一時間目:「予習と復習とその他etc……」

 四月八日。朝7時47分。

 スマホのアラームのスヌーズが3回目に突入する頃、ようやく観念して起き上がる。一人暮らしに慣れてきたのはいいが、こんな風に遅刻ギリギリの時間に最初から合わせて行動してしまう癖はいつか直さないといけない、とは一応思っている。

「入学式は、流石に遅刻するわけにはいけないからな」

 個人的一人暮らしあるある、独り言増えがち。

 トースターがうちには無いので、フライパンで焼いた食パンを食べながら、制服に着替えながら、リュックに入学資料を詰める。こういった書類は必要ないと感じていてもなんとなく学校に持っていってしまうものだ。

 一通り準備を終えたら歯磨き兼洗顔兼寝癖直しを三分ですませ、ベルトとネクタイを締めながら、玄関の鍵を閉める。

 郵便受けにはチラシやら水道屋のマグネットやらが溢れんばかりに詰め込まれているが、当然のようにスルー。

 宛名プレートに「徳居勇斗」と書かれてある通り、ほとんどの郵便物は家主の兄貴当てで、無視していいことになっている。もっともその家主は彼女と同棲なんて始めるものだから滅多に帰ってはこないが。

そんなことを考えている間に、駅に到着する。時刻は8時12分。これならぎりぎり  間に合う……。

「……定期券がない」

 わなくなってしまった。

 当然、家に取りに帰るような時間はない。

「ええと、学校までの運賃は……」

「210円よ」

 

 声の方を向くと、そこには眼鏡をかけた少し地味な風貌の女子高生が立っていた。『ポニーテールを1ヶ月放置したような髪型』といえば伝わるだろうか。

 着ている制服から、同じ高校の生徒だということがわかる。

 彼女に軽く会釈し、ホームへ向かう途中、「君とは近い将来また会える気がするわ」と呟くのが聞こえた。あれか、不思議ちゃんというやつか。


「ところで少年!」


 いきなり呼び止められ、思わず立ち止まって振り返ってしまった。

「ここの路線図、北斗七星に似ていると思わない?」

 前言撤回。不思議ちゃんなんてもんじゃない。ただの変人だ。

 そして、そのやりとりのせいで電車にはコンマ数秒間に合わなかった。



 その後、学校の最寄り駅には予定の10分遅れで到着する。流石に学校を初日からサボるようなワルにはなりきれないので、遅刻するとわかっていても精一杯抗うように走る。

 それにしてもさっきの変な少女は何だったのだろうか。もしうちの学校の一年生だったら遅刻確定だが、果たして大丈夫なのだろうか。というか、あの変な喋り方を初対面の人全員に対してしているのだろうか。

「また会ったわね。少年」

「そうそう、こんな感じの喋り方で……」

 え?

 思わず二度見をしてしまう。そこにはママチャリにまたがった、さっきの不思議ちゃん改め変人がいた。

「説明は後よ。乗って!」

 そのセリフの勢いとなると、せめてバイクくらいは用意してほしいものだ。

 まぁ、バイク通学は禁止だが。

 迷っているような時間は無さそうなので、とりあえず後ろの荷台に座らせてもらうが、彼女は二人乗りに慣れていないのか、バランスがうまく取れないようだ。

「攻守交代よ。後ろは任せて」

 なるほど。

 思っていた以上に面倒くさい性格だ。

 しかし、他に選択肢もなさそうなので、言われるがままママチャリの前を漕ぐことになってしまった。

 

 もう既に、ここまでで彼女に対する疑問の数が、両手で数えきれないくらいになっているが、最初に聞きたいことは当然決まっている。

「お前、どうやってここまで来たんだ?」

「舞空術よ!」

 舞空術か、なるほど。

「……とはならねーよ!」

「そこの角を右に曲がると近道よ」

「あ、了解」

 流されるように、狭い裏路地へとハンドルを切る。

 まだ俺の高校生活は始まってすらいないが、例の泥棒JKも含めて女子高生という生き物の生態について、不安を感じずにはいられない。それともここまで馴れ馴れしいのは、自分が覚えていないだけで、昔の知り合いだったりするのだろうか。

 そんなことを考えている内に、見覚えのある学校前の大通りに出ることができた。これならギリギリ間に合いそうだ。

「あー、名前……なんて言うんだっけ」

 校門で自転車を止め、初対面じゃなかった時の保険を残しつつ、それとなく振り向いてみる。しかし、そこに彼女の姿はなく、一枚の紙切れが残されていた。

『駐輪場は裏門から回った方が早い。

By 謎の美少女』

 美少女かどうかは正直微妙なところだと思う。



 急いで自分の教室、1年4組の前までいくと、中からはまばらな拍手やら話し声やらが聞こえてきた。

 どうやら、新クラス恒例の自己紹介タイムが始まっているらしい。

すなわちこの時点で、今年一年クラスに馴染めないことが、ほぼ決まってしまったわけだが。

 こんな時のために持ってきた入学資料をリュックから取り出す。クラス内の席は名前順に並べられており、自分の席は後ろから二番目の廊下からみて三列目、つまり、遅刻を気づかれずに着席するのは不可能ではない。

 大丈夫。こういうのには慣れている。

 教室の後ろ側の引き戸へと回り、音を立てないようになるべくドアの下の方に手を添え、ゆっくりと開ける。そして荷物を持ったままでは遅刻してきたことがバレバレなので、一旦教室の外にリュックを置いておき、拍手が起きたタイミングで紛れ込むように教室に入る。   

 椅子を引くときは全くの無音だと逆に怪しまれるので、目線を引かない程度に音を立て、軽くストレッチをするフリをしながら着席する。

 後ろの席数名には若干不自然に思われたかもしれないが、教室の大半の人たちには座る姿勢を変えるために椅子を引いた程度にしか思われないはず。万が一聞かれたら、適当にトイレにでも行ってきたことにすればいい。自己紹介の番もまだ回ってきていない。

 大丈夫だ、問題は無い。

 そう思っていたが……。


「5分半の遅刻ですね……。徳居彗斗くん」

 突然の呼びかけに思わず体が跳ね上がってしまい、その反動で前に倒れてしまった机が、ここまでの努力を無駄にするかのように轟音を立てる。

 後ろを振り向くと、右後方50センチほどの距離にマスクをした長髪で糸目の女性が、顔の高さをこちらに合わせるように少し屈みながら俺のリュックを持って立っていた。

「担任の真白染乃花(ましろ そのか)です……。担当教科は美術です……。よろしくお願いします」

 そのマスクのせいで表情は見えないが、おっとりした雰囲気の優しそうな人だった。もしかして気を遣って声を抑えてくれているのだろうか。

 なんて考える余裕が今の俺にあるはずもなく、突然の出来事に気押され、先生の言動が全て不気味なものに見えてしまい、怯えながら『すみません』と繰り返し呟くことしかできなかった。もし先生がここで口裂け女だと名乗っていたら、あっさりと信じただろう。

 その思惑が伝わっているのか伝わっていないのか、真白先生はにっこりと頷いてくれた。

「それにしても……、入学式に遅刻する人は初めてですね」

 動揺を隠し切れないままリュックを受け取ると、先生は足音も立てずに、ちょうど今自己紹介を終えた人と入れ替わるように教卓へ向かった。

「みなさ……、この……にゅ……ですので、……時間にま……くださ……」

 どうやら声が小さいのは元々のようだ。

 何故か途端に落ち着きを取り戻すことができた。


 話がおそらく終わったタイミングで、教室の一番右前の、つまり出席番号一番の男子生徒はかなり大きめな独り言を言うように、

「えー、今先生が話してくれたようにっ、自己紹介が終わり次第体育館に移動するけどっ、入学式までまだ時間があるからっ、残りの人たちはもう少しゆっくり話してもいいよってことだねっ」

 なるほど、後ろの席の生徒にも聞こえるように先生の話していた内容を復唱してくれたということか。おそらくクラス全員がこいつはいい奴と認識したであろう。

 ありがとう。

 遅刻した都合で自己紹介を聞けなかった、名前も知らない性格良男くん。



 その後も自己紹介は無難に続いたが、なぜ今まで気づかなかったのか、まあ気付く余裕が無かっただけなのだが、ちょうど自分の右隣の席の、ものすごく見覚えのある女子生徒の自己紹介に思わず釘付けになってしまった。

「えっと、佐々木奈波(ささき ななみ)です。部活は多分入りません。よろしくー」

「あの時のドロボウー!」

 と叫ばなかった自分を褒めてあげたい。

「え、同級生? だっ、あれ、制服着て、え、あの時、春休みじゃ」

 叫ばなかったとは言ったが、無反応とは言ってない。

 おかけで頭が真っ白になって自分の番ではろくなことが言えなかった。……いやこの際そんなことはどうでもいい。


 着席をすると同時に隣の泥棒JKに問い詰める。

「お前、こないだ会った奴だよな」

「ちがうよー。超初めましてー、ヨロシクー」

 わお、素敵な笑顔。こんな状況じゃなかったら、きっとトキメキを感じていただろう。

「いや、カップ麺盗まれたんですけど!?」

「……バレたんならしゃーねっ。ちくせう。」

 そう言いながら、この泥棒猫は背もたれを正面にして、こちらを向くように座る体勢を変えた。なぜバレないと思った。あと急に真顔になるな。反応に困るだろ。


 はたから見たら青春している二人なのかもしれないが、こっちは必死だ。

 聞きたいことは山ほどあるが、こうしている間にも自己紹介は進んでいる。なんとか入学式が始まるまで時間を稼げないか教卓の方を見てみると、これまた見覚えのある女子生徒が自己紹介を始めようとしていた。例の不思議ちゃん改め変人改め自称美少女メガネである。ここまでのあまりの情報量の多さに、思わず目眩を覚えてしまう。

 なんとか自己紹介を引き延ばしてもらえないかダメ元で視線を送ると、メガネ少女は全てを理解したような表情で、こちらに目を合わせながら右手で心臓を二回叩き、グッジョブのハンドサインを送ってきた。いや、そのポーズは知らんけど。

「〇〇区立第四中学校からきました。古月静音(ふるづき しずね)と申します。中学校の頃は吹奏楽部に所属していました。好きな言葉は友情と努力と勝利と、そして……」

 話を引き延ばそうとしている所を見ると、とりあえずこちらの意図は伝わったようだ。今は目の前の女子生徒との会話に集中しよう。


「えーと、佐々木さんだっけ」

「ん、奈波でいいよ〜、ヨロシクね〜」

 わあ、100万ドルのスマイル。ロマンスな予感。

「じゃ、ナナミで、よろしくー、……じゃなくて!」

「まぁ、そういう反応になるわな」

 ナナミの表情がまた超絶真顔に戻る。

 こいつ、テンションの上下激しすぎないか。営業スマイルってやつか?

「……話戻すけど、あの時どうやって部屋に入ったの?」

「えっとー、悪気はないんだけどー、隣だったから部屋間違えちゃって、カギがぼろかったみたいでー、空いちゃったみたいなー」

「いや、言い訳雑っ」

 ていうかうちのアパートセキュリティーガバガバじゃねえか。確かに家賃はめちゃくちゃ安いって兄貴が言ってたけども。

「え、今更だけど、悪いってわかっているんだよね?」

「そりゃもう、一切、合切、ごめんなさい、って感じです。すみませんでした」

 一応頭を下げる程度には悪いと思っているらしい。でも何故だろう、小馬鹿にされているような気がするのは。

「まあ反省しているなら、俺としても入学早々問題を起こしたくないし、同じもの買ってくれれば」

 その言葉を聞いた奈波は、少し考え込むような仕草を見せてきた後に提案してきた。

「夜ご飯ご馳走するからそれでチャラでもいい?」

夜ご飯? ファミレスかどこかで奢ってもらうことになるのか?

 ……なんだか釈然としないが、思い返してみればカップラーメンを買ったのは兄貴、もともと損はしてないし、タダ飯になるならそれでもいいか。

ひとまずその場はうなずくことにした。


「ん、じゃあ放課後ウチんち来てねー。」

「え……、自宅? ていうか手料理??」

 奈波は表情を変えることもなく『そ、となりの部屋ね』とだけ言い残し体の向きを前に戻した。

「あと……、愛しさと切なさと心強さとその他etc……です」

 教卓の方ではようやく名前が判明した自称美少女の古月静音が、好きな単語について語り始めてから5分ほどが経過していた。

 その後、性格良男くんの声掛けにより、クラスメイト四十人はスムーズに男女に別れ、入学式の行われる体育館に向かうことになった。こういう部分は、さすが公立の進学校という感じがする。それとも中学までの自分が不真面目すぎただけなのだろうか。



 入学式は、全く未知の校歌を歌わされたこと以外、特に何事もなく進んだ。他の生徒も緊張が解けてきたのか、後ろの方から雑談の声が聞こえてくる。

別に聞き耳を立てていたわけではないが、なんというか、こう、自分が話題にされていると、どうしても意識してしまうものだ。

 正直ここまでの自分の行動(主に自己紹介)で自分がクラスの中で若干浮いていることに流石に気づいてはいるが、わざわざ弁解しに行くのも、なんだか自意識過剰な人みたいで気が引ける。

 今は校長先生のありがたい話を聴きながら時間が過ぎるのを待つしかない。

「えーそれでは、新入生代表挨拶、助平孔明(すけひら よしあき)君」

「はい」

 壇上に上がったのはカチッとした感じの七三分け(見た目で言うなら8:2だけど)でメガネをかけた真面目そうな男子学生だった。メガネ=真面目という個人的法則は、ついさっき古月静音のせいで崩れたばかりだが、何やら小難しい話をしているので、今度こそは本物だろう。

「―ということになります。最後に、皆さんには高校生活を送るに当たって、性行には避妊が付き物であること、自らの強い意志を持って行動することが大切だと言うことを伝え、話を終えたいと思います」

 成功には否認がつきもの?

 なるほど……よく分からん。

 まあしかし、大人しそうな人だし、クラスも違うしでおそらくこれから関わることはないだろう。

 そう、この時点ではそう思っていた。

 この先自分の身に起こること、ましてやこいつの本性なんてこの時点では知る由もなかった。

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