第254話 わたしの行き止まり

 ユミの手が、わたしをこの子の理想にした。

 この子が求める『準備』が進んでいく。

 なんのための準備かなんて、この子の目を見れば考える必要もなくて。


「ねぇさん……」


 ユミがわたしをほしがる。

 だけど決定的な言葉はない。

 いまわたしは白いカードにしばられているのにユミはそれを言葉にできない。


 のどもとまで出かかった言葉を、とびだそうとする言葉を必死に押さえつけるせいで、呼吸さえ苦しそうで。

 涙さえ浮かべて、必死にわたしにすがりついて。

 まるでわたしに許されようとするみたいに。

 わたしからを、欲しがるみたいに。


 そうしろと、口にすればいいのに。


 ユミはそうしない、できない。

 まるでなにかにしばられているように。


 ……そこにだれかがいるのはすぐに分かった。


 見ないふりをしても、目障りなほどにイヤリングはきらきらと輝いているもの。

 わたしの前に来た人は、この場所で、カード相手に、それでもこの子を『拒む』ことを選んだのでしょう。


 この子のみそめた人が、そういう人でよかったと。


 そう感じるのは、この子を想う姉心かしら。

 それとも、おかげでこの子のはじめてを得るチャンスが手に入ったと喜ぶ……あら、それもまた姉心ね。


「ねぇ、さん」


 すべての準備が終わった彼女の、わたしは寝室で下敷きになっていた。

 いちおう袖を通した浴衣に、もうあまり意味はない。

 彼女の目はわたしをみている。

 わたしのすべてを。

 すみずみまで。


 どんなふうに触れようか。

 どんなふうに重ねようか。

 どんなふうに交じりあって。

 どんなふうに愛そうか。


 この子はそれを思っている。


 見ればわかる、この子のことは。


 すべてとは言わないけれど。

 分からないから、分かる以上のことを恐れて、嫉妬もしてしまうし、わたしだけをと、思ってしまうけれど。


 それでも分かる。


 きっとだれよりも。

 この子よりも。


 わたしはこの子を知っている。


「ねぇさん」


 わたしのユミが、わたしを欲する。

 それは夢にまで見た光景で。

 いますぐに黒色のカードをひっぱりだして、この子をしばる鎖を引きちぎって、すべてをわたしのものにしてしまいたい。


 しぜんと手が伸びてしまう。

 

 準備は終わっている。

 あとはひとつのきっかけだけでいいのでしょう。


 彼女の耳に光るこの拘束を、たとえば取り去ってしまうような。


 触れた手に、ユミはほおをとろけさす。

 まるでそれを望むように見える。

 ウソ偽りはそこにない。

 見れば分かる。


 けれど、見ずとも分かることもある。


「ユミ」


 わたしはユミのほおに手をふれた。

 期待に目を輝かせて、ほんとうにおいしそう。

 求めている言葉はいくらでも思い浮かんだ。


 そしてだからわたしは、

 求められていないほうだけを口にする。

 

「これを取りなさい、ユミ」


 ユミは――凍りついた。


 イヤリングを外すことは、この子の求めていることのはずだった。

 本当にわたしたちだけになること。

 それを、欲しているのに。


「な、んで」


 きっとそこまでは縛られていない。

 自発的に外すことさえできたでしょうに。

 それでもユミは口にできない。


「なんで、ではないでしょう、ユミ。これからわたしに抱かれようというのに、どうしてほかの女のものなんて身に着けているのかしら」

「だったら、」


 だったら外してと、飛び出しかけた言葉を噛む。

 そうすれば命令になってしまうから。


 矛盾しているようにも見える。

 けれどこの子はそれでいい。


 とまどう妹を、どうにか落ち着けてあげようと、わたしは笑顔を浮かべた。

 そうしてなにかを言ってあげたいのに。

 わたしの思うことをどうすれば伝えられるかを、考えても考えても、キレイに整ってはくれないみたい。


 よく、ユキノにコミュニケーションの大切さを説かれる。それはもうこんこんと、とくに私は言葉が足りないようだから。


 ……身体を通して伝えられるのなら、とても単純だと思うけれど。


 まあ、きっとユミならちゃんと分かってくれるわね。


「ユミ。あなたのいちばんステキはなぁに?」

「いち、ばん」

「どんなあなたをわたしにくれようとしているの?」

「どんな……」


 ユミの瞳がゆれて、磨かれた爪を、たよりなさそうにつるりとなでた。

 キレイにととのえた爪と、すみずみまで洗った身体と、指先までほぐした肉と……すべての準備ができている。


 だけどそれだけじゃ足りないの。


 だって、そんなのはあたりまえのことじゃない。

 たとえ魂のない人形だって、身だしなみを整えることはできるのだから。


「わたしはかわいいユミが好き。キレイなユミが好き。かっこういいユミがすき。いたずらなユミが好き。だらしないユミが好き。はしたないユミが好き。ユミが好き」

「ぅおむ」


 たまにそうやってあげる鳴き声ももちろん好き。

 好きでない部分をさがすほうがむずかしいくらいね。


 そんなユミだからこそ、わたしは選択をゆだねる。


「だからあなたが選ぶのよ、あなたの好きなあなたを」


 ユミの選んだユミがほしい。

 あなたがさしだすあなたがほしい。

 あなたが一番魅力に思うあなたがいい。


 そうでなければ意味はない。


 たとえあなたの選択が、わたしの望まないものであったとしてもね。


「……ごめんなさい、姉さん」


 ユミはうつむいて、ぽつりとつぶやいた。

 わたしの手を、そっとほおから遠ざけて。


 けれどすぐに顔を上げて、そのころにはもう、ユミの眼差しはゆるぎない。


「だったら私は外せない」


 ユミはわたしを拒絶した。


 その純真をたまらなく愛おしいと思う。


 いますぐぶち壊してしまいたいくらいに。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る