第218話 保健室登校児と(2)

不良に嚙みついてみたら、彼女はまたふらつきながら去ってしまった。どうやらいろいろとショックが大きかったらしい。


それでもたぶんまた明日、きっとお昼ご飯を一緒に食べられるだろう。

めちゃくちゃキレられる可能性もあるけど、まあ、そのときはそのときだ。


さておき。

お昼を食べた私は、その足で一階まで下りて、保健室にやってきた。


向かいながら、そういえば彼女は今は教室の方かもな、とか思ってみたけど、ベッドはひとつ埋まっていた。


「うむむ……」


果たしてこれは彼女なのかどうなのか……

悩んでいると、ずず、と鼻をすするような音が聞こえてくる。


……もしや普通に病人なのでは。


とか思ってたら、スマホが震える。

見てみると、まっさらな青空にユラギちゃんからメッセージが入っていた。


『いる』


……それなら、別に声を出して呼んでくれてもいいのに。

いや、彼女も私と同じように自信ないのかもしれない。

私はとりあえず返信しておいた。


『なんのこと?』

『なんでもないし』


即座の応答。

さてはボックスにすでに打ち込んでたっぽい。

私は笑いながらカーテンの向こうを覗き込んだ。

スマホを手に口をとがらせていた彼女は私に気がつくと目を見開く。


「なんでもないことはないんじゃない?」

「はぁ? ……うっざ」


ぷい、と顔を背けられる。

私はくすくす笑って謝りながら傍らの椅子に腰かけた。


「どうも。調子はどう」

「見て分かんないの」

「そうだなぁ」


肩を引いて仰向けにさせる。

見下ろす彼女はむすっとむくれていて、ずゅぐぐ、とまた鼻をすすった。

そういえば声も少しくぐもっているような気がする。


「風邪気味ってところかな」


大丈夫? と頭をなでると、うざったがって振り払われる。

そしてもう一度鼻をすすって、


「べつに。たいしたことないし」

「そぉう? それなら、いいんだけど」


……この前あんなにずぶぬれになったからかもしれない。

よく風邪をひく、というか、普通にあまり体が強くないっていうのもあるのかもしれない。まあ、保健室っ子なわけだし、あまり違和感はないけれど。


「無理しないでお休みしててもよかったのに」

「はぁ? ……先輩がそれ、」


むぐ。

彼女は途中で口をつぐむ。

むっつりと黙り込む彼女の言葉を推測して、その奥を見透かした気になって、私は勝手ににんまり笑った。


「…………なに」

「んー? べつにぃ?」

「、っざい」

「ふふ、そんなこと言わないでよ」


私と会いたかったから、とか。

私はきっとここに来るだろうから、とか。


図に乗ろうと思えばいくらでも乗れる。


「うざい、キモイ、にやにやしないで気色悪い、ほんとうざい、」


そんな私に彼女は繰り返し細やかな罵倒を繰り返して、それから毛布にくるまった。


「用がないならさっさと消えて」

「ユラギちゃんとお話ししたい、っていうのはれっきとした用事じゃない?」

「……うざ」


もずもずと埋もれる彼女に、そっと覆いかぶさるようにベッドに上る。

ぎし、と軋む音に彼女は反応を示さなかったけど、意識が向いていることは伝わってくる。


「……手、もう大丈夫?」

「……ちょっと切っただけだし」


ちょっとというには、あのガラスは凶器的な気もしたけど。でもまあ、包帯とかもしてないみたいだし、そこまで深くはいかなかったのかもしれない。


「けど……教室にはもういかない」

「……そっか」

「鏡殴り割ったヤバいやつだし、わたし」


まあ、確かにそれは……すこし居心地が悪そうだ。

自嘲的に笑う彼女を、毛布ごと抱きしめる。


「ねえ、ユラギちゃん」


布の上から、ささやきをしみこませる。

今の彼女にこうするのは、きっとすこしだけ卑怯なことで。


だけどどうしても、したくてたまらなかった。


「好きだよ」

「……知ってる」


当たり前のように彼女は肯定する。

とても迷惑そうなため息とともに、だけどほんの少し声を弾ませて。


「私、あなたと恋人になりたい」


私は言った。

彼女はすこしだけ沈黙して、もぞもぞと顔を出した。

一文字に引き結ばれた唇が、彼女のいら立ちを教えている。


「それさ、何人目?」

「告白自体はまあ……8人目になりますね」

「……サイテー」


返す言葉もない。

苦笑していると、彼女は舌を打つ。


「っていうか、しんなりしてる今だから言ったわけ?」

「そういうわけじゃないよ。でも、恋人を慰めるためになら、なにしてもいいのになぁって」

「なにしてもって……なに」

「んんー。例えばね」


毛布から引っ張り出した彼女を正面からぎゅっと抱きしめる。

ぽんぽんなでなでと背中をなでると、彼女は鼻をすすった。


「これ恋人っていうか……お母さんじゃん」

「あらあらまあまあ」

「ちがっ、わたしは別に親にこんなことさせてないからっ」

「うんうん。そうだねぇ」

「あぁもう……」


ぶつくさと文句を垂れながらも、彼女はされるがまま。

そうしていると彼女は次第に身体を預けてくれて、本当にゆるぅくだけど、私の背中に腕を回した。


「……」

「あはは。不満?」

「……そんなのないし」

「さすがにしんどいときにそういうことしないよ」

「……」

「ちゃんと治してからね」


ちゅ、と耳の後ろらへんに口づける。

彼女はぴくりと震えて、ぎゅっと腕の力を強くした。


「……まだ答えてないし」

「それもそうだね」


待ってるよ。

そう言って笑いかけると、彼女はそっぽを向いた。

でも抱き合った体勢はそのままで、しばらくそうしていた。


ほんの少しだけ弱った彼女につけこんだ私は……もしかしたら、卑怯者なのかな。

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