二時間目:「自業自得で自給自足な自作自演」

 もう1ヶ月ほど経つだろうか、ここのところ学校帰りに毎日のようにスーパーに通っている。これも奈波のせいと言うかおかげというか……、例のカップラーメン事件のお詫びとして、本当なら一回だけご馳走になる予定だった夕食が、なんやかんやあって毎日食べることになってしまっている。

 というのも、佐々木宅でご飯を食べている最中に、仕事を早上がりしたらしい佐々木母とばったり遭遇してしまい、『あらあら〜』と勘違いされそうなところを咄嗟に、『引越しの挨拶に渡したカップラーメンのお礼』という、最もらしい誤魔化し方をしたが、どうやら奈波はうちのラーメン泥棒常習犯だったらしく、すぐにボロが出てしまった。

 今まで食べていたものが盗品だと知らなかった佐々木母は激怒し、一通り娘に説教した結果、この『逆通い妻形式』が始まった。

 流石に毎日は申し訳ないと断ろうとしたが、俺が一人暮らしだということを知った佐々木母に、『苦労しているんだねぇ……』となぜか涙ながらに同情されてしまい、勢いで押し切られてしまった。

「あいつ片親っぽいし、家事とか大変なんだろうな……」

 奈波の仕事量を、これ以上増やしてしまうのがかわいそうだったので、買い出しは自分がやると提案した。まあ今回に限って言えば、仕事が増えたのは奈波の自業自得だが。

 そんなことを思い出しながら、会計の済んだ卵とケチャップをリュックに詰めていく。



 スーパーから出ると、駐輪場にはクレープの移動販売車が見えた。『ちょうど小腹も空いたことだし、なんか食べながら帰ろうかな』なんて考えながら近づいたが……。

「……ヌルヌルクレープ? クレープ全品特製ヌルヌル生地……?」

「お、兄ちゃんいらっしゃい! と言ってもどうせ他の奴らと同じ冷やかしなんだろうな……」

 移動車の中にはやたら顔の濃い、くたびれたおじさんがいた。西部劇の酒屋で喧嘩を売ってきそうな見た目、といえば分かる人には分かるだろうか。

 あまりにも話しかけて欲しそうな雰囲気を出しているおじさんに、距離を保ちながらも先程の疑問を投げかける。

「ヌルヌル生地って……なに?」

「お、よくぞ聞いてくれたな。うちのクレープはなあ、俺が開発した特製生地を使っているからどれもヌルヌルで絶品だぜ!」

「えっと、生地がなめらかってこと?」

「まさしくその通り‼︎ なのに店を始めてから早3ヶ月、売り上げは未だに0! というかタピオカだけ! そのタピオカもせいぜい数千円! 俺って才能ないのかなぁ……。」

 怒涛の表情の切り替えを見せながら、おじさんは独り演劇を繰り広げる。

 気になる部分はいろいろあるが、とりあえずこれだけは言わせて欲しい。

「とりあえずヌルヌルっていう名前は変えた方がいいんじゃないかな……」

 正直食べ物に付けていい副詞じゃないと思う。

「ほう、それはいいことを聞いた! お礼にウチで一番ヌルヌルするクレープを食べさせてやろう!」

「え、あ、どうも」

「はい。ヌルヌルトロピカルハワイアンクレープデラックス980円ね」

いや金取るんかい。

 高いな、ヌルヌルトロピカルハワイアンクレープデラックス。


 買ったクレープに一口かじりついてみると、あの店主があそこまで自画自賛な理由が理解できた。確かにうまい。今まで食べたどのクレープよりも。というかどのスイーツよりも。いや、ひょっとしたら、今まで食べたどんな食べ物よりも。

思わずゆるい顔になってしまう。

「死ぬ前にもう一度これ食べたいな……」

「おいクソガキ。どけっ、死にたいのか」

「へ?」


 振り返るとそこには自動車がバックで目の前まで接近していた。なんとか間一髪で避けられたからよかったものの、ここは自動車進入禁止はず。事故になっていたらどうするつもりだったのか。『だとしたらクレープ移動販売車もアウトでは?』という点について、今は触れない。

「あれ?」

 そう言えば、何か大事なものを失った気がする。

「あ゛あ゛あ゛あ゛、俺のヌルヌルトロピカルハワイアンクレープデラックスぅ!!」

 咄嗟に避けた拍子に、手から離れたクレープは無残にも車の下敷きになっていた。

車から降りた強面の男は、レジ袋に入ったゴミをスーパーのプラスチック容器リサイクルボックスに捨てると、(そこはゴミを捨てるところではないぞ。)こちらを見向きもせずに車に戻って言った。

 しょうがない。今回は諦めよう。また今度クレープを買いにこよう。お店の売り上げにも貢献できるし。決してあの強面の男が怖くて何も文句が言えないわけではなくて。

 

 車が前進を始めた途端、車体が急に傾き、まるで何かを踏んでスリップしたかのように、ヌルヌルと横に滑り始めた。

「あ、そっちの方向は……」

ドーン!

 という、いかにもまずい音があたり一面に響いた。

「いてて……、おいそこの車! うちの店になんてことしてくれるんだー!」

「チッ、ゲロでも踏んだか。クソが」

「降りてこいー!車の修理費と車が直るまでの売り上げ弁償しろー! えーっと、500万円払えー!」

「売り上げって、タピオカと980円だろ……」

 そう言わずにはいられなかった。

 その後、強面の男が車から降りてくるのを横目で見つつ、俺はトラブルに巻き込まれないよう、アパートへと逃げ帰った。



「落ち着いたらまたクレープ食べに行くか……」

 そんなことを呟きながら、アパートのドアを開ける。

 玄関を抜けると、部屋の中には奈波が座っていた。

「へー、クレープ食べて来たんだ。だから遅かったんだ。へー」

「え、なんでこっちいるの……」

「彗斗帰ってこないし、暇だったから。こっち漫画とか置いてあるし」

 本棚一面を覆い尽くすほど大量にある漫画は、例によって兄貴が残していったものだ。

 それにしても相変わらずのガバガバセキュリティー。来月になったら鍵新しくしよう。


「……クレープはちゃんと自分のお金で買ったよ?」

「だよねー。うちが貧乏でそんなもの買えないのはわかってるもんね」

 口調は軽いが、奈波はいつもの様に真顔で、いつもより冷たい視線もこちらに向ける。

「……えっとなんかごめん?」

「そう言えば希(のぞみ)が幼稚園帰りに甘いもの食べるのが夢って言ってたなー」

「だいぶ現実的な夢だな。え、迎えにいってくればいい……ですか?」

 あまりの威圧感に思わず敬語が出てしまう。

「はいありがと。よろしく。いってらー」

「あっはい。いってきま」

 料理の準備を始める奈波を横目に、俺は希を迎えに出かけた。

 希は今年5歳になる奈波の妹だ。アパートから徒歩10分ほどの距離にある幼稚園に通っていて、いつもは奈波が迎えに行っている。奈波はとにかく希に甘く、カップラーメンを盗み始めたのも、希が食べてみたいと言ったかららしい。



 幼稚園まで後少しというところで、カラスと睨めっこをしている希を見つけた。

いや違う、どうやら言葉を教えているみたいだ。

「ぼくは、カラスの、カーちゃんです」

「……」

 当然カラスに返事はない。

「すきな、たべものは、しょくパンです」

「……カァ」

「うーんと、かぁ?」

「カァーカァー」

「すごーい、まねしてくれたー」

 目的と手段が逆になっている――、なんていう正論を可愛い幼稚園児に対して言うほど俺は野暮な男じゃない。

 こんな天然で天真爛漫な子とあの真顔クールな奈波が同じ遺伝子だなんて、今でも信じられない。


 そんな事を考えながらこの微笑ましい場面を眺めていると、希がこちらに気がついた。

「あ、おいしいおにいさん、やっほー」

 全力で手を振ってくれる希に応えて、こちらも3割くらいの力で手を振り返しながら歩み寄る。

「美味しくないよ。やっほー」

「きょうは、ななみちゃん、じゃないの?」

「今日はお兄さんの方が暇だったからね。そうだ、何か食べたいものある? 買ってあげるよー」

「ほんと!?やっぱりおにいさんはおいしいねー」

「美味しくはないよー」

 俺が奈波の家で夕飯を食べるようになってから、佐々木母の気遣いでどうやらいつもよりおかずが豪華になったらしく、それ以来希には、『美味しいお兄さん』と呼ばれるようになった。

 俺も親からちゃんと仕送りは貰っているし、流石に申し訳ないと感じて少しは食費を渡したいと思っているが、佐々木母が頑なに受け取ってくれない。

「てことで、希ちゃんが食べたいもの、なーんでも買ってあげよう。あっ、夜ご飯食べられなくなるくらい大きいものは無しで」

「のぞみ、くれーぷ、たべてみたーい!」

「できればクレープも無しで」

「ええー、くれーぷがいい!」

 さて困った。

 おいしいお兄さんは、美味しくない諸事情によって、クレープ屋に出入りできない状態なんだ……。

 交渉の結果、コンビニスイーツのクレープで手を打ってもらうことになった。一応奈波の分も買って帰ったが、家に彼女の姿はなく、二人分のオムライスと『ごめんね希。先に寝ててね』と書かれた紙置かれていた。奈波に連絡を取ろうとしたが、電話には出ず、『ごめん。明日話す』とだけラインの返信が来た。



 次の日、学校に来てからも、奈波はなんだか元気なさそうに見えた。一刻も早く話を 聞きたい気持ちもあるが、学校にいる間、奈波はずっと女友達と一緒にいるので、なかなかそういう訳にもいかない。

 まあ、昼休みになってからは普通に楽しそうにおしゃべりしているし、奈波に元気がないというのも俺の気のせいなのかもしれない。


「どうしたもんかね……」

 そんなことを呟きながら、奈波の様子を観察していた。

「佐々木さんと何かあったの? 徳居くん。元気なさそうだけど」

「おっ彗斗、佐々木との熟年離婚待った無し?」

 そう言いながら近づいて来た二人組。

「宇沢と、なんだっけ、性格良男くん」

「飯田ね。飯田依人(いいだ よりひと)。そろそろ覚えてね。そんなお人好しを体現したような名前じゃないよ」

 飯田依人。いい人、頼り、割と体現してるけどな。

「それよりさ、彗斗、奥さんと不仲なん?」

 そう聞いてきた宇沢は、ニヤニヤと嫌な笑みを浮かべている。

「奈波のこと? いや、奥さんじゃねえわっ」

「そうだよ、宇沢くん。法律で18歳未満は結婚できないの知ってるでしょ」

 飯田がフォローしてくれるが、違う、そこじゃない。

「まじかよ……。5歳くらいの子供がいるって目撃情報も出てるのにな」

 宇沢はポケットから取り出したメモ帳を覗きながら残念そうに呟いた。


 入学式の日からそのお人好しっぷりを発揮した飯田依人とその隣には野次馬根性旺盛な宇沢千裕(うざわ ちひろ)。

 なぜこんなに不真面目と真面目で正反対の二人が仲良いのかは謎である。

 そういえば俺がこの二人とつるみ始めた理由もよく覚えていない。

「徳居くんも、もし子供ができたらちゃんと認知はしないとダメだよ。シングルマザーは大変なんだから」

 飯田の真剣な表情を見る限り、どうやら冗談のつもりではないらしい。

「いや、結婚してないって。ていうか、俺と奈波が付き合っているのは、前提条件なのか?」

 そう返すと、二人は顔を少し見合わせてから、当然のような口調で、

「え、そりゃなあ」

「佐々木さん、徳居くんと話すときだけ口調違うし、最近お弁当も作ってもらってるじゃん」

 弁当に関しては、奈波が『どうせついでだし、菓子パンばっかじゃ体壊すでしょー』と言われただけ、なんてこいつらに言っても意味がないだろう。


「口調が違う、か……」

 さっきまで眺めていた奈波とその友達に視線を戻す。

「ハンパないね。マジ、パナソニック」

「でしょー、しかもそれだけじゃないの」

「やば、やばネットたかたじゃん」

「いや、奈波流石にネタ古すぎ」

「まじか。ウチ、アウストラロピテクスかも知んない」

「なにそれ、ジワるんだけど」

「あ、ごめ、ちょっと、トイレでお花積んでくる」

「いや隠語。隠れてない、隠れてない」

 やたら変な語録で喋っている方が奈波だ。

 そういえば入学式の日も、何となく変なテンションだとは思っていた。学校にいるときはいつもテンション高めなのに、家だと表情のバリエーションが真顔の一つしかない。どっちが素なんだろうか。


「まあ、奈波とは家族ぐるみの近所づきあいしてるってだけ。それ以上はないよ」

 その言葉に反応して、宇沢はシャーペンを取り出し、熱心な様子でメモ帳に何かを書き込み始めた。

「なるほど、両親にはご挨拶済みと……」

「いや、あいつの家シングルマザー」

 その何気ない一言が飯田の親切心に火をつけたらしく、両手でこちらの肩を掴見ながら熱弁をふるってきた。

「やっぱりそうなんだね。徳居くん、時々喧嘩するのはしょうがないけど、佐々木さんが辛いときはちゃんと支えてあげてね」

「ふむふむ、シングルマザーっと」

 宇沢の文字を書く速度がさっきよりも上がる。

「おい宇沢、その物騒なメモ帳しまえ。良男も止めろ」

「依人ね、徳居くん。もう、ワザとでしょ」

 そんなやりとりをしていたせいなのか、昼休みが終わるまで奈波がトイレから帰ってこないことに気がつかなかった。



 そして放課後、いつものように声が小さい真白先生の代わりに、依人が独り言風ホームルームを繰り広げた。

 今日、奈波は予定があるらしく、『夕食作れないからどこかでテキトーに食べてきて』とだけ言い残して、すぐに教室を出て行ってしまった。こうなったらあの二人を誘ってどこか遊びに行こうかな、なんて考えていたその時、背後から不意に呼び止められた。

「徳居くん……、今日この後お暇ですか……?」

「うおっ、あ、真白先生。一応、友達誘ってカラオケかなんか行こうかと思っていたんですけど……」

「佐々木さんから何か聞いていませんか……?」

「いやー、なんか今日話しかけづらくてー」

「ダメですよ……! 徳居くん……っ。こう言うときは男の子がしっかりしないと……!」

 真白先生が今まで聞いたことのない声量を出しながら、手を握って来た。

 え、先生の手冷たっ、ていうか奈波との関係、先生まで誤解してる……?

「あ、はい。帰ったら聞いてみようと思います」

「そうですね……、なるべく早く相談に乗ってあげてください……。先生はもうダメかもしれません……」

 落ち込んでいた先生は、いつもよりしおらしく、小さく見えた。

 その後宇沢と依人を遊びに誘ったが、今の話を聞かれていたのか、『佐々木さんに電話してあげて』、『後を追え』、と無言のジェスチャーをもらってしまった。



 学校の最寄り駅まで歩きながら、みんなの意見に従って奈波に電話をかける。

「もしもし、もすもす、モスバーガー。こちら奈波でーす」

「あ、いや俺なんだけど」

「なーんだ彗斗か。どうしたの?オレオレ詐欺?」

「違うわ。別に大したことじゃないんだけど、なんか昨日から元気ないみたいだから、なんかあったのかなって」

「あーね。ちょっと色々あって、今日だけじゃなくてしばらくご飯作ってあげられないかも」

「いや、それは別にいいんだけど、『色々あって』の部分が気になると言うか……」

「あー、それは……」

 聞かれたくないというオーラを全面的に出しながらも、観念したように奈波は言葉を絞り出した。

「……ウチ学校辞めるっぽい」

「え」

「ちょっとお母さんがね、あ、ちょっ、何すんっ……」

 突如向こう側の音声がスピーカーモードになり、知らない男の声が入る。

「あー、もしもしー?君この子の友達? いやーこいつ家の借金があってさ、学校を辞めるって他の友達に言っといてくんない? それと、今から契約とかの大事な話をするから、もう電話してこないでねー」

 一方的な主張に、どう言い返すか考えるような暇もなく、突如電話が切られた。

 あまりの急展開に、高校生の俺には事態が飲み込めず、その後もしばらく無音のスマホを耳から離せずにいた。

 さらにもう少しして、我に返り、急いで掛け直してみたが、当然のように奈波のスマホの電源は切られていた。



 やばい、やばい、やばい、やばい。

 どうする?

 逆に、どうしろって言うんだ、

 電話相手は誰、

 奈波はどこ、

 自宅か?

 いやそんな訳ない。

 とりあえず落ち着かないと、

 息を、


 ―−吸って、


 吐く――。


 

 何度か繰り返しているうちに少しだけ頭が回るようになってきた。

 そうだ、そういえば、最後スピーカモードになった時に周りの雑音が少しだけ聞こえた。奥の方で聞こえた店員を呼ぶボタンの音、ということは、飲食店? そこで何やら『契約』の話をするらしい。

「落ち着いて話ができるところ……、ファミレスかな」

 スマホのマップ検索で、『自宅最寄り駅から学校最寄り駅』までの駅周辺のファミレスを探す。総数26件、ダメだ、全部回ってたら時間が掛かりすぎるし、そもそもこの中のどれかにいる保証もない。


「お困りかい? 少年」

やたらと都合いいタイミングでかかるこの呼びかけ、なんか覚えがあるな……。

「その声は……、やっぱり古月か。なんか久しぶりだな。悪いけど、今構っている時間はないんだ。後にしてくれないか」


 古月は、入学初日に馴れ馴れしく話しかけてきた割に、普段あまり話す機会はない。同じクラスのはずなのに、気がついたらいなくなっている。行動が読めないのは初対面の時のイメージ通りだが、意外にも普段は物静かなやつだった。

 ただ時々、奈波から弁当を受け取る時に、『ラブコメね!』と宣言し、しばらくこちらを観察したあと、『あーんとか、そう言うベタな展開はないのね……』となぜか残念そうにしている。(サッカー部の人によると、顧問の先生が熱い説教をしたタイミングで、突如現れ、「スポ根ね!」と宣言し場を凍りつかせたことがあるらしい。)


「静音でいいわ。そうね、あなたには時間がないわ。急いでこっち来なさい」

「あ、ちょ、ほんとに今は無理なんだって」

 口ではそう言いつつも、古月に手を引っ張られ、駅前の駐車場まで連れてこられてしまった。


「少年改め、彗斗くん。話は全部聞いたけど、君はどうやってファミレスを回る予定なの?」

「どうって、そりゃ、走るか家に帰って自転車を取ってくるか、どちらにしろ急がなきゃ。えっ、静音、お前それ、もしかして……」

「当然バイクの方が早いわね」

 一体どう言う収納方法をしているのか、静音はスクールバックの中からヘルメットを2つ取り出した。

「お前、バイク通学は禁止のはず……」

「私なりに言い換えれば、これは舞空術。こういうこともあろうかと習得しておいたの。説明は後よ。乗って!」

「……てことは、お前16歳になっていたのか……。なんかごめん、誕生日おめでとうございました」

「今度ジャンプ奢りなさい! 来週号の!」

「安っ……! 薄々思っていたけど、お前やっぱり少年漫画好きか。納得した」


 その後、静音の協力もあって、30分のうちに7件のファミレスを回ることができた。そして、8件目となる自宅最寄り駅徒歩15分のファミレス、そこには見覚えのある車が一台あった。

「彗斗くん、ここで待ってるから、見つからなかったら急いで帰ってくるのよ」

「分かった、すぐ戻ってくる」

口ではそう言いつつも、ここに奈波がいることをなんとなく察していた。あの車だっておそらく偶然じゃない。

 そんな俺の予想は見事に的中し、遠目からファミレスの一番奥の席に奈波と二人の男が座っているのが見えた。

 後ろを振り向くと、静音は全てを理解したかのように、こちらに目線を合わせながら右手で心臓を二回叩き、グッジョブのハンドサインを送ってきた。

 そのサインの静音らしさに、思わず顔が緩んでしまったが、こちらも合わせて同じサインを返した後、奈波の元へ向かった。

「――ごめん。待たせた」


 今思えば、静音とのやり取りで、雰囲気に酔っていたんだと思う。

いや、分かってたけどね。

 漫画のようテンションでカッコつけて登場したら、そりゃドン引きされるよ。

でもそこまでいうことないじゃん。

「え、待たせたって、何? キメ顔してるけど、君誰? 何しに来たの? あ、さっき電話した友達の人か。え、ほんとに何しに来たの?」

 奈波の正面に座っていた二人の男のうち、いかにもずる賢しそうな方がそんな現実的な言葉の暴力をこちらに浴びせてきた。助けを求めようにも、奈波は落ち込んでいるのか、知り合いだと思われたくないのか、顔を下に向けていて目が合わない。

 こんな状況を男子高校生のメンタルで耐えられるはずもなく、続く言葉も言えずに、思わず椅子に行儀よく座ってしまった。

「ひょっとして、話を聞きに来たの? 暇だねぇ。その勇気に免じて教えてあげてもいいけど……、どうすか兄貴」

「知らん、勝手にしろ」

 どうやら上下関係が二人の中にあって、ずる賢そうな方は弟分、強面の方は兄貴分らしい。

 許可を取れたことで気分が高揚したのか、弟分の男は、さっきよりもわざとらしい口調で、より饒舌に喋り出した。

「うい、いやーこいつの父親がクッソ野郎でね、借金残して消えちまってさ。今までコツコツ返してもらってたんだけど、奈波ちゃんだっけ? お母さんが過労でぶっ倒れちまってさ、返せる人がいなくなっちゃったねー、じゃーどうする? っていう話なんだよね」

「え、あっ、過労!?」


 つい三日前は元気だった佐々木母が、過労で倒れるなんて信じられなかった。

 その動揺が収まらないながらも、一つの疑問が頭の中をよぎる。それと同時に、兄貴分の方の強面の男を見て、入る前の悪い予感が的中したことを確認した。

「んまあ、奈波ちゃんからしても借金は亡くなった方が嬉しいだろうし、働く場所もこっちは紹介できるしさ。いやなに、肩たたきの延長みたいなもんだよ。来月から働くことになったんだよね?」

 弟分の男がそう言うと、奈波は無言のまま、小さく、本当に小さく、頷いた。

 表情は見えなかったが、その肩は震えていた。

「話が早くて助かるよーこっちも急に金が入り用だったからさ。ね、兄貴」

「うるせえ、殺すぞ」

 そう思い出した。こいつは確か――。

「クレープ屋で車を事故らせてた……」


 口にした瞬間、二人の男は急に血相を変え、こちらに鋭い視線を向けた。

「おい、クソガキ、今なんて?」

「ねえ君、今の話、詳しくしてくれないかな?」

 完全に余計なことを口走ってしまったらしい。

 今の気持ちを一言で言うなら、今までの人生で一番の『あ、詰んだ』である。

「いや、その……、なんて言うんですかね……」

 とてもじゃないが誤魔化せるような雰囲気じゃない。

「おい、はっきり言えや」

「いいよ、時間はいくらでもかけていいから、全部話して?」

 次々と、厳しい言葉と優しいようで優しくない……、つまりは結局厳しい言葉が交互に襲いかかってくる。その恐怖に怯えながらも、現状を少しでもマシに変えるような言葉がないか、模索しては口から絞り出す。

「えっと、事故って起きたら、保険会社とか呼ぶんですかね……」

「入ってねえよ、そんなの」

「そう言うことじゃなくて、事故を目撃した件について、もっと聞きたいなー」

 相変わらずコンビネーション抜群の問い詰めに、意を決して反撃を入れてみる。

「え……と、なんか起こした事故の損害を他人に払わせようとしてるみたいだなって……」

 ……。

 あ、終わった。男二人がなんか小声で相談し始めたし、なんか強面の方が『ガキは殺すとバレやすい。』とか言ってるし、何やら走馬灯のようなものが見えてきたし。


「あのさ、君このあとついてきてもらってもいいかな。場所変えて詳しく話し聞きたいんだよね。」

 弟分の男の口は微笑んでいたが、目は笑っていなかった。もうダメかと覚悟を決めた瞬間、ずっと無言だった奈波が口を開いた。

「彼は関係ないです。私がちゃんと働けば問題ないですよね。」


 なぜ今日一日学校では気がつかなかったのだろうか。奈波の目の下は真っ黒だった。おそらく一晩中泣いていたのだろう。

「でも、お前、学校は……」

「お母さんにばかり働かせちゃかわいそうだからね……。もともと高校卒業したら働くつもりだったし、あんまり変わんないよ」

 その言葉を聞いて、気づいてしまった。今まで、奈波に気を遣わせていたことを。

 奈波の母親が過労で倒れた原因は、俺への食費が原因ではないか、少しだけ感じていた疑問が確信へと変わった。同時に、吐きそうなほどの罪悪感が、胸の奥の方からこみ上げてくるのを感じた。

「もう大丈夫だからさ……、ありがとね?」


 今まで俺にはほとんど真顔しか見せなかった奈波。

 必死に笑顔を演じようとしていることはわかったが、その瞳には正直に、残酷に、あふれんばかりの涙を浮かべていた。

 どうしてこんなことになってしまったのか。

 俺が関わらなければ奈波は不幸にならなかったのか。

 あの時クレープなんて買おうとしなければ、ここまで話は大きくならなかったのか。

 ああ、そうか。

 昔から、いつもそうだ。

 同じ失敗を繰り返して、周りの人を不幸にした。

 後悔が、何度も自分の中を巡って、否応無しに過去のトラウマを掘り起こす。


 頭の中で、何かの弾ける音がした。



「貸金業法はご存知ですか?」

「……あ?」

「貸金業法第4条に、『貸金業者は取り立てにおいて、債務者の生活を侵害してはならない』という条文があるんですけども、佐々木奈波さんは高校生なので、働くことによって学校を辞めさせる場合、それまでにかかった金額をそちらが補償するのは当然ですよね?」


 自分のものとは思えないほど口がよく回る。

「急に饒舌になったね、君。何が言いたいのかな?」

『饒舌なのはお前の方だろ』という言葉が頭を過ぎったが、なんとかして飲み込む。 今は気持ちのこもった本音よりも、薄っぺらい嘘の方がうまく言える気がした。

「この場合は、受験料、入学費、授業料がそちらの補償対象ですね。失礼ですが、奈波さんの借金の総額がいくらか御尋ねしても?」

「……300万ぐらいだね。この子の父親とは知り合いだから、その情けで利子は取ってないよ」

「なるほど、そこから先ほどの金額分差し引いて、そちらの取り分は最終的に100万に届かないほどの金額になりますね」

 嘘だ。

 こんな法律全く知らないし、高校の費用も多分そんなにかかってない。

「いやさ、君、高校生だよね? 言うことを全部、信じてもらえると思わないで欲しいんだけど」

「僕はただの高校生ですが、兄が優秀な弁護士でしてね。色々と教えてもらえるんですよ」

これも大嘘。

 兄はそんな立派な人間じゃないし、ここ数年喋ってない。

「おいクソガキ、言いたいことはそれだけか」

「君の言いたいこともわかるんだけど、こっちもお金が要るんだよね。理由は君も知っての通りなんだけど」

 今までよりも二人は怒りを露わにした様子で詰め寄ってくる。

「それに関しても問題ないですね。例の移動販売車の過去の売り上げを調べていただければ分かりますが、営業利益の補償はほとんど0になるはずです。弁償金額は車の修理費用のみで、50万円ほどでしょう」

 ごめん。クレープ屋のおじさん。

 この状況で、背に腹は変えられない。


「だからって借金返さなくていい理由にはならないよね」

「ええ、そうです。佐々木奈波さんの母親も数週間ほどしたら退院できるらしいので、療養期間含めて卒業までには返済の目処が立つでしょう」

 頼む、これで引き下がってくれ。これ以上喋ったらどうやったってボロが出る。

 その願いが通したのか、二人は目を見合わせ、ほんの数秒の沈黙が流れた。

「まあそれでいいか、元々借金なんて――」

 先に口を開いた兄貴分を止めるように、弟分が話を割り込む。

「OK、分かった。君の頑張りに免じて卒業までは待ってあげることにするよ。その  代わり、そのあとはこっちの言うことに全面的に従ってもらうよ?」

 そう言い残して二人は、何やら小声で話し合いつつ、足早にファミレスを後にした。

「自分で頼んだものくらい払ってけよ……」

 口では文句を垂れつつも、二人の耳に届かない事を祈っていた。


 なんとか修羅場をくぐり抜けて、奈波に何か気の利いた言葉をかけようとしたが、疲れと安堵からか、さっきまでの饒舌が嘘のように何も言葉が思い浮かばない。

 気まずい空気が流れる中、すっかり元の無表情に戻った奈波が先に口を開いた。

「彗斗って何気に法律詳しいんだね」

「うっ、残念だけど、その辺全部でっち上げの嘘……」

「へー、道理で。めっちゃ早口でオタクみたいだなーって思ってた」

「うぉいっ、めちゃくちゃ頑張ったからな?」

「……ありがとうはさっき言ったからね」

 よかったいつもの奈波だ。

「まぁ、300万なんて、バイトめちゃくちゃガチればなんとかなるっしょ」

「……うちの高校バイト禁止だぞ」

「えっ、その話はでっち上げの嘘?」

「めちゃくちゃガチ」

「ごめん。もっかいだけ泣いていい?」

「いいけど、早いとこ終わらせて希を迎えに行かないと」

「そういえば夕食も作ってなかったっけ。萎えるー」


 二人の会話もいつものように戻っていた。

 5月13日、金曜日、時刻は18時38分。


 卒業までに奈波の借金を返済する二人の物語がここから始まった。

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