第243話 私とみんなの温泉宿(4)
お風呂でやったことといえば、お湯に浸かって、いつの間にか用意されてたお酒でお酌して、ほんとただそれだけだった。
ツトメさんの胸枕に挟まったりこぼれたお酒をお姉さんに舐めてキレイにしてもらったりっていう、まあいたって普通のイベントだったと言っていい。
お風呂をあがってからは、脱衣所にあった浴衣に着替えてみた。
おなじ浴衣でも、なぜだろう、ツトメさんが着るのと私が着るのとじゃぜんぜん印象が違って見える。
っていうかツトメさんってほんと……キレイだ……
「かわええ……」
「んぅ」
ツトメさんのつぶやきに身がすくむ。
そんなぼうぜんと言われるとさすがに大げさじゃないかって思うけど、でも、嬉しいものは嬉しいワケで。
「ツトメさんも、とっても似合ってます。かっこいいです」
「そ? 嬉しいわぁ、あんがと」
はにかみながらも嬉しそうに笑うツトメさん。
そうやって受け取ってもらえると、ますます褒めたくもなるっていうものだ。
私はてってってーと抱きついて驚く眼差しを見上げた。突然でもちゃんと抱きとめてくれるこの優しい手が嬉しい。
そういうささやかなことを意識したとたん、言葉は自然とこぼれ出していた。
「ツトメさん、とってもすてきです。いつも私を受け止めてくれて、向き合ってくれて、心配してくれて、許してくれて……」
ツトメさんは、大人だ。
それも良い大人だ。
私を対等な人間として扱ってくれるけど、同時に私を子供扱いしてくれる。それが心地いい。愛おしい。
ずっとこの人のそばにいたい。
私が大人になったとき、あなたがどんな顔で私を見つめるのか知りたい。大人になった私から、あなたがどんな風に見えるのか知りたい。
知りたい。
もっと。
あなたを。
「ツトメさん、わたし、」
せいいっぱいに、背伸びして。
本当だったら触れられない場所に、届きたくて。
今このときだけでも、私を大人にしてくださいと。
そう、欲する私の唇は。
「
やんわりと肩を押し留められて、それで簡単に止まる。
夢から覚めたように私は瞬いて。
お姉さんはそれで、ほっと安堵した。
「あれ、えっと……」
「のぼせてもうた?」
「……そう、かもしれません」
私はいま、なにをしようとしていた?
いや、明白だ。分かりきっている。
けれどそれは、してはいけないはずのこと。
キスがどうとかじゃなくて。
もっと根本的なところで。
のぼせていた、浮かれていた。
恐ろしい話だ。
なにが恐ろしいって、無リルカは厳密には私たちに直接影響しない。ただ場を用意するだけ。どうしようもないほどに罪深いこの孤城を。
そこではっちゃけたとして。
その言い訳には、なんにもならないんだ。
ただ、負ける。
誘惑に。
自分の、願望に。
負ける。
……っていうか。
そう思って振り返ってみると……
お姉さんの胸枕で温泉満喫したあげく、
お姉さんにお酒を舐めさせたと。
思い返してみよう。
お姉さんの胸はやわらかかった。
それはまあい……い、…………いや……ちょっと吸ったか……? いい匂いがしてつい……いやあれは冗談で済んだ。済んだはず……
お酒のほうは……あっあー。
うん。あれだな。ギリ理性。お姉さんにはギリ理性があったっぽい。半分くらい。そもそもお酒がこぼれたのも手から二の腕あたりだ。どうあっても不健全になりようがない。そんなの言うまでもないことだ。
……。
り、リルカには勝てなかったよ……
「スゴい顔してんでユミカ」
「あー、すみません」
「ちょっと涼もか」
そう笑ってお姉さんは、窓際にある板張りの謎スペースこと広縁に私を運んでくれる。
ふかふかのソファに座らされて、丸テーブルをはさんだ向かいがわにお姉さんは座った。
うーん。絵になる。
……っていうかお姉さんがまた『ユミカ』呼びに戻っている。私をたしなめるその一瞬で無リルカを完全に振り払ったのか?
すごいな理性。
お姉さんがあまりにも理性すぎる。
うそでしょ。
……なんかそこまでくると逆にムカついてくる。
私が言うのもなんだけど据え膳だよ。食えよ。いやほんとに美味しくいただかれちゃったら大問題だけど。
でもさあ。
もうちょっとこう、食いつきとか。
あるじゃん。
自分のこと好きなJKがキス求めてくるシチュに遭遇できる大人がどれだけいると思ってるんだ???
それをあんな穏やかにあっさりと優しくたしなめてくれるお姉さんってやっぱすてきだ……じゃなくて。
いやすてきではあるけど。
でもやっぱりいけ好かない。
もっとこう、慌てふためいてほしい。
私の責めにたじたじになってほしい。
恥も外聞もなく私に必死になってほしい。
そしたらせいだいにからかってやるって寸法よ。
そう。
そうだ。
それをちゃんと笑い話にしてくれるのはお姉さんだけ。だっていうのに私はなにをやっていたんだ。いまこそからかいチャンスじゃな「ぴぎぃ!?」
お、え、お、
な、なんでお姉さんの顔がこんな正面にあるんだ?
向かいに座ってたはずで、えっと、それなのにいま、こんな壁ドンみたいな。
「な、なんでしょう……?」
「なに考えごとしてんねやろ思ってな」
「え。いいいいやべつになんでも?」
「あそ」
そう言ってお姉さんは離れていく。
……なんだったんだ、いまの。
唖然としていると、お姉さんは荷物からトランプを持ってきて、また反対側に腰を下ろした。
「湯涼みがてらトランプでもやろか」
「い、いいですね」
なんなんだいまのは……いやでもあれだな。
トランプか。
使える、な。ふふふ。
「なんしよか。ジジ抜きでもする?」
「いいですねぇ。でもほら、ただやるんじゃ味気ないですしぃ」
「せやね。なんか賭けよか」
「ぽぇ」
お、お姉さんの方から賭けをもちかけてきた!?
な、なにが起きてるんだ。
「こういうノリ久々や。学生んときとか旅行先でようやってんよ。そんときはまあだいたい負けたら一杯とかってバカ騒ぎやったけど」
「へ、へえ」
なるほど大学のころに……
お、お友達とお泊まり旅行とかするんですねぇへぇあっそうですかぁへぇえ……!
「ま、未成年やし酒はあかんよなぁ」
「ふっふっふ……なら魂を賭けましょう」
「はぁ?」
「負けた方が相手の言うことをなんでも聞く……っていうかなんならリルカ使ってもいいですよ。私が勝ったら白リルカ、ツトメさんが勝ったら黒リルカです」
と言ってから、この期に及んで金銭を持ち出すのはよくないなと気がつく。
こんなゲームのためにお金をやりとりするのはお姉さん嫌いそうだし――
「ん。それでいこか」
「ふぇ」
めっちゃあっさりですね……?
もっとあたふたしてくれると思ってたんですけども。
「ああ、でもお金は後で返却な。どっちが勝っても負けても。そっちの方が気楽やろ?」
「ま、まぁはい」
「ほな始めよか」
そう言って、手慰みみたいにシャッフルしていたカードを配り始めるお姉さん。
……なんだろう。
あまりにも動じていない。
なにか、なにかマズいんじゃないか?
私はもしかしてなにか、なにかとんでもない過ちを犯しているんじゃないか?
っていうか。
いまここは無リルカ空間な訳で。
その状態で追いリルカとかしたら……
あれ。
もしかしてだけどこれ、やばいんじゃない?
い、いやまあ、大丈夫。お姉さんだし。
もし仮に大丈夫じゃなかったとしても勝てばいい。
そう、勝てばいいんだ勝てば。
勝ったら白リルカで煽りに煽ってからかってやるんだ。なんなら負けたとしても強引に白リルカして誤魔化したっていい。その権限は私の手の中にある……!
つまりどう転んでも勝ちッ!
負けるハズがないッ!
……あれ、なんかお風呂入る前もこんなこと思ってなかったっけ……?
ははは、そんなまさか。
……まさか、ね?
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