第256話 私とみんなの温泉宿(13)

 ハミガキをしながら、ふと目に入る。

 姉さんにしてもらったキレイな爪。

 ぽかぽかと胸があたたかくなって、なんの気なしに、くちびるで触れた。


 ああ、ハミガキ粉ついちゃう――


「んむぐっ。……お、おふぁよ」

「ええ、おはよう、ユミ」


 めっちゃ見られてた。

 鏡ごしにゆったりと笑う姉さんは、まるで自分の成果を誇るような、そういう風に……見えるような見えないような。


「朝ごはんの準備ができているわよ」

「う、うん」


 ひらひらと手を振って鏡の外に去っていく姉さん。

 なんとなくいたたまれなくてもごもごとハミガキを続ける。


 あの空間でも夜を明かしてるわけで、なんだか時間感覚がちょっとあいまいだけど……続けざまの温泉旅行から帰った、その次の日。


 あんなにも色濃かったのにカレンダーの日付はひとつしか進んでいないことに、なんだか夢でも見ていたんじゃないかって気分になってしまう。


 だけどイヤリングとぴかぴかの爪はたしかにここにあって……約束ごとも、もちろん夢なんかじゃない。


 冷静に考えると。

 たった一日で、このありさま?

 昨日までの私と今の私って本当に同じなんだろうか。

 ちょっとあんまり信じれない。


 そう思うと、あの温泉宿はヤバすぎる。

 いままでの経験則からしてもゼッタイ封印すべきだ。

 またロクでもないことになるってわかりきってる。


 ――そのいっぽうで。


 だけど考えてみてほしい。

 視点を変えれば、あのカードはたった一夜を二泊三日にまでふくらませたということで。


 それ、めちゃくちゃ便利なんじゃない?


 来年に受験を待つ身としては、っていうかそんなの関係なくたって、一日を何倍にもできるって考えるだけで悪用はいくらでも思いつく。


 そうなってくると、たんに封印するのももったいない。


 これを有効活用するのは、どこにでもいる女子高生な私がみんなを一生幸せにするためには欠かせないのではなかろうか、と。


 イチャイチャする以外の活用法を考えるためにも、すこし腰をすえて、あの旅館をすみずみまで調べておく必要があるかもしれない。


「うん、あそこを秘密基地にしちゃおう」


 そんな宣言に、鏡の向こうの私が、ハミガキ粉まみれの口でバカにしたように笑った……気がした。


 ◆


 というわけで私はしょうこりもなく、悪びれず、きさらぎ駅へと降り立ったのだった。


「なんだかジミなところですね」

「おばあちゃんのおうちみたーい」


 ……なぜか双子ちゃんズといっしょに。

 今日はふたご地雷風コーデ。


 いや、いいわけさせてほしい。


 私はふつうにひとりでここにきて、旅館のすみずみまでを探索してみようとしただけなんだ。


 ただ、なんか電車に乗り込んで一息ついたら双子ちゃんに挟まれてたってだけで。


 たしかに、駅でママさんたちとおでかけするふたりとぐうぜんそうぐうしたから、ごあいさつはした。

 だけどふつうにそこでお別れしたはずで。

 それなのになぜかふたりは無リルカに巻き込まれてしまって、だからとことこついてきちゃったんだとか。


 私のせいか?

 無意識にふたりを求めていた……?

 せっかくママさんたちとお出かけしてたのに、こんな閉ざされた時間に監禁するとか、かなりモラルに欠けてるんじゃないだろうか。


「やっぱり帰る? ママとおでかけだったんだよね?」

「なんでですか? これはカンケイないんですよね」

「わたし、ゆみともおでかけしたいよ?」

「う、うーん」


 まあ、たしかにこの時間は外に出ればなかったことになってしまう。

 だから支障はないといえばそうなんだけど。


 ……来ちゃったものはしかたないか。


「ようし、それじゃあママにはヒミツのお泊り会だ」

「わーい!」

「うふふ……ゆみかちゃんのへんたい……♡」

「そのセンスはさすがにそういうコンテンツを摂取してないと身につかなくない? ペアレンタルコントロール仕事してる?」


 なんておしゃべりしながら旅館へ――


「あっ! ゆみみてみて! 川ある!」

「わー、ほんとだねー」

「もう、おねえちゃんはコドモなんですから……」


 目を輝かせてかけていくおねえちゃんに、いもうとちゃんがおおげさに肩をすくめる。


 私たちは笑顔をかわして、ふたりでおねえちゃんを追いかけた。


 それにしても、旅館の裏手に小川があるなんて。

 なんならほんとうに今回はじめて生まれましたって言われてもおどろかないけど、でも風景に溶け込んでいたから気がつかなかっただけだって気もする。


「わーい! あははは!」


 小川のそばにしゃがみこんで、ちっちちちゃぱぱと水をはじくおねえちゃん。


「服ぬれちゃうよぱっ」

「わっ! ごめんゆみ!」


 のぞき込んだら顔面に水をぶっかけられてずぶぬれにされてしまった。なさけようしゃがない。


「だいじょぶ!?」

「いいよいいよ、たぶんランドリーとかあるしね」


 たぶんあると思って探せばあるんだろうし、クリーニングサービスだってやってそうだ。

 というわけで。


「まったくおねえちゃんわぶっ!?」

「ふっふっふ、スキありだよいもうとちゃん」


 後ろでヤレヤレとあきれていたいもうとちゃんも、他人のふりなんてさせやしない。

 こうなったら全員水びたしだぜなんて思ってたら、いもうとちゃんは烈火のごとくキレだした。


「なにするんですかッ!」

「ぐほ!?」

「あはは! ゆみだいたーん!」


 川に思いっきりしりもちをついた私におねえちゃんの笑い声がふってくる。

 どっちかっていうといもうとちゃんの頭突きの方がよっぽどだいたんな一撃だった、なんて思ってたらおねえちゃん本体が私の胸にふってきた。


「わたしもー!」

「うぐごっ……!?」

「なになかまはずれにしようとしてるんですか!」

「ふむぐっ」


 けっきょくいもうとちゃんも飛び込んできて、全員もろとも川びたし。

 さすがにちょっと水は冷たいけど、こういうレジャーもいけるとなると、夏はキャンプに来てもいいかもしれない。


 お花見なんかもできちゃったりして。

 みんなでお花見旅行かぁ……いいかも。


「あ、なんか手、手くすぐったい! なに!?」

「おさかな! ゆみおさかな! とってとって!」

「やめてください! きもちわるいです! にぎりつぶしてください!」

「そっちの方が気持ち悪くない? ほら、きれいだよ」

「わぉー! おいしいかな!」


 手の器であっさりすくえた小魚に、おねえちゃんはうきうきと目を輝かせた。

 ……旅館持って行ったら調理してくれるかな?


 でもまあ、この場所の魅力は旅館だけじゃないらしい。


「ねえふたりとも、ちょっと周りを探検してみない? じつは私もよくここのこと知らないんだ」

「さんせー!」

「はぁ、おねえちゃんもゆみかちゃんもしかたないですねぇ……つきあってあげます♪」


 そういうわけで。

 私たちは、旅館を後回しにしてこの風景を探索してみることにするのだった。


「くちゅっ」

「あー、先に着替えとこっか」


 前言撤回。

 先に旅館でお着換えだね。


 せっかくの旅行で、風邪なんてひいたらもったいない。

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