第204話 生徒会長と(1)

屋上で倒れて保健室に運ばれた、っていうのはそこそこの大事らしくて(そりゃそうだ)保護者として連絡先を預けてる姉さんにまで連絡がいった。

で、結果姉さんが至急迎えに来てくれることになってしまった。

私は別にひとりで帰れるって偉い先生に伝えて言ってあったし、養護教諭の先生からもそれくらいは問題ないっていう話で合意を得ていたのに、姉さんはそれを説明してなお押し切って大学を飛び出したらしい。

大切にされているんだね、ってめちゃくちゃ生暖かい笑顔を向けられてもうどうしようっていう感じだった。


そんなこんなでちょっとバタバタしたけど、早退するやつが授業受けるわけにもいかないだろうってことで保健室待機。カケルはすでに教室に戻ってもらった。

その間なにをしていようかなって思いながらちらりと隣のベッドを覗いてみるけど、いつもはいるはずの彼女がいない。そういえばカケルといるときも気配はなかった……いや、あったらあったでヤバかったけど。


なんとなく養護教諭の先生に聞いてみると、どうやら彼女は教室にいるらしい。


教室に、いるらしい。


なんとまあ、だ。

喜ばしいことなのかもしれないけど、少し複雑でもある。

先週、最後に彼女と会ったときに滲んで見えたあの暗闇は、まだ彼女を蝕んでいるように見えたから。

わざわざこんな居心地の悪い学校とかいう場所にきて毎日頑張ってるんだから、あまり無理しないでもいいんじゃないかって、そう思う。


まあ、頑張ってる子にかける言葉でもないだろうけども。


とりあえず明日にでもまたここに、それとも教室に会いに行って、様子でも見てみることにしよう。さすがに今は……いやうーむ。


「お手洗い行ってきますね」

「はい。いってらっしゃい。気分が悪いとかじゃない?」

「ええ大丈夫です。でもちょっとお腹は空きました」

「ふふ。お姉さんとの寄り道は少しだけにしなさいね」


そこはダメって言うべきなのでは……?

まあいいや。

ともかく、そんなやり取りをして保健室を抜け出す。

いや別にお手洗い行くだけだから。

ただこう、道に迷ったりするかもだしね。


なんて思いながら廊下を歩いていると、ばったりと生徒会長に遭遇した。


「どっ、あ、ど、どうもシトギ先輩」

「あら。どこへ行くのかしら」

「や、やだなぁただのお手洗いですよ」

「そう」


……いや待て、違う。間違ってる。


どこへ行く、は、私のセリフだ。


「えっ。先輩はなんで……?」

「ちょうどあなたに会いに行こうと思っていたのですよ」

「ああ、そうなんですか」


って、納得していいことじゃないんだろうけども。

なんでこう、一切の悪びれなくそういうこと言えるんだろう。

謎すぎる。


「驚きましたよ、島波さん」


困惑する私の頬にそっと触れて、まるで形を確かめるようにつるりと撫で下ろす。

それからそっと手を取って、指先が脈に触れた。


「……それ、分かるんですか? なにか」

「いえ。ただ、あなたがここにいるのだなと」


な、なんだその、なんだ。

えっと、なんか照れる。

そんなまっすぐ見つめないで欲しい。


「ふふ。では、あなたのお顔も拝見できたのでわたくしは戻ります。ご不浄と、ウソをついて抜け出してしまったので」


そう言って彼女は、ぺろ、と舌を出して笑う。

茶目っ気を演出しているのかもしれないけど、彼女がやると妖艶でしかない不思議。


「先輩」


ついうっかりみとれてしまいながら、去り行く彼女の手を取った。

彼女は緩やかに振り向いて、じろり、私を見やる。


身がすくむ。


私はなにを言おうとしている。


吐いて、ぶっ倒れて、それなのにまた同じようなことをしようっていうのか。


顔を合わせたからってあまりにも性急すぎる。


やるにしてももうちょっと考えるべきだ。


―――なんて、彼女の手を放す理由はいくらでもあって。


だけど顔を見てしまっただけで、多分もう無理だった。

伝えたいと、そう思ってしまった。


「私の、恋人になってくれませんか」


だから私は性懲りもなく、愛おしい人への罪を重ねる。


すぅと細まる視線。

ぐいと引き寄せられて。

私のすべてを見透かすように。


言葉を続けようとした口が、彼女の口で塞がれる。


シトギ先輩とキスをしている―――その事実だけで、すべてがどうでもよくなりそうで。


口を離した彼女は、ぺろりと唇を舐めて。

まるで、私の言葉をすっかり平らげてしまったみたいで。

実際に、私はどうしても言葉を続けられなかった。


もしもそうしたら、二度とこの人と恋人になる機会はない―――そう、視線で確信させられる。


「返答は『はい』です。今この瞬間から、あなたあなたわたくしだけ・・のものになりました―――異論はありませんね?」


私は、言葉を吐けない私は。

それでも、それでも首を横に、


「異論は、ありませんね?」


動こうとした首を、先輩の強く細い指が握りしめる。

爪が食い込んで皮膚がさけるほどに強烈で、気道はほぼ完全に閉塞して。

だから首を振ることも声を上げることもできなかった。


「あまりの嬉しさに声も出せませんか? ふふふ」


このまま沈黙することは、彼女にとっては肯定なのだろう。

だとしたら私はこのまま―――永遠の沈黙に落ちていくに違いないのだ。

それを拒もうとあがいても、彼女の手は固くて、どうしようも、なくて、


―――そのとき、目の前に赤が飛び散った。


「―――言ったはずだよシトギ シズル」


痛みにひるんだ腕を、弾き飛ばして割り込む人がいて。


「キミは毒だ。ボクのユミカに触れるんじゃあない」

「せん、ぱ、い」


呼んでも彼女は―――先輩は、振り返ることさえなく。

その手に持ったシャーペンの先から、ぽつりと一滴の赤が落ちる。


シトギ先輩は突き刺された手首を気にすることもなく、ただただ冷ややかに笑みを浮かべていた。


「邪魔をしないでいただけますか? わたくしは今、恋人のユミカと愛し合っていたところなのですよ」

「なにを馬鹿な」

「ふふ、はは、あはははははははは!」


吐き捨てる先輩に、シトギ先輩は心の底から楽しそうに哄笑を上げる。

笑いすぎて浮かんだ涙を血の滲んだ指先で拭い去って、そうしてそこに私の残滓があることに気が付くと、愛おしげに舌先で舐って頬を染める。


「あぁ……うふふ。愚かなのはあなたではありませんか。ユミカはわたくしを選んだのですよ。このわたくしだけを。ねえ、そうでしょう? ユ ミ カ ?」


笑みが、私に向けられる。

あまりの熱に溶けてしまいそうなくらい、熱烈で、どうしようもないほどに、蠱惑的な視線で。


「……それがどうしたっていうのさ」


だけどそれもすぐに先輩にさえぎられて、シトギ先輩は興ざめとでも言いたげに冷え切った視線で先輩を見た。


「もしそうだとしても、ボクはキミなんざ許容しない」

「あなたの許容など必要ありますか」


するり、と。

シトギ先輩は胸元からスマホを取り出す。

まるで形を確かめるみたいにつるりと撫でて、それから無造作にだらりと腕を下した。


空気が、緊迫する。


首を絞められていたさっきより、もっとずっと息がしづらいような気さえしていた。


だけど、私は言わないといけなかった。


「シトギ、先輩……っ! 私はっ、ごめんなさいっ。私は先輩だけじゃなくて、みんなにも、同じことをお願いするつもりです」


私の言葉にシトギ先輩から表情が消え、先輩の手の中でシャーペンがへし折れる。

火に油を注ぐどころではないことをしたのだと遅ればせながら理解が叩きつけられて、パニックになりそうだった。


そんな私に、しばらくの沈黙を挟んで先輩は言った。


「……ユミカ。キミは保健室で寝ているべきなんだろう」


シトギ先輩もまた笑う。


「うふふ♡ その件は今度のデートでまたじっくりと話しあいましょう? わたくしは、この愚物と話をつけなければいけませんので」

「ま、まって」


「「ユミカ」」


ふたつの声が重なって、私の名前を呪う。

私はもはやなにも反論できず、その場から去るしかできなかった。

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