フリータイム

第227話 姉と私の初めてで

「むぅ」


 白黒に続く無色のリルカ……とりあえず無リルカとでも呼ぶことにしよう。

 ともかく手にしたからには使ってみようと、私は隣の部屋を訪ねた。


 ―――明かりのついていない、暗闇の部屋。


 遮光性の高いカーテンの、それでもわきから漏れ出す日差しがジワリと滲むその部屋の中。


 姉さんは、ぼぅ、とベッドに腰かけていた。


 私に気が付くと、ゆらり、視線を向けて。

 それからひどくおもむろに瞬いて、そっと薄ら笑みを浮かべた。


「いらっしゃい」


 ポンポン、と隣に招く姉さん。

 扉を閉じれば、暗闇の中で静かに光る誘蛾灯の眼差し。

 まんまと隣に座った私の肩を、姉さんはそっと抱き寄せる。だから自然と、私は頭を姉さんの肩に委ねるみたいになった。


「ちょうどお話がしたいと思っていたの」

「うん……」

「そう怯えなくたっていいのよ?」


 ゆらりと笑む。

 優しく、吸い付くような唇が額に触れる。

 上目遣いに見上げて、姉さんと目を合わせた。


「怒って、る?」

「どうして?」

「だって……」

「ユミが決めたことに、怒ったりなんてしないわよ」


 うふふ、と笑う姉さん。

 なるほど、と、私は理解した。


 なるほどそれは―――怒りなどではないのだ。


「けれど、ねえ。どうしても分からないの。どうしてユミは、私以外の人にあんなことをされていたのかしら」


 じわりと滲む闇色。

 暗闇の中に、眼差しが、爛々と。


 ―――あ、ダメだ


 そう直感した私は即座に無リルカを突き出す。

 ぱちくりと瞬いた姉さんはすんっと表情を失って、私をベッドに押し倒しながらスマホを触れる。


 ぴぴ。


 聞き慣れた音と共に、失せる色。

 そこは闇でさえなくなる。

 適度に明るく、暖かな、灰色世界。

 着ているものさえ色を失って、ただ、姉さんと私だけが色付いていた。


「ねぇユミ。自分を買わせるでもなく、ふたりきりになりたいだなんて……それってつまり、『いい』っていうことよね?」

「え」

「あなたが望まないとこうならないのなら、これは確かな同意ということなのよね」


 ……そ、うなる、のか……?

 例えば白リルカはもちろん私優位の関係だ。

 そして黒リルカ、あれは一見私を差し出す行為だけど、そこには金銭のやり取りがあって、そういう余計なシステムによる上下関係がある以上、カードに従っているという構図は拭えない。


 けれど。


 今この瞬間、私と姉さんは極めて対等にある。

 そして私がこのふたりきりの世界を望んだという事実がある。

 逃げ場も助けもありえないこの絶対の閉鎖に、姉さんとなら一緒がいいと、そういう意思がある。


 ……だからって『合意』ではないんじゃないか、と。


 そんな思いは、けれど口から出てこない。


 分かる。


 もしも『しない』とそう言えば、姉さんはしないだろうと。

 これはそういう対等だ。

 リルカに頼れない、私の意志を、姉さんは望んでいる。


「……」


 事実、姉さんはただ見下ろすだけだった。

 押し倒したっていうのに、私に触れず、ただ。


 ―――なんてもどかしいんだろう。


 姉さんが欲しい。

 求められたい。

 誰の目にも、きっと神様の目だって届かないこの絶対の孤立の中で、だから姉さんはなにをしたっていいのに、誰も責めたりしないのに、してくれない。


 私が望んでいないから。


 私は姉さんを買っていない。

 姉さんは私を買っていない。


 だからそこに強引はありえない。

 だからそこに合意がないと姉さんはしない。

 それはひどく単純な構図だ。

 どこまでも対等なことだ。


 ああそんなことならいっそ、無理やりに奪い去ってくれたのならいいのに。


 だって私は姉さんを受け入れることが出来ない。

 それはそうだ、そう決めた、どうしたって示しがつかない。受け入れることに、私以外の理由が―――ない。


「っ、はっ、」


 溢れ出す欲情が口をついて出ようとするのを、その度に強引に飲み込む。

 だって大好きなひとと、他の何にも気兼ねのないふたりきりでいるんだ、なにもおかしなことを考えない方が難しい。

 少なくとも私には、みんなを望むような強欲には。

 そのみんなさえ、ここにはいやしないのだから。


「ぅ、あっ、はぁっ、ぅくうっ」


 見下ろす姉さんを引き倒したい。

 口付けが欲しい。

 柔らかく抱きしめて欲しい。

 世界から色がなくなったからこそ、唯一の色がどこまでも鮮烈に輝いている、華やいでいる。

 この淡く色付いた身体の全てを見たい。

 姉さんはどんな形をしているだろう、どんな色を、しているだろう。


 ああ想像が止まらない、妄想が眠らない、夢想が尽きない。


 ―――ふと。


 姉さんの視線に気がつく。

 漠然と、ただ、見下ろしているというだけに思っていた視線。

 だけど目元は強ばって、よく見るとほんのわずかに、痙攣するようにときたま揺れる。

 ベッドに突き立つ手にこれほど力を込める必要があるだろうか。


 姉さんも、同じなのだと。


「ぅ、あ、あぁ、」


 気がついてしまえばもうどうしようもなかった。

 姉さんも私を思い描いている。

 きっと。

 必ず。

 私の形を、色を、匂いを、味を、想像して、して、


「ねぇ、さ―――あ」


 黒に眩む。

 弾けた暗闇に、太陽でも直視した眩ささえ感じた。


 30分が、経過したのだ。


 呆然とする私と、たぶん鏡写しみたいな姉さんのまなざしが眼差しが重なる。

 私は生唾を飲み込んで。

 そっと、姉さんの首に腕を回して―――


「っ、」


 舌を噛む。

 この身を満たす陶酔感を強引に覚まして顔を覆う。


 今私はなにをしようとした?


 リルカの効果は終わったはずだ。

 それなのに……いや、違う、あくまでも無リルカはふたりきりにするだけだ、変わるのはシチュエーションだけ、この身を満たす衝動は、情欲は、愛望は、どれも私のものなのだ。


 正直ナメていた。


 確かに時間を止めるというのは凄まじいけど、でも、凄いのはあくまでもその理不尽さであって、実際はどこでもふたりきりになれるってそれくらいのことだと思っていた。


 だけど、違う。


 ただ壁で閉ざされただけのふたりきりと、世界からさえ遮断されるふたりきりは次元が違う。


 その上効果がなくなっても、そもそも私にはなにも影響していないから当たり前みたいに続いてしまう。

 尾を引いてしまう。


「ゃ、ばぁ……」


 ただただ跳ね回る鼓動を抑える私に。

 上から落ちてくる、深々とした吐息。


 ハッとして見上げれば姉さんは虚ろな目をしている。


「―――」

「え、え?」


 ぼそぼそ、どころかもごもご、ごろごろ?

 もはや耳を済ませてもろくに聞こえないくらいの小さな声……音? をこぼす姉さん。

 それでもなんとか聞いてみると―――


「―――どうして私はダメなのユミあノおんナは受け入れタノに私がダメなのはどうしてどうしてどうシテわタシよりあのオンナがアノ女にハジめテをあげタイなんてソんなのアリエナイアリエナイアリエ―――」

「……ぴぇ」


 ね、姉さんほんと、あの、最近ホラー映画にハマってる……? 

 いや、私の弱い心がここまで姉さんを追い詰めてしまったんだ。


 ちゃんと向き合わないといけない!


 向き合わないと……うん……が、がんばる、ぞ……?


 ―――結局その後、姉さんを鎮めることには成功した。


 都合三回くらいリルカしたけど、まあ、一応丸く収まっただろう。


 やっぱリルカって便利だね……ッ!

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