第205話 女子中学生と(1)

先輩方の衝突から、私は逃れるように保健室に戻った。

あの後どうなったのかは分からない。こっちからの連絡は無視されたし、姉さんが来て家に帰るころには、当たり前というべきかもうふたりの姿はそこにはなかった。

大きな騒ぎにもなっていなさそうだし、たぶん恐ろしいことにはなっていないと思うけど……


いずれにせよ、改めて話を聞く必要がありそうだ。


だけどひとまず家で身体を休めることにする。

なにせ雨に打たれたりメンタルを打たれたりしたせいで随分と消耗していたようで、家に帰るなり立てなくなってしまったくらいだ。傍らに姉さんがいるから無意識に甘えてしまったというのもあるかもしれない。

そんな私を姉さんはやっぱり優しく介抱して、自分の部屋で寝かせてくれた。

やることがあるからとノートパソコンをかたかたやりながらも時折振り向いて笑みを向けてくれる愛おしい人に安堵して、私はいつの間にか眠ってしまう。


そして目覚めた頃には、ちょうど下校時間くらいになっていて。

だから自然と、バイトの時間だな、とぼんやり思った。


「あら。おはようユミカ」

「おはよう姉さん」


私が起きたことに気が付いた姉さんが近くにやってきて、キスの後に額を重ねる。


「熱はないみたいね」

「うん。元気いっぱいだよ」

「それはよかったわ」


にっこりと笑った姉さんはもうひとつキスをくれる。


「おかえりなさい」

「ただいま。って、今更だね」

「そうね」


ふたりでくすくすと笑いあって、今度は私からひとつ。

なんか脳の死んだ姉妹だな……とか思ったけど気にしないことにして、私は起き上がった。


「バイト行くね」

「無理はしないでいいのよ?」

「大丈夫。連絡とかしてないよね?」

「ええ。もう少し寝ているようだったらしようかと思っていたのだけれど」

「じゃあセーフだ。シャワーだけ浴びるよ」

「ちょっと早いけどお風呂ためてるわよ」

「わお。姉さん大好き」


ぎゅっと姉さんに抱き着いて、それから浴室へ。

寝起きでお風呂に入りたがる私を予測してくれていたんだろう、さすが姉さんだ。

その気遣いに甘えてのんびりお風呂で温まった。


―――そんなこんなで、レッツ労働。


体調はもう万全といった感じで、私は特に問題はなかったんだけど……


どちらかというと、問題があるのはメイちゃんだったりする。

なにせ前回色々あったし、おかげでものすっごい意識してがちがちになっていた。

下手に話しかけるとなにかとんでもないミスとかをしでかしそうで気が気でないから、最低限の業務的な言葉しか交わさなかったくらいだ。


……なのに。

そしたらなんか、それはそれでお気に召さなかったようで。

バイトの終盤、彼女はなぞに不機嫌だった。

つんとそっぽを向いて、おかしいなと思って話しかけてもぶっきらぼうに返されて、業務的なことだけしっかり伝えてくる。

なんかもうほんと……かわいいかよ。


そんなこんなありながらもバイトは終わって、沈黙を続けるメイちゃんと更衣室。

入るなり、私は彼女の手を取った。

きゅっと胸に引き寄せて、視線を合わせて見つめれば、彼女は縮こまって目を合わせてくれた。

私は笑う。


「ようやく目を合わせてくれたね」

「ゆ、ユミ姉」

「この前の、意識してる?」

「ぅ……」


かぁと赤くなってそっぽを向いてしまうメイちゃん。

どうやらかなり意識しているらしい。

うろうろする目がちらちらと私の口元に向くけど、見落とすには熱烈すぎる。


だからといって軽率にするつもりはない。

この前のはちょっと例外みたいなもので、一度やったからハードルが下がったなんてことはないのだ。


それをどう伝えようと悩んでいると、彼女は口を開く。


「ユミ姉、は」


そっと伸びた指が彼女の唇をふゅ、とまくるようにして、瑞々しい果実がてらりと光る。


「わたしと、もっとしたくない?」


そんな聞き方をされたら返答は決まってしまう。

だから沈黙するしかなくて、そんな私に彼女は不満げに唇を尖らせる。


言うべきだろうと、不意に思った。


どうして相手も自分も追い詰めるようなことを性急にしようとするのか。

そんな自嘲は正直あるけど、かといってダラダラと後回しにしたところで悲惨なだけだ。とも思う。


だから私は言った。


「そういうのは、もうちょっと大人になって……それで、恋人になってからにしようよ」


私の言葉に彼女はひとときもっと不満げに頬を膨らませて。

だけどふとなにかに気が付いてぱちくり瞬いて。

それからバッと勢い良く立ち上がった。


「え゛っ!? こ、こここここいここいこい!?」

「うん。恋人」

「へぁあ……」


すとんと座り込んで、訳も分からず呆然とするメイちゃん。

だけどじわじわと言葉の意味を理解してくると次第に笑みが湧いてきて、緩み落ちそうになっているのか手で必死に頬を抑える。


だけど私は当然に、その喜びを捻り潰さないといけないのだ。


「メイちゃん。でもね、」

「まって! 分かってるから!」


続けようとした言葉を遮られる。

ぱちくりと瞬く私に、彼女はすっと真剣な表情となった。


「ユミ姉の言いたいこと、たぶん分かるよ。……でもおねがい。今だけは浮かれさせて? そんなすぐなんてイヤだよ。一日だけでもいいの。一日だけでも、ただ喜ぶ日が欲しい」


彼女がそれを望むのなら、私はムリに言葉を続けることもできなかった。

口を閉ざせば彼女はほっと息を吐いて、それからぎゅっと抱き着いてくる。


「ありがとう。ユミ姉がね、そう言ってくれて……わたしと恋人になりたいって思ってくれてて、すっごいうれしい」

「……うん。私も」


彼女が私を受け入れてくれる―――それはどこまでも幸福なことだ。

たとえそれが不完全なものだったとしても、彼女からのまばゆいほどの愛情が愛おしくてたまらない。


そんなものを、のうのうと受け取る権利なんてないのに。


「えへへ。えー、でもさユミ姉、大人っていつ? 18歳くらい?」

「ん、まあそれくらいかな」

「約束だよ? 見ててね、ユミ姉から告白したくなるようなオトナなお姉さんになっちゃうから」

「ふふ、楽しみにしてるね」

「うんっ」


はにかむように、だけどとても嬉しそうで、未来の幸福に浮かれて笑う。

彼女の目に浮かぶ未来はいったいどんな薔薇色に染まっているだろう。

私も同じものを見てみたいとそう思うけど、悲しいことに妄想さえできなかった。


「本当に、とっても、楽しみにしてる」


だけどもし、私の未来でも彼女がこうして笑ってくれるなら―――いや。

絶対に、メイちゃんを幸せにしてみせる。

そういう覚悟はとっくにした。

身を削ってでも、力尽きても、必ず。

私たちの最後を、下り坂なんかで終わらせない。

今のこの瞬間を人生の絶頂だなんて認めない。


「わ。もう、痛いよ」

「うん」

「……だいすきだよ、ユミ姉」


熱烈に抱きしめる腕の中で、メイちゃんの声が少し震える。

だけど今はただただ幸せでいてもいい時間だから、私はメイちゃんの顔を見なかった。


今はただ、未来の恋人と、たったひとつになればいい。

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