第207話 後輩と(1)

すべてを雨のせいにしてしまえば、晴れとともに気分も切り替わるだろうか。

だけど昨日からの雨は夕方になってもまだ降り続いていて、雨音の向こうには先輩の視線が消える気がしない。

天気予報いわく今日の夜まで降るのだと教えてくれたアイにもそっけない態度をとってしまって、そんな自分が嫌でしかたなかった。


覚悟していた。

ありえることだと思っていた。

それは全部つもりでしかなかったのだろう。

今すぐに先輩に会いに行きたいけど、なんとなく次が本当に致命的な最期の機会である気がして、何の用意もなく会いに行くことはできなかった。


だから私は雨の向こうで、のうのうと晴れなんて待っている。


「今日は、ごめん。ひとりで帰って」

「ええ分かったわ」


別にいつもアイと一緒に帰っているわけじゃない。

むしろ頻度は少ないくらいで、それなのになぜだか心が痛む。

彼女があまりにも物分かりよく笑顔を浮かべていたからだろう、きっと。


彼女を見送った私は、振っていた手を机に張り付ける。

握りしめた拳を振り上げて、だけど殴りつけてみようという気にはならなかった。

感情を破壊行為で表出する感覚は私にはない。

先輩のそれはこんなただの暴力とは全く違うものだけど、でも、やっぱりあまり自分でやろうという気持ちにはなれないことだ。


……先輩もそうなのかもしれないけど。


でもあんな風に距離を開けられるくらいなら、いっそ暴力でも、手の届く場所にいてくれればいいのに―――


「……はぁ」


知らずこぼれたため息が、どっと疲労感を湧き上がらせる。

人の体っていうやつは体温を上げるのに想像より体力を使うのかもしれないとこの雨で学んでいた。いつ役に立つのか。


「おつかれッス~!」


と。

そんなところに飛び込んでくる溌溂とした声。

驚いて顔を上げるとニッコリ笑顔がチャーミングな後輩ちゃんがいて、前の席の椅子の背もたれを抱くように座った。


「こんにちは。どしたの?」

「会いたくなったから来ちゃったッス!」

「はぁー……なんだその可愛い理由は……」


とりあえず彼女の手を取ってにぎにぎしながら、もう片方の手で頭をなでる。

いつからこんなに癒し系になったのか。

小悪魔系から癒し系……近いような遠いような、なんとも言えない気分。


ほんの少しだけ上向く気持ちに体を起こすと、後輩ちゃんはにやにやしながら顔を近づけてきた。


「センパイずいぶん溜まってるみたいじゃないッスかぁ~♡」

「言い方っていうもの気をつけようね?」


疲労とかストレスとかそういうものだろう、うん。

だから生徒諸君はざわざわしないでほしい。

アイを帰したのがこの逢瀬のためとか噂してるそこの女子生徒は顔覚えたからね……?


「今ならみうロハでいッスよぉー♪」

「なんか今日すごい好戦的じゃない……?」

「雨ッスからねぇ」

「雨だからかぁ」


雨だとそうなんだ。

なんて、無邪気に納得するつもりもないんだけど……後輩ちゃんにまで気を使わせてほんとろくでもないな、私。


「……雨、まだ強くなるッスかね」

「どうかな。夜には止むらしいけど」

「だといいんッスけど」


後輩ちゃんの手がするりと指をほどいて、手をさすって、腕をたどる。

ふにふにと腕をもてあそぶ指の心地がくすぐったくて口の端からこぼれる笑みに後輩ちゃんのまなじりが緩んだ。


「あ、そだセンパイ、てるてるボーズって知ってるッス?」

「ほう、てるてる坊主。知らない名前だねぇ」

「なんか昔えらいおぼーさんが首つって雨が止んだんッス!」

「いけにえの儀式かなにかかな……?」


いやもちろんてるてる坊主くらい知ってるけど、そんな恐ろしい逸話だったっけあれって。

ディテールを思い切り削りすぎている気がするけど、私も詳しくは覚えていない。


なにはともあれ。

というわけで、てるてる坊主を作ることになった。

高校生にもなってすることじゃないな、うん。


「みうおもーんッスけど、これサランラップとかでやったほーがよくないッス?」

「ああ。ティッシュだと雨に弱そうだもんね」

「そッスそッス」

「でも透明だと見栄えがイマイチだよね」

「それはそーかもッスね!」


なんて会話をしながらくるくるつめつめ。

なにせ単純作業だから手慰みにはちょうどいい。


「なーんか物足りねーッス」

「色ペンならあるけど」

「あ、そういえばみうもシュンカン接着剤なら持ってるッス!」

「も……?」


色ペンと瞬間接着剤に共通項ある???

っていうかなんでそんなもの持ってるんだ……ほんとに持ってるし。


「あとこれッスー!」


ばーん、と取り出したるは安っぽそうなつけまつげ……え。


「えっ。まさかそれ……」

「パパがなんかゴキゲンとりだかにんぎょー買ってきたんッスよねぇ。ガキじゃねーって感じッス」

「あ、人形につけるんだ」


てっきり瞬間接着剤でくっつけるとかいう無謀なことをやるのかと思った……

っていうかそれにしてもノリは付属のやつ使ったほうがよくない?

まあいいけどさ。


「んでこれつけてー……かんせーッス!」


ごそごそ、じゃーん!

と見せつけてくれるのは、小悪魔になったてるてる坊主。

どうやらまつ毛は翼になったらしい。

なるほどそうきたか。


「センパイのほーは……ってなんッスかそれ!?」

「えっと。……呼吸困難……?」


顔を青ざめさせて、やつれてる風に黒のラインを入れてみた。

さっきの後輩ちゃんの雑談(文字通り過ぎる)がなんとなく面白かったからつい軽いノリで……いやなんか自分でやっててなんだけど引くなこれ。


「せ、センパイが病んでるッス……」


後輩ちゃんも恐ろしがって自分の身を抱いている。

かと思えばえいやと坊主を取り上げてあっという間に解体してしまった。


「そんでもってこーッス!」

「あっ、ちょっと」


ちーん、と青い紙で鼻をかむ後輩ちゃん。

どこか誇らしげに胸を張る彼女の鼻は、まあ予想通り青く染まっていて。


「あちゃあ。みうちゃんほら」

「ははぁん。こんなところでダイタンッスねぇ……♡」


んっ、と唇を突き出して目を閉じる後輩ちゃん。

周囲からざわめきが聞こえるのを無視して、私は取り出したウェットティッシュで鼻の頭を拭いてあげた。

ぱちくりと瞬く彼女は、わずかに青くなったウェットティッシュを見て自分の鼻をつんつんする。


「青くなってたよ」

「そゆことッスかぁー……」


がっくしと肩を落とした彼女にくすくすと笑いながら顎をくいと持ち上げる。

ハッとして目を見開く彼女が硬直するのを気にせず鼻を眺めて、ちゃんと拭えているのを確認してから解放した。


「ん。バッチリ」

「もぉー! センパイもぉーッス!」

「牛さんかな?」


うなる後輩ちゃんから完成作品を取り上げる。

そのまま窓辺に立って、そういえばヒモも何もないなと思い出す。


そしたら後輩ちゃんがやってきて、私もろともカーテンでくるんだ。

ふたりきりの空間で、同じようにてるてる坊主を見上げた後輩ちゃんがポンっと手をたたく。


「あ、みう毛糸ならあるッスよ!」

「あうん。ありがとう」


なぜに毛糸?

と思いつつ、てるてる坊主に毛糸を巻く。


……うわぁ。


「マフラーみたいッスね!」

「ああ……うん」


毛糸ってなんかこう……縄みたいだよね。あざなってる感じが。

考えるのはよそう。


なにはともあれてるてるした小悪魔坊主ちゃんは、窓際でプラプラ揺れて雨に挑んでいる。

なんとなくさっきよりも雨が弱まった気がして、まったく単純だなぁと少しあきれながら。


私は、傍らの後輩ちゃんの肩に手を置いて、そのままかがんでキスをした。


「……またね、後輩ちゃんに、言いたいことがあるんだ」


今日は、今は、告白なんてすべきじゃない。

だけどそうして、私の想いを彼女に伝えておく。


彼女は驚いたようにぱちぱちと瞬いて、だけど笑った。


「待ってるッス」


この愛らしい小悪魔のおかげできっと、雨は予報よりずっと早く止むだろう。

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