第196話 考えてる女子中学生とケンカで(2)

なにもできないからと、なにもしないでいていいわけも、そしてそんなつもりもない。

だけどなにをすればいいのか分からなくて、私は彼女の隣に腰かけた。

そうしたら気配を感じたのかわずかに肩を揺らすけど、顔を上げることもなく、涙が止まることもない。


「ごめん、ね」

「……あやまるしかできないんでしょ、どうせ」


具体的なものすらなく告げられる謝罪に、返ってくるのはひどく拒絶的な言葉。

それに返せるものなんてなくて、私は下唇を噛んで自分を痛めつけた。


今こうしている間にも。

彼女が、私から離れていってしまっているような―――そんな感覚がある。

冷えて、冷めて、凍えて、凍って、そうなってしまったらきっと、いくら後から解いたって、もう、元通りにはならない。


「―――ごめんね」


これは、過去ではなく、今でもなく、今からのことへの謝罪だった。


私は彼女を強引に引き倒して、反射的に振るわれる腕に頬を殴りつけられながら組み伏した。

じたばたと暴れながら悲鳴を上げるその口を口づけで封じれば、噛みつかれた舌からだくだくと出血するのが分かる。


そんなことにひるんで、彼女は抵抗をやめた。


青ざめて涙を流しながら私の舌を受け入れる彼女をただ蹂躙する。

それから顔を離して、彼女を見下ろした。

差し出したままの舌からはまだ血が垂れて、彼女をぱたぱたと侵していく。


彼女にとって、これがハジメテだ。


勘違いや気のせいじゃどうしようもない、明確な、私とのファーストキス。

きっと最悪で最低で悲しみと憎悪に彩られた、そんなものだろう。


彼女は、震える手で、ゆっくりと、まるで身体の力の全部がなくなってしまったみたいに、私の頬を張った。

少しも痛くなくて、あまりの痛みに死んでしまいそうだった。


「ッ!」


パン―――ッ!


と。

耳から投げ込まれた衝撃が脳をぶちまけて私を転がす。

歯を食いしばって睨みつけながら、そうして私を殴り飛ばした彼女は、這い出るように私から逃れて、今度こそ去って行った。


私はメイちゃんを失った。


つまりはそういうことだった。


起き上がる気力さえなくて、私はただゴミみたいに床に転がっている。

顔を流れていくものがあまりにも冷ややかで、凍傷が肌を剥がして落ちていった。


私は目を閉じて、彼女のいなくなった静寂が、30分続いてくれることを願っていた。


―――だけど。


離れていったはずの足音が。


またすぐに、戻ってきて。


目を開けば、メイちゃんはもう、私へと駆け寄っていて。

そのまま私を抱きしめた彼女は、わんわんと、大声をあげて泣いた。


「どうして、戻ってきちゃったの」

「なんでっ、なんで帰れるの……ッ!」


私は目を閉じて苦笑した。


彼女は気が付いてしまったようだ。

リルカを使っているのなら普通は帰ることなどできないという、そんな、ひどくくだらない事実に。


「ヤだよっ、こんな風にユミ姉とお別れしたくないよ……」


あんなことをした後で、よくもこんなことを言ってくれるものだ。

こんな直後なのに、彼女がこうして、私への想いを知らしめてくれることが、どこまでも苦しくて、ごめんなさいが溢れてしまう。

罪悪感と後悔に押しつぶされそうで、だけど、してしまったのだからなかったことになんてできやしない。


「でも、私は絶対、メイちゃんの望みを叶えられないんだよ……?」

「そのために悩んでくれてたんじゃないの? だから相談してくれたんじゃないの?」

「それでも。きっと結局、私は私に都合のいい結論しかだせないよ。……メイちゃんだけを見るなんて、できないんだよ、私は」

「なに、それ」


自然とうつむくと突き放されて、かと思えば胸倉を掴み上げられる。


「だったら最初から悩んだりしないでよッ!」

「メイ、ちゃ」

「そんなの最初から分かってたんじゃないの!? 最初からユミ姉は誰かひとりなんて選ぶつもりなかったのにッ!」

「……」


反論の余地もない。

手当たり次第にリルカを使って不用意に彼女たちと関係を持った時点で、私はすでに、いつか誰かひとりができるようなそんな未来を自分自身で否定していた。

みんなを選ぶ以前に、そもそも、選んだみんななんだ、彼女たちは。


悩むべきは、だから初めからで。

彼女にとって私のやっていることは、あまりにも今更なんだ。


「そんなこと、言ったって。……私はっ、私だって、ほんとならこんな、こんな風になるはずじゃなかったんだよ……!」


人をお金で好きにできるカード―――リルカ。

それを使って、だけどいかがわしいことをしなくて、ただ仲良くなれたらいいなって。

面白おかしく、仲良く愛しく、過ごせたらって。


はじめは、ただそれだけのことだった。


だけど破綻がやってくるなんて考えれば分かることだ。

考えなくたって分かることだ。

そんなことに思い至らなかった私は、だからこんな最低の状況を招いている。


「私が全部悪いんだよっ……分かってるよそんなこと」

「そうやって自分のせい自分のせいって言うばっかりで! 今だってそうでしょ!? ユミ姉を悪者にしたらわたしがすっきりできると思ったの!?」

「メイちゃんが悲しむくらいなら嫌われた方がいいッ!」

「そっちの方が悲しいって分かってよッッッ!!!」


どっ。

痛烈な言葉が心臓に叩きつけられる。

胸に飛び込んできた頭突きによって息が止まって、そのままふたりで転がった。


「ユミ姉ってそうだよね!」

「なにが? そうってなにっ」

「自分だけがスキみたいに思ってるのがムカつくのッ!」

「そんなこと思えるわけない! みんながこんな私を好きで「そういうところがムカつくんだって言ってるんだよッ!」だからなにが!?」


私は私が好かれていると知っている。

ひどく自信過剰ともとれる言葉だけど、それを疑ったことはない。

それなのに。


「わたしはユミ姉が好きだって言ってるんだよッ!」

「だからッ! ありがとうって思って、」

「違うよ、なんでそうなのっ、わたしはユミ姉がスキなんだよ……『でも』でも『なのに』でもない、ユミ姉『だから』スキなんだよ……」


私だから。

好き。

私を。


「お姉さんなのにいたずら好きで、子供みたいで、それなのに大人で、好きな人がすっごい分かりやすくて、好きな人が、いっぱいいて……私がスキになったユミ姉はそういう人なんだよ……なのにそれをキライになるなんてヤだよ……悲しすぎるよ……わたしはっ、ユミ姉をキライになるくらいなら、ユミ姉にフラれたほうがマシだよ……」

「そんなことしないっ!」

「だったらわたしから逃げないでよッ!」


―――逃げる。


思いがけない言葉が、だけどぐさりと突き刺さる。


「わたしとちゃんと向き合ってよ……わたしを見てよ……ちゃんとッ! わたしの恋人にはなれないって言ってよッ! わたしの想いには応えられないってそう言ってよッ!」

「私は、」

「そんなこともしないでその先なんてイミ分かんないよッ! 納得できるわけないよ! だってわたしはまだっ、まだユミ姉の恋人になりたい……ッ!」


彼女の告白が私を追い詰める。

後ずさろうとして、そもそも背中が床であることに気が付いた。


逃げ場はない。


「私、は……」


どう言えばいい。

……どう言いようもない。

これはただ、たった一言だけの、ただの事実だ。


「私は、メイちゃんの恋人に……なれないよ」


そう口にした瞬間に、口の中が血の味に満たされていたという事実を思い出した。


「……うぇ」


ぐわ、と表情をゆがめて。

そして彼女は、堰が切れたように、また、わんわんと泣いた。


私は彼女を抱きしめて、彼女が泣き止むまで、ただそうしていた。


―――やがて。


「………………それなのに、ぎゅってしてくれるんだよね、ユミ姉は」

「メイちゃんのことが、とっても、大切だから」

「恋人は……ダメなの?」

「メイちゃんだけを、選ぶことはできないんだよ」

「それが、ユミ姉なんだね?」

「うん。……ごめんね」


ひどく残酷なことをしている。

想いに応えられないのに、優しくなんて、愛おしくなんてすべきじゃないハズだろう。

だけどそうする。したい。それが私なのだ、どうしようもなく。


「知ってたよ。ずっと……でも、ユミ姉のこと、スキなんだ」

「……うん」

「離れたくないよ。一緒にいたい。今までみたいに仲良くしたい。……今までよりもっと、仲良くなりたい。それって、恋人じゃないと、ダメかな」

「……メイちゃんが、決めることだよ。私は、メイちゃんの気持ちを決めるなんてできないから」

「そっか……」


笑った彼女は、また少しだけ、泣いた。

そうして私の懐から黒いカードを取り出して、私を買う。


「分かんない、けど。でも……あんなのがハジメテなのは、ヤだよ」


逃げないでね、と。

彼女はそう言って。

そしてこうも言った。


「一番幸せなハジメテをちょうだい? ユミ姉」


彼女がそれを望むのなら、私はただ応えるだけだった。

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