第248話 私とみんなの温泉宿(7)
ちゅんちゅんちゅぴぴと鳥の声。
知らない天井だ。
そう、私はお姉さんと旅館で一泊して……どうやらいつのまにか眠っていたらしい。
となりにはお姉さんがうわぁめっちゃ目ぇ合った。
ふにゃりと笑うお姉さんはなんだかこう……慈愛というか、どこか悟りめいて超然とした穏やかさを感じさせるというか……。
「おはよ」
「お、おはようございます」
「なんよ、ヘンなことせぇへんって」
くすくすと笑ったお姉さんは、かじりつくように頬に触れる。歯は立てず、吸い込むみたいなくちづけだ。
かぷかぷと私を食べたお姉さんは、それからゆるりと目を細めた。
「それとも、今からでもしよか?」
「ぃ、えあの」
「ジョーダンやって」
お姉さんはまた笑うと、よっこいしょおなんて起き上がる。立てたヒザに肘をついて、はだけた浴衣を軽く直す。その隙間から見えてしまった、寝起きのせいか真っ白に透けた肌に、心臓が止まりそうになる。
「なぁに、ユミちゃん」
そんな私を見透かす流し目。
どうしようもなく触れたくて、伸ばしたその手をどうにか堪えた。
――昨夜。
私は、お姉さんからの誘惑をなんとかかんとか耐えしのいだ。とても苦痛に満ちた一夜だったけど。もうなんどこの身を差し出そうとしたものか。
こちとら約束にしばられてるってのにお姉さんは容赦ないしさぁもぉおおお……!
ともあれ。
貞操が保たれている以上なにはともあれだ。
夜という性のピークタイムを無事に過ごしたことで、お姉さんもずいぶんと落ち着いてくれたようだ。
「お腹空いたなぁ。朝ごはんなんやろね」
「卵かけごはんとか食べたいです。こう、お高い卵の」
「ええやん。黄身つまめるヤツな」
ノリよく笑ってくれるお姉さん。
なにかと気の利く旅館ならきっとまた知らないうちに用意してくれるだろう。
「……朝ごはんのまえにお風呂入ろか」
ふとお姉さんが言う。
子首をかしげる動作に髪の毛がさらりと流れる。
誘ってんのかこの人……
これでずいぶんな落ち着きだっていうんだからまったくもってやれやれな感じだ。
とはいえ断る理由もなく。
朝風呂に入って、朝ごはん。
驚くべきことに朝風呂ではなにも起きなかった。
なんだかもう、そういう気分じゃなかった。
そりゃまあ、なにせ全裸だ。ぜんぜん全裸だ。なにも思わないというわけじゃない。何度見ても感動するし、興奮だってするけれど……なにかをしようという時間では、やっぱりないんだろう。
朝ごはんは土鍋で炊いたご飯と、見るからにお高そうな卵、あとなんか土器に入ったお醤油が出てきた。もちろんお味噌汁とか漬物とかもある。
おたかい卵かけご飯セットだ。
いただきます、と手を合わせて、旅館最後のご飯を食べる。卵かけご飯を作るときは白身とご飯を先に混ぜたほうがおいしいんだ―とか、ざっくり混ぜるのがいい、とか、各々の持つ適当な卵かけご飯知識を交換しながら楽しいひとときを過ごした。
楽しい、本当に楽しいひとときだった。
だけど、だから思う。
もうすぐ、おしまいなんだ。
旅行の終わりは思い出を作る時間じゃない。
後でまた思い出しやすいように、心に棚を作って、この旅行の思い出をしまっていく時間。
特別なことだから、特別に飾っておく。
どんなことがあって、楽しくて、後悔で、嬉しくて、美味しかったり、気持ちよかったり、バカらしかったり。
楽しくないはずがない。
だからお姉さんもいまさらになって私を求めたりはしない。それは無粋っていうものだ。それを互いに分かっている。
楽しくないはずがない。
だけど、だからやっぱり、寂しいと思うわけで。
埋めきれない棚を、もっと、もっとお姉さんで埋めてしまいたいと思うわけで。
思う。
べつにポイントにゆとりがないわけじゃない。
それに、ここでの時間は、外に出れば経過していない。
だから、だから……
……いや。
でもやっぱり、それはダメなんだろう。
この棚はきっと、そういうものじゃないんだから。
「また来ましょう、きっと。次はどうせなら、私が大人になってから」
「……せやね。楽しみにしとくわ」
とつぜん言い出した私に、お姉さんはちゅっと額へのキスをくれる。
一瞬の驚いたような顔は、同じことを考えてくれていたからだろうか。お姉さんも、私のためにめいっぱい大きな棚を用意してくれたんだろうか。
なんて。
そんなことを、思いながら。
柄にもなくセンチメンタルになっちゃったなって、あとから思うとちょっと照れくさい感じで、私とお姉さんのちょっとした旅行は終わってしまったのだった。
残ったものはたくさんのすてきな思い出と。
そして――セックス禁止令。
うん。
なんというか……思い出トリミング機能ってまだ実装されてなかったっけ?
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