第247話 私とみんなの温泉宿(6)

 お昼ご飯は豪華な海の幸で、お風呂でのお酒と同じようになんか気がついたら配膳されていた。

 名前も知らないデカ海老のお造りとかこんなん雑誌でくらいしか見たことないや。


「最期の食事にはちょうどいいですね……」

「アホ言わんの。あーんしたるから元気出しや」

「ううぅ……」


 控えめに言ってひき肉になりたい。

 本音を言えばこの宇宙から私がいた事実を消滅させてしまいたい。


 だってあんな、あんな……


「おおぉぉぉぉ……」

「うじうじ振り返っとってもしゃーないやろ。ほい、あーん」

「ぅもぐ……」


 うぅ、ツマおいしぃ……


「いやそこはお刺身とちゃうんかーい! とか突っ込んでくれなツマランやん」

「…………ツマだけに?」

「なんや分かっとるやん」


 にこやかに笑ったお姉さんがごほうびにデカエビをくれる。

 うわあまっ。

 ぎゅりぎゅりしてる。

 なんかなん、えっと……エビの概念にうまく収められないせいで美味しいかどうかさえよく分からない。いやたしかに美味しいんだけど表現する語彙とか感性がないというか。


 まるでさっきの私の痴態みたいだ。

 筆舌に尽くしがたい。

 うぅぅ……


「アカン、ゆみちゃんが落ち込みのループに入っとる」

「……待てよ、お姉さんが記憶を失えばいいんじゃ?」

「なに物騒なこと思いついとんねん、いやなにおもむろに土鍋持ち上げとんねんあっついやろ!?」

「この重さなら……!」

「やめぇやあほぅ!」


 必殺 鯛の炊き込みご飯アタックが未然に防がれる。それどころかお姉さんは私の手をおしぼりで冷そうとさえしてくれる。


「だ、大丈夫ですよ。ちょっと暖かいくらいでしたし」

「労わってやらなあかんよ、大切な身体なんやから」

「はぃ……」


 めちゃくちゃ真面目に諭されてしまった。

 なんかもう……私の行いのせいで無リルカパワーさえうやむやになっているような気がする。

 お姉さんがあまりにも普段どおりって感じだ。


「まったく」


 なんて呆れたように言ったお姉さんは私の手のひらにちゅっと口づけて解放してくれる――


 は?


 いま、え?


「おっ、んまいなーこれ。ほいゆみちゃん」

「あはい……」


 お姉さんがかじったお魚の天ぷらがそのまま私の口の中に入る。あーんどころの騒ぎじゃないとかいまさら私が言うのもなんだけどあーんどころの騒ぎじゃない。


 困惑していると、当然に置いてあったお酒にお姉さんの手が伸びる。とくに深く考えずちょこっとおちょこに注いであげると、くぃっとやったお姉さんは「あんがと」と笑ってほっぺにちゅっとくれた。


 なんか急激に異変を感じてきたんだけど。


「あのぅ、」

「どしたん」


 すっと肩を抱き寄せられて、見下ろされる。

 小首を傾げるそのしぐさにからかうような色はない。

 ここに来た当初の甘お姉さんが戻っている……と言えばそうなのかもしれないけれど……。


「なんよ、ウチが様子おかしいとか思っとる?」

「え、ああなんだ、やっぱりからかってたんですね」


 お姉さんの方からそう言ってくれるなら納得というものだ。

 これで一安心だとこころおきなく身を委ねる私に、お姉さんは笑った。


「からかっとるワケやないよ」


 むちゅ、と耳の後ろの生え際あたりにキスされる。

 すん、と鼻が動いて私を香って、お酒を飲む。


「この人Jkの匂いをサカナにお酒飲んでる……」


 これをマジメにやってるとでも?

 じっとりとした視線を向けてみると、お姉さんは微笑みをたたえながら、でも思いがけずまっすぐな眼差しで私を見つめかえした。


「からかっとるんやないよ。せやけど……ちょいと、浮かれとる」

「どういうことですか?」

「んー。せやって、もうヘンにガマンせんでええっちゅうことやん」

「えっ」


 むしろお互いにガマンしましょうねっていうそういう結論なんじゃ?


「ウチがどんだけナニやっても、ゆみちゃんは絶対に留めてくれるワケやん。約束したもんな」

「そういう解釈になるんですか???」


 たしかに私は黒リルカによってセックス禁止令が下された――と言葉にするとますます細切れのお造りにでもなってやりたくなるけれど、さておき。


 禁止を約束したということは、迫られたりしたとしても私は断るために全力を出さないといけないということだ。


 つまりだから、ここまであくまでも保護者であり被検体でありストッパーだったお姉さんは、ここに至って社会性とかを全ブッチできる理由を見つけたと。


 だってどれだけ迫っても私はちゃんと拒むから!


「相手が抵抗しないから好き勝手やるってそれサイテーのイジメですからね?」

「抵抗するんやろ、ゆみちゃんは」

「いやそうなんですけどそうじゃなくて……」

「ほいあーん」

「あ、あーん」


 ……まあ、これくらいでいいならいいですけど。

 なんて思ってしまった私は、その後もお姉さんに甘やかされ、可愛がられ続けることになる。

 ほおとかになら口づけることにためらいはなくて、だけど決定的なことはなにひとつしないかんじ。


 ご飯を食べて、のんびりスマホで動画とか観て、いまさら探検したりして。庭の池にうっかり落っこちそうになったり、プレイルームでひとしきり遊んでみたり、そういうことをしている間に気がつけば夕方だった。


 夕方。

 途中から気がついていたけれど、この場所でも日が暮れるらしい。無リルカの灰色な世界とは打って変わって情緒がある。冬には雪だってふりそうだ。


「きれぇやねぇ、ゆみちゃん」

「そう、ですね」


 部屋の窓枠に腰かけて、お姉さんはオレンジ色に揺れている。そっと手招きされるまま腕の中に身をゆだねて、私もおなじ夕焼けを浴びた。


 背中にお姉さんの鼓動を感じる。

 とくとくと少しだけ弾んでいる。

 そっと私の手をもてあそぶ。

 手慰み、指が混ざる。

 なんとなく見上げる私に、お姉さんはくちづけた。

 あまりにもすんなりとしていて、戸惑うスキもない。


「お腹すいたなぁ」


 と、当たり前に笑っているお姉さんに。

 私はようやくいまさらになって、思い至った。

 それはとてもシンプルなことだった。


 お姉さんが私を求めるのなら。

 それは、夜なのだ。


 一泊のお泊まりデート。

 旅館という、なかなか訪れることのないリゾートで。それをめいっぱいに楽しんで、めいっぱいに熱を深めて。それで最後の締めくくりに、ふたりきりの夜を明かす。

 とても自然なことだ。

 それがお姉さんの選んだ『恋人』との過ごし方。


 日は沈み、夜がふければ、私たちを温めるものは私たちの中にあるばかり。


 その熱が、熱が、すでに私の中には蓄積している。


「ちゃんと拒んでや、ゆみちゃん」


 艶一声。

 そしてお姉さんはなにごともなかったかのように、また同じように私を甘やかす。


 夜はもうすぐそこだった。

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