第201話 図書委員と(1)

遠距離な幼馴染と、その恋人の合意のもと一対一で家に上がり込んで。

そうしたところで多分本当に、彼女たちにとって私という存在は大したことがなくて。

恋人たちにとって物語の主役はふたりだけで、もしそれを文章にしたのなら、私なんてきっと名前も出ない。

それでいいし、それがいい。


私はそれに、憧れる。


けど、ふつう物語っていうのは起伏がある。

山あり谷あり、それでも肉体的にか精神的にかふたりはそばにいて、そんなものを恋人と呼ぶのだろう。もしかしたらそれは、あまりにも幻想過ぎるのかもしれないけど。


でも、だとしたら。


ただひたすらに好きで、それを伝えて、伝えられて、幸福でいたいだけの私の今は、とてもつまらない物語に違いない。

山も谷もないまっすぐな絶頂が続いてほしいという願いはきっと、そのあふれんばかりの傲慢とは裏腹に、劇的でも、愛おしくも、恋しくも、面白くもない。


なるほど確かに、そんなものにいつまでも付き合ってくれるような奇特な人がいるはずもない。

飽きて、諦めて、離れて、遠ざかって、そうしたらもうきっと、その先で何を思ったとしてもどこにも届かなくて。

最後には、登場人物のいなくなった物語の中で、私はたぶん、ひとりきり。

それが必ずしも悪いこととは思わないけど、私はひどく傲慢だから、やっぱり私の物語には彼女たちが登場してほしいとそう思う。


だったら、求めるべきだ。


山も谷も、あらゆる葛藤も、苦難も、そして幸福も、快楽も、歓喜も、なにもかもを、もっともっと貪欲に―――彼女たちだけじゃない、彼女たちとともにある未来を歩む私のことも、もっともっと、強欲に。


いっそ最低まで落ちてみたっていい。

彼女たちとなら、そんな世界も悪くない。


私は、だから―――恋愛とかいうのをしてみることにした。


結局それが私の結論だった。

具体性のかけらもなく、彼女を悲しませないという約束を破ってしまうし、なによりクズだ。


それでもなお、私は彼女たちと一緒にいたい。

そのために必要だとそう思うから、私はいっそ、彼女たちに嫌われたっていいのだ。

嫌われて、憎まれて、どうしようもないほど仲たがいして―――その程度で忘れられるほど、彼女たちに刻んだものは浅くない。そんな程度で諦めてやるつもりもない。


そのために。


「……うわぁ、なんか、はは、すっごい不安になるもんだね」


苦笑しながら、私は金庫の扉を閉じた。

二枚のカードが、私の見えない場所に消えてしまう。


わざわざこのために買った小さな金庫。


ナンバーも知っているから別に開けようとすればいつでも開けられるし、まあいつまでも閉じ込めておくつもりもないけど……ようは意思表明みたいなものだった。


「はぁー、よし」


ぺちんと頬を叩いて自分を律して、いつも通りの荷物を持ったらいざ通学。


「いってらっしゃい」

「いってきます、姉さん」


見送ってくれる姉さんにいってきますの口づけを。

それからついでに耳元で、


「結婚しても毎朝やろうね」


それだけ言い残してさっさと家を出た。

返事は聞くまでもない。

だって姉さんは姉さんだから。

新居だろうが愛の巣だろうが、愛おしい姉さんのそばから離れてなるものか。

毎朝いってきますのチューするのを、あの人に見せつけてやればいい。


そんな想いで弾む足は、だけどさすがに学校に近づくと重くもなる。

なにせこれから会う相手は姉さんではないのだ。

一筋縄ではいかないだろう。


そういう意味では、姉さんってすごい。

絶対に嫌われないし、絶対に両想いだっていう確信が微塵も揺らがないんだもの。

これが姉妹愛というものなのか……


さておき。


勢いあまって結構早い時間に登校してしまったようで、これは一番乗りかなとか思ってたら、図書委員な彼女の後姿を発見した。


「おはよう」

「あ。おはようございます」


声をかけると彼女はにこりと振り返って、それから腕時計をちらりと見て首をかしげる。


「今日はお早いんですね」

「うん。なんだか勢い余って」

「余っているんですか? 勢い」

「有り余ってるね」

「じゃあおひとつくださいな」

「まいどありー」


むぎゅうと一勢い分くらい抱きしめる。

彼女はそんなくだらないやり取りをくすくすと笑ってそっと耳元に口を寄せた。


「なにか、あったんですか?」


ちらりと目を見てくる視線はどことなく不安げにも見える。

もしかして私がおかしくなったとかちょっと思ってるんだろうか。

ひどくない……?

あながち否定できない気もするけど。


私は笑ってうなずいた。


「あのね、トウイ。私の願いを叶えてくれるっていうの、まだ有効?」

「それはもちろんです、けど……」


戸惑いに揺れる瞳を捉えて、抱きしめる力を強める。

触れるほどに顔を近づけて、そして私は告げるのだ。


「だったらさ。私の恋人になってほしい」

「―――ぇ」


彼女は硬直する。

私の言葉を理解するのにしばらくの時間を要して。


「……は、へぁ、ああ。……んはぇっ!?」


そうしてようやく理解した瞬間には、もう爆発してしまうんじゃないかっていうくらい一気に真っ赤になってしまった。

混乱の極みにあってじたばた暴れて訳も分からず逃れようとして、だけど私は許さない。


「ごめんね。もっとロマンチックなシチュエーションとかいろいろ考えたけど、そういうのはプロポーズの時まで待ってほしい」

「ぷろぉ!?」

「いつかはそうしたいって思ってるよ」

「なっ、な、にぇ……な、なんでわたしなんですか……?」

「うん。そこからがもうひとつの本題なんだけど」

「はぇ」


彼女をいったん解放して、だけどどうやら腰が抜けてしまっているみたいだからもう一度ギュっとして支えてあげる。

そうしながら私は言葉を続けた。


「まず大前提として、私はあなたが大好きで、あなただから恋人にしたいって思ってる」

「は、はい」

「でも。……もしも受け入れてくれたとしても。あなただけと恋人になるとは、思ってない」

「……」


すとん、と。

彼女は私の言葉を理解して。

困惑すればいいのか笑えばいいのか悲しめばいいのか、そんないびつな表情を浮かべる。

そ、と伸びた手が私を押して、逆らわずに彼女を解放した。


「そ、うです、よね」


それでもなんとかぎこちなく笑った彼女は、だけどすぐに維持できなくなって、笑顔が剥がれ落ちるのを抑えるみたいに顔を覆う。


「ええ。はい。……はい。わたしは―――はい。協力します……あなたに、だから、……ッ」


手を取ってこじ開けて、ぼろぼろに崩壊した彼女と向き合う。

必死に笑顔を作ろうとひしゃげる頬をそっと包んで止めてしまえば、溢れるものを抑えることもできなくなった。


「ごめんなさい……わたし……」

「謝らないでほしい。その感情は私に向けられるべきものだから。……自分を傷つけてほしくないよ。そんなことで、私はあなたを諦めないから」

「……」


まるで私の真意を見通すように、彼女は私を見つめて。

そしてひとつだけ、ぽふ、と、とても弱々しく……だけど、間違いなくネガティブな感情を乗せて、私を叩いた。


「考えさせて、ください」

「うん」

「……色よい返事ができるかは、分かりません」

「それでも、ちゃんと、トウイの気持ちを教えてほしい」

「………………はい」


ふらつきながら、彼女は校舎へと去っていく。

ちらほらと見え始めた生徒たちが立ち尽くす私をちらちらと見て過ぎていく。

だけど私は気にせず、とりあえずトイレに駆け込んだ。


そしてこみ上げていたものを、思い切り陶器の器に向けて吐き出した。


「……はは」


たったひとりでこれか。

まったく先が思いやられるなぁ。

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