想な子として見られているようだが、ここから動かないのならば結果オーライだろう。

 それにしても、もし本当に罠だとしたら大掛かりな準備が必要だったはずだ。単独犯では難しいだろうから、さっき右手を掲げた何人かの共犯だろう。列移動のための三角コーンまで置かれている。


 ……いや本当にそうだろうか?

 店員はもしかしたら新人かもしれないし、印刷の都合で旧字体がプリントできなかっただけかもしれない。それに、前方に留まっている人たちは単純に人数の多さに絶望して抽選を諦めただけという可能性もある。もし俺の勘違いだとしたら、自分だけで無く先生の抽選のチャンスまで奪ってしまったことになる。

 冷や汗が首筋を流れ落ちる。

 先生にはどう言い訳をすればいいのだろうか。

 もはや、本当に可哀想な子のふりをして誤魔化すのが一番いいだろうか。

「徳居くん……。手汗すごいですね……」

「へぁっ!?」

 変な声を出すと同時に我に帰り、ずっと繋いでいた手を離す。担任教師とはいえ、女性の手をずっと握ってしまっていた。

 なんだろう、ここ最近焦ってばかりな気がする。あまりにも色んなことに首を突っ込んでしまったからなのか。それとも、昔からこんな性格だったのか。


 そんなことを考えていると、列の先頭の方からシャッターの開く音がどよめきと共に聞こえて来た。店の中から出て来たのは髪が長くて表情の見えない男の人。先ほど見たロゴ入りのエプロンを着ている。よく見たら少しだけ色が明るい。

 男の人はダルそうな声でぼやき始めた。

「え?こんだけしかいないの? えー200人くらい? まぁどうでもいいか。はーい、整理券配りまーす」

 周りの戸惑いの声がさらに大きくなる。

 結局、留まった人たちも、何が何やらと言う状態なのだろうか。

「これはどういうことなのでしょうか……。お店の人のミス……?」

 真白先生もまだ状況を理解していないようだった。

 そんな中、俺は一人胸を撫で下ろし、安堵のため息を漏らしながら心の中で叫んだ。

「ああ……。よかったあああ」

とりあえず恥をかかずに済んだようだ。


 店員が並んでいる一人ひとりに整理券を配り始める。俺の番号は83で、先生は84。先着100人だとしたら二人とももらえるが、そんな単純な決め方にはおそらくならないだろう。おそらく販売開始時刻になったら店員から詳しい抽選方法が聞けるはずだ。

「えー配り終えたのでー、んー、奇数の人があたりで、偶数の人は帰って大丈夫でーす。」

 ……単純どころか、もはや雑だな。

 店員の何気ないアナウンスで、あたり一面を覆っていた困惑の声が、さらに一層大きなものになる。喜びの声を上げる者、不満を漏らす者、隣の人に取引を持ちかける者。

 そんな中、真白先生は自分が外れたにも関わらず、俺の当選を喜んでくれた。

「徳居くんよかったですね……! 人生いいことありますから……、あまり深く悩んだりしないで……、なんかあったらいつでも言ってくださいね……!」

 どうやら先生の中で、俺は友達が居なさすぎて性格を拗らせてしまった痛い子となっているようだ。

「あ、ありがとうございます。大切にします」

もちろん『大切にします』なんて言うのは方便だ。転売をこれからするわけだから。

きっとさっき騙されたしまった人たちや、ここに残っている抽選に外れてしまった人たちが買うだろう。


 ……本当にそれでいいのだろうか。

 俺が今手に入れたこのフィギュアは、同時に誰かが欲しくて手に入れられなかったフィギュアでもある。

 これを売って儲けたとしても、その利益は俺が何か努力した結果では無く、買った人が余分にお金を払って損をしただけになる。

 何より、勘違いとはいえここまで生徒思いの先生が、俺のせいでフィギュアを買えなくなってしまっているのが何となく後味悪い。


 気がついたら整理券を先生に手渡していた。

「これ、先生にあげます」

 真白先生は驚きのあまり、いつも閉じていた目を一瞬だけ見開いた。

「え……、せっかく手に入れたのに、どうしてですか……?」

「いやー、ちょっと税込価格ってのを見落としてお金足りないんですよね」

 もちろん嘘である。フィギュアの代金と往復の交通費は一円単位でぴったり奈波からもらっている。これが本来の方便の使い方だろう。

「そんな……。数百円なら貸しますよ……」

「先生と生徒の間の過度な干渉はよくない、でしたっけ。なんたってほら、もともとサボりですし」

 最後の一言に対して、真白先生は『確かに!』と言わんばかりに両手で口を押さえた。

 今日1日で、普段の真白先生からは想像もできないような様々な表情が見れてなんだか新鮮だ。

「それじゃあ、残ってもやることないので帰りますね」

 そう言い残し、列から離れる。

「美術室に置いておきますから……! いつでも見に来てくださいね……!」

 背後からは真白先生の声が微かに聞こえた。

最後まで生徒思いな先生だ。


 これでよかったんだ。

 自分に言い聞かせながら、なるべく人通りの少ない道を通って駅に向かう。

 今時、お金を稼ぐ方法なんていくらでもある。

 それよりは、本当に欲しい人の元に届いたほうがフィギュアも幸せだろう。

 そんな俺を慰めてくれるように、どこからか、懐かしい電子音のメロディーが流れる。


 いや違う。

 これ、うちの電話の着信音だ。

 スマホをポケットから取り出す。やはり音の出所はここか。

 練習通りに静音のスマホにメールを送る。僅かに聞こえるバイブ音。しかし、固定 電話が繋がる気配はない。

なるほど。

 つまり俺は、こう言う時に限って成功率8割の残り2割を引いてしまったということだな。

 着信音が止んだ後、すぐさま2回目の着信が入る。

 出ようにも、用意しといた工作が失敗したとなればこちらにできることはない。

 もしこれで兄貴や親に電話が行ってしまえば……、いや考えたくもない。

万事休すか……。諦めかけたその時に、スマホから聞き覚えのある幼い声が聞こえてきた。

「おいしいおにいさーん。おでんわなってるよー。あれ、いないのかなー?」

 声の正体は希だ。そうか、土曜日なら幼稚園は休みなはずだ。

 姉譲りの不法侵入をしていることに関していえば将来が不安になるが、今はある意味功を奏したと言えるかもしれない。

「希、聞こえるかー」

「え、おにいさん、いるのー。どこー?」

「今はそこにいないんだ。紐がその辺にあると思うから引っ張ってもらってもいいかな」

「とうめいにんげんだ! とうめいのおにいさん、これひっぱればいいの?」

 希がそう質問すると、こちらが返事をする間もなく、紐が引っ張られ電話がつながった。

「もしもし、徳居です」

「ああ、ようやく出たね、徳居くん。学校からの連絡事項は特にないんだけど、一応体調を聞いておこうと思ってね」

 この声は学年主任の石田先生だ。世界史を担当していて、みんなからはお爺ちゃんとの呼び名で慕われている。

「すみません。ちょっとトイレ行っていまして」

「そうか。ご両親は今いないの?」

「えと……、仕事がちょっと忙しくて家では一人のことが多いです」

「誰にも看病してもらえないのか。それは大変だねぇ」

「いえいえ。なんとかやっています」

 深く詮索されないように、当たり障りのない返答をする。このまま電話を切る流れまで持っていけそうだ。

「じゃあー、のぞみが、かんびょうしてあげるー。おにいさんどこー?」

 希が元気よく宣言する。おそらく石田先生にも聞こえただろう。

 元はと言えば学校をズル休みすること自体がいけないのだが、ここまでトラブルが重なる自分の運の悪さを呪う。

 今日は厄日だ。

「えっと、徳居くん? 君、妹はいないはずだよね?」

「あの、えとえと、近所の子がたまたまお裾分けを持ってきてくれていて……」

「だからってねぇ。他所の子を家まであげるのは感心しないよ?」

「なななな、奈波の妹です。佐々木奈波。同じクラスの」

「はーい。あおみどりようちえん、エリマキトカゲぐみ、ささきのぞみでーす」

 エリマキトカゲ組ってなんだよ。喉まで出かかったツッコミをなんとか堪える。

「おお、元気がいいねぇ。そういうことなら安心だね。それじゃあお大事に」

「あ、失礼します」

 電話の切れる音を耳で確認してから、希に話しかける。

「希、実はおにいさん今家の外に居るんだ。また今度ね」

「そーなのー? じゃあ、それまでここでまってるー」

 ついに幼稚園児にまで自由に出入りされるようになってしまった俺の部屋。

 奈波と出会った頃は、早いところ鍵穴を変えようと考えていたけど、ここまでくるともはやどうでも良くなってきた。

 疲れたことだし、帰って早めに寝よう。希の遊び相手に付き合わされるかもしれないが。

 今日半日の、正確にいえばおよそ四時間の出来事を思い返しながら、俺は山手線の車両に一人ぽつんと座っていた。

 不幸にも真白先生と鉢合わせし、不幸にも謎の外部勢力に騙されそうになり、不幸にも居留守電話の仕掛けも不発。

 なんとかその場しのぎで乗り切りつつも、結局フィギュアも手に入れられず、これじゃあ学校サボり損だ。


 奈波には怒られるだろうか。

 いや、きっと「しゃーなし」で許してくれるだろう。

 せめて、今日使ってしまった交通費分くらいは返せるように、お金を稼ぐ別の方法を考えようと心に誓った。

 そんな哀愁漂う雰囲気を自分が醸し出していることを自覚しはじめた頃に、電車が 自宅の最寄駅に到着する。

 疲れからか、いつもよりゆったりしたペースで帰路に着く。

 しかし、俺の一日はここで終わらなかった。



「お、兄ちゃん久しぶり! なんかあんまり元気なさそうだな! ……まぁ、毎日閑古鳥が泣いているウチよりはマシだろうけどさ……」

「この西部劇の酒屋で絡んできそうな声は……」

 振り返るとそこには『自動屋』という謎の看板が掲げられたお店があり、ガラスドアの向こう側には元・ヌルヌルクレープ屋のおじさんが立っていた。

 相変わらずくたびれた様子だが、ガラス一枚挟んでもはっきりと聞こえるくらいの声量で俺を呼び止めるくらいには元気らしい。

 大袈裟な手招きのジェスチャーに誘われるがまま、俺は店の中へと入った。

「えっと、お久しぶりです。……ところで自動屋ってなんの店です?」

「おう! よくぞ聞いてくれた! これはなぁ、自動販売機を店内に何台も並べることによって、豊富な種類のドリンクのラインナップを実現しているんだぜ! それなのに、ここ1週間は来店ゼロっ。俺って商売の才能ないのかな?」

 相変わらず威勢の良さだけは素晴らしい。

 でも自動販売機を集めた専門店を作ってしまったら、自販機元々の機能が果たせていないのではないか……?

 いやしかし、ガシャポンのデパートがあるぐらいだし、一概に悪いアイデアとはいえないのかもしれない。

「ああ、せっかくクレープ販売車と引き換えに手に入れた賠償金500万円が底を尽きてしまう……」

 前言撤回。今すぐこの店を畳んでくれ。

 おじさんに罪はないが、賠償金500万円のせいで借金の催促をされている立場からしたら、そのお金を無駄遣いされるのはなんだか悔しい。

「そう、そこで! この店をたたむことにした!」

 俺の心の声と会話しないでくれ。

 相変わらずおじさんの独り劇を見せられている気分だ。

「この度は、お、お疲れ様でした……?」

「おう、ありがとな兄ちゃん。そこで……だ。売れ残りのジュースを全部買い取ってくれないか。250本」

「250本!?え、いくら?」

「超出血多量ウルトラ大サービス6980円」

 ちょうどフィギュアが買えなくて残ってしまった金額。

 なぜこちらの所持金をピタリと当てられるんだこのおじさんは。

 これだけ商売で失敗を続けながらも、生活をしていけているおじさんの図太さの理由が垣間見えた気がする。何気に賠償金も提示した満額で受け取っているし。


 ジュース250本、6980円、一本当たり約28円……。

 少し考え込んでからその要求に応じることにした。

「わかった、おじさん。全部買うよ。そのかわり、ついでに自動販売機一台付けて欲しいんだけど」


 またしばらく忙しい日々が続きそうだ。


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