第203話 スポーツ娘と(1)

目を覚ましたら、私は柔らかな女性の胸に抱かれていた。

いつか似たようなことがあったなあと思いつつ、見下ろす視線に問いかける。


「えっと。……なんで?」

「スッゴい身体冷えてたからあっためよーと思って」

「雪山でやったら死ぬらしいねそれ」

「えーそなの? まあ今は夏だからダイジョブだよ」


だったらそもそもこうして温めようとする必要なくない?

とか、まあ言うだけ野暮っていうものだろう。


私はカケルの胸を手のひらに収めて、もふもふとほっぺで楽しんでみる。

そうしたらすすると背筋をなぞる指先の心地に、じくじくと熱を帯びる下腹部を意識しながら身体を起こした。


「私、どうなってたの?」

「それがわたしじゃないんだよね、ユミカをここに連れてきたの」

「そうなの?」

「ほら、キノ先輩っているじゃん? あの人だよ」


……なるほど。

納得感があるような、ないような。

だってそれなら、今私のそばにいるのは先輩っていうのが自然だ。

自然というか、あの先輩が場を譲るとは思えない。


「っていうかむしろこっちがどうしたのっていうカンジかな。どしたのほんと」


私の困惑はさておいて、彼女はぱちくりと私を見る。

くい、と腕を回されて、起き上がったばかりなのにまた抱きしめられた。

じぃ、と見つめる視線には、口調の軽さとは裏腹にまっすぐな心配がこもっていて少しむずがゆい……というか申し訳ない。


「なんかあの人がずぶ濡れのユミカをここに連れてきてさ。偶然見かけたんだけど。すっごいテイネーに身体拭いて、着替えもほらそこに」


指さす先には、パイプ椅子の上に折り目正しく置かれた制服一式。

多分保健室の貸し出しものだろう、上にはご丁寧にも貸し出し名簿が置かれている。


「カケルはそれ見てたの?」

「あーうん。あはは、だってそりゃあシンパイだったし。でもなんか近寄りがたいってゆうか……隠れて見てたらバレてたみたいでさ、『あとは見ていてくれないか』って」

「先輩が?」

「うん。……愛されてるねー、ユミカ」


そっと目を細めて笑うカケル。

私は頷いて、彼女を抱きしめる。


「ありがとね」

「わたしなんもしてないよ?」

「ずっといてくれたんでしょ? カケルのおかげで、私は凍えずにいられたんだよ」

「おおげさだって」


はにかむ彼女に首を振る。

多分きっと、目を覚ましたそのときに彼女がいたというそれだけで、私はずいぶんと救われている。今頃たぶん、私はまだ震えているはずだった。


だからどうしても、私は彼女に伝えたかった。

そんな衝動を一度飲み込んで、彼女の顔を見て、伝えるべき言葉はきちんと自分の心で選ぶ。


「カケル。私と、付き合ってください」


彼女に対して変に言葉をこねくり回すのは気が引けた。

だからいたってシンプルに……って、あえて思う必要もなく私の語彙力はずいぶんとシンプルな気がするけど。


彼女は私の告白に目を見開いて。

ぶわ、とあふれ出した瞳がぽろぽろとベッドにシミを作っていく。


……胸が、ざわつく。

分かっていても、彼女のそれが『理解』によるものなんだろうなと思うと、苦痛でたまらない。私が彼女以外にも同じことを言っているのだと、きっと彼女は当たり前に理解している。


それでも私は、言葉をつづけた。


「同じことを、他の人にも言います。でも、カケルと恋人になりたい」


突き飛ばされるだろうか。

それともただ顔をそむけるだろうか。

嫌われるだろうか。

憎まれるだろうか。


……そう思うはずなのに、不思議と、胸を埋める不安が薄らいでいく。

泣きじゃくりながら涙をぬぐう彼女を見ているのに。


ああ。


「うんっ、」


彼女は、こくこくと何度も、首を振って。


「わたしっ、わたしもっ、」


そして、涙をぬぐうのももう億劫なのだと言わんばかりに、大輪の花を咲かせて。


「わたしもっ、ユミカの恋人になりたい……ッ!」


感極まるように、塩辛い口づけが触れる。

いつもよりももっと甘くて、赤くて、スイカみたいな口づけだった。


「い、いの? ほんとに……?」

「あはは、どうしてウソなんてゆうのさ」

「だっ、だって私かなりクズなことしようとしてるよ? 絶対恋人向きじゃないよ?」

「ヒトの恋人をクズとか言わないでほしいなー」

「あうん、ごめん。……ぇあ、こ、えっ、は? ……は? 本気で?」


彼女を疑っているわけじゃないんだけど、現実が信じられない。

どこかのタイミングで世界が切り替わっているんじゃないか……?


「か、カケル、ちょっとつねって?」

「うん」

「んっ、……じゃないよ!? どこつねってるの!?」

「……♡」

「なにその生ぬるい視線! 言っとくけどあれだよ!? 寒いからだよ!? もうそろ九月なのに冷房効きすぎだよ! 保健室っていつもそうですからっ!?」


自分で言っててなんだけど、混乱しすぎで笑えない。

いやだってそんなところつままれて……っていうか今私ってカケルと裸で抱き合ってるんだ……?


「あ……ふふ♡」

「なにを感じ取ったのか知らないけどその目をやめろぉっ!」


どげし、と彼女を押し出そうとして、反作用で自分がベッドから落ちる。

上から覗き下ろしてくる彼女はからからと笑っていて、なんとも楽しそうで、嬉しそうで。


「もう……なに笑ってるの」

「あはは、ごめんごめん」


なんてふたりで笑みを交わして。

あらためて。


「えっと。カケル。ほ、ほんとに、恋人になってくれるの?」

「うん。……って言いたいところだったけど、やーめた」

「え」


上げて落とす―――いたってシンプルな手法なのにあまりに落差が大きすぎて、たやすく私の心は破砕された。

おかしいな、もしかして私っていまベッドじゃなくて高層ビルの屋上にいたんだっけ?


……しのうかな


なんて沈んでいると、身を乗り出した彼女が顔を引き寄せて口づけをくれる。


「ほら、だってズルくない?」

「ず、ずるいって……?」

「だってわたしはホンキでユミカ狙ってたのに、ユミカはそんなカンタンに受け入れられるんだよ? ふこーへーだよね」

「そんなことある???」


まあ、確かにさんざん『恋人はない』だのなんだのと言っていた私だ。

だけど不公平なのはたぶんそこだけじゃないっていうかそれどころじゃないっていうか。

えっ、ほんとに不満点そこだけでいいの……?


「とゆーわけで、あれね。今度はわたしの番だから」


とんっ、と軽く肩を押される。

ゆっくりとベッドの上で膝立ちになった彼女は、LEDを後光に笑った。


「ホンキでわたしを狙ってみせてよ。そしたら惚れてあげる」


―――その、どこまでも傲岸不遜な宣言に。

私はただ、粛々とうなずくほかなく。


だけどせっかくだからと、可能な限りの闘争心を不敵な笑みで見せつけてみた。


「ホンキでスキになるから、簡単にオチないでね、カケル」

「……わ、惚れそう」

「チョロすぎ……?」


なんてくだらないやり取りで、笑いあえるという事実。

もちろん彼女にだって思うところがないわけではないんだろうけど……でも、それでも、受け入れてくれたのだと改めて実感する。


よかった……

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