第250話 私とみんなの温泉宿(9)
思えば姉さんとふたりきりでの旅行だなんていつぶりだろう。単純に、親をほっぽって姉妹旅行なんて養ってもらってる身でできる事じゃない。
遊園地に遊びに行くとかじゃなくて、お泊まりで。
なんとなく、いつかやったことがあるようなないような……気がする。
「ユミ。ほかの女のことを考えているの?」
「ううん。姉さんのこと」
正直な答えは、しかし姉さんを満足させられないようだった。過去の自分さえ許さないらしい。
「それなら目の前にいる私を見てちょうだい?」
ぐいと顔を後ろ向きにされて唇を強襲される。
ふたりでお湯に浸かりながら、蕩けるような心地に酔いしれた。
「のぼせちゃいそう……」
「ふふ、そうね」
私の言葉に姉さんは笑う。
まだお湯から逃してはくれない。
心地いいお湯だ。
とろとろと少しだけとろみを帯びていて、口に含むとほんのり甘い。
それがまるで、花から溢れ出る蜜のようで。
「あむ」
「ん、ふふ」
口づけて、肌を吸う。
赤く色づく花びらのように、姉さんの肌に痕が残る。
茹だる脳がそれを能天気に楽しんでいた。
キスマークは、沢山つけると死んでしまうらしい。
だとするとこれはひとつごとに姉さんの命をすすっているようなものだ。
もしかしたら吸血鬼というのもそれがモチーフなのかもしれない。
ずいぶんと、愛欲に塗れた怪物もいたものだけど。
もしも腕の中で姉さんが死んだら、このまま一緒にお湯に溶けて、ひとつに混ざりあってみようか。
「ねえさん」
「はぁい」
欲しがれば、欲しがった分をくれる。
欲しがらなくても、欲しがってくれる。
至福って、つまりこういうことじゃない?
ああ、クラクラしてきた。
「うぅ……」
「本当にのぼせてしまったみたいね」
「あたまいたい……」
「ちゃんと水分を摂ってから入らないと」
姉さんが口移しで水分をくれる。
脳の裏側をくすぐられるような心地に、頭痛が薄れていくのを感じた。
頭痛どころか。
意識が。
あぅ――
◆
「えぅ、おえぇ……」
はきそう。
っていうかさっきひとしきり吐いた。
まだ口の中にイヤなニガニガが残ってる。
みんなは脱水症状に気をつけようね……
「ごべんね……」
「いいのよ。私が無理をさせてしまったのだもの」
たしかにあれはたぶんローレライとかそういう類の妖怪の所業にも近い感じだったと思う。
魔性の姉だ。
恐ろしい。
「しばらく涼んでいましょうね」
「うん」
えずくたびに本気で出そうだから、ゴミ箱を抱えている私。そんな私の背中を優しくなでてくれる姉さんの手。
本当に、もうしわけない。
だけど、でも、姉さんから受ける慈愛は、他の誰からもなかなか得られないものだ。
姉妹という間柄だけに許される、特権みたいな。
それを感じる時間は、悪くない。
ゴミ箱に向かってニヤニヤする変態になってしまうのもやんぬるかなって感じだ。
「……うん。もう結構だいじょうぶになったかも」
「そう。なにか冷たいものでも飲むかしら」
「お水がいいな」
「持ってくるわね」
そういえばこの個室には小さな冷蔵庫がある。
どうやら無料で持って行っていいらしい。
がぜん興味が湧いた私は、冷蔵庫をのぞき込んでいた姉さんに抱き着いて、一緒に中を物色する。
炭酸に甘いのにもちろん天然水。どれもキンキンに冷えている……あれ、冷凍庫もあるんだ。
「見て姉さん雪見だいふくある!」
「うふふ、わけて食べましょうか」
「たべるー!」
気分が悪いときにはアイスだよね。
口の中がまずいまま食べるわけにはいかないからきちんと歯磨きまでする。
アイスとはそういうものだ。
「ユミ。あーん」
「あぁん、ふふ」
姉さんともちもち分け合う。
雪見だいふくとパピコは幸福の指標だと信じてやまない私である。
しかも、姉さんに抱っこされながら、贅沢にもお胸枕に身をゆだねながらだ。
これを幸福と呼ばずしてなんと呼べばいいのか私には皆目見当もつかない。
「なんか……来てよかった」
「そうね。でも、まだお昼にもなっていないみたいよ」
「まだまだいっぱい一緒にいられるね」
「ええ。まだ、たっぷりね」
じわりと抱きすくめられる。
姉さんの熱を感じる。
どこか艶めいたその声音に、期待をしてしまう。
夜まではまだ、ずいぶんと長い。
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