第195話 考えてる女子中学生とケンカで(1)
朝。
ホテルからそのまま登校する―――というわけにもいかず、私はいったん家に送ってもらった。
高校生にして朝帰りなんてものを覚えてしまう私は、にっこりと笑う姉さん(どうやら先輩が連絡を入れてくれていたらしい……)に迎えられ。
とりあえず話は帰ってからということで、私は粛々と普段通りの学校生活を送った。
だけど何気ない動作のたびに、普段と違うシャンプーの匂いがして。
そのたびに、嫉妬狂いの生徒会長の、逆光の笑みが脳裏にちらつく。
私の望みのすべてを拒絶した彼女……それでも、先輩と同じく私の結論を待ってはくれるらしい。
私が意識を失っている間にいったいどんな口論をしていたのかは結局わからずじまいだけど、もしかしたらそういう話もしていたんだろうか。
とか。
いろいろと考えていても、帰ってからのことを思うだけで憂鬱に支配されてしまう。
怒りを分散しようと日中メッセージを送ったりなんかしてたけど、ことごとく既読無視されてるし。
うーん死ぬかも。
いったいどんな風にされてしまうのか……
けれど今日は学校からバイトに直行する日だ。
だから姉さんとの『おはなし』は数時間ほど先延ばしになる。
それを幸いととらえるか、苦痛が伸びるだけだととらえるかは微妙なところだった。
「ユミ姉なんかいつにもましてテンション高くない?」
「えっ。……そんなことないと思うけど」
バ先の女子中学生メイちゃんに、なにやら怪訝な視線を向けられる。
ぶすぅ、とどことなく不機嫌そうな様子を見るに、なにか変な邪推をされていそうだ。
っていうか、高い、のか……?
なんなら低いつもりだったのに。
怒られるって分かっててテンション上がるわけないし。
困惑していると、彼女ははぁとため息を吐いて、だけど顔を上げると笑っていた。
「まー、元気になったならよかった」
「ああうん。もしかして心配かけちゃってた?」
「べつにー? ……でも、いつ話してくれるのかなって思ってた」
じ、と見つめてくる視線から、顔をそらしてしまいそうになる。
私が悩んでいることなんて当たり前にお見通しだったらしい。
「相談しようとは、思ってたんだよ?」
ちょうどお客さんの視線が届かないのをいいことに、私は彼女をきゅっと抱き寄せた。
なんとなく声を潜めたくて、彼女の耳元に声を寄せる。
実際、相談しようとは思っていたんだ。
彼女にも関係のある悩みだし。
ただ、なにせ一番一般的な価値観を持っていたりするわけだから、どうしてもネガティブなことを考えてしまうというか、なんというか。
だけど、そろそろそうやって後回しにするのも終わりか。
いい機会だし、メイちゃんともちゃんと話してみよう。
「聞いてくれる? メイちゃん」
「うん。……あ、でもあとでね?」
「あはは。そうだね」
そっと身体を離したころに、お客さんがやってくる。
さすがに業務中にリルカを使ってー、というわけにもいかないし……いや、まあ別にリルカを使う必要はないんだけど、一応ね。まとまった時間って大切。うん。
―――というわけで終業後。
ぱぱっと制服を着替えちゃって、ふたりで更衣室でお話をすることに。
さてなにから話そうかと思いながら、後ろから抱っこしたメイちゃんをなでなでり。
「そ、相談じゃないの?」
「そうだよ?」
「もぉ……」
溜息で呆れて見せながら、だけど彼女はちょっぴり頬を染めている。
彼女はまったく、本当にとてもいい子だ。
なんだか、私がいるというだけで人生に余計なことをしているような気さえする。
彼女はきっと、恋人を作るにせよ恋愛しないにせよ、普通に幸せになれるだろう。
「……私、ね。誰かだけを選ぶっていうのは、イヤだなって思うんだ」
相談、というよりは、どこか自白めいた告白だった。
振り向こうとするのを、ぎゅって身体を押し付けてとどめた。
「私はみんなを選びたい」
私の望みは彼女にとっての幸せとたぶんかなり違っていて。
それでもなおみんなを幸せにしたいとそう願っていて、そんな方法を探していて。
「それをみんなに伝えてるんだ、今は」
今のところ、拒絶が優勢といった感じだろうか。
シトギ先輩の印象が強すぎて引っ張られている可能性はあるけど。
でも、まあ、ねぇ……
これがおかしいっていうことくらい、言われるまでもなく知っている。
「―――ユミ姉は、さ」
しばらくの沈黙を挟んで、メイちゃんは口を開く。
ぐいと拘束が解かれて、もぞもぞと振り向いた視線はどこか決意めいた色を持っている。
「もしかして、ポリアモリー? みたいなことなんじゃないかなって」
「ぽりあもりー?」
聞き覚えのない言葉だ。
はてなマークを浮かべる私に彼女は説明してくれる。
「日本語だと、複数愛者なんだって。つまり、たくさんの人を好きになっちゃう人」
「そういう言葉があるんだ」
彼女は彼女なりに、私を受け入れようといろいろ考えてくれているということなんだろうか。
なるほど確かに私はみんなにそういう感情を向けていて、言葉の定義には合うのかもしれない。
「それってさ、だから、おかしいことじゃないんだと思う」
「メイ、ちゃん?」
ぎゅ、と彼女の手に力がこもる。
彼女の伝えたいことがうまく受け取れなくて、ふたりでもどかしさを抱えているのが分かった。
「ユミ姉、いつも自分を『おかしい』とか、『自己ちゅー』とか言うから……でもそれ、なんか、やだよ」
「でも、おかしいよ、だって」
「そんなことないから名前があるんじゃないの? おかしいなら名前なんてつけないよ」
「それは……」
どう、なんだろう。
確かに名前があるっていうことは、そうする必要があるくらいに同じような人がいるということだ。
私は特別じゃなくて、だから卑下する必要も、そうであること自体に悩む必要もないのだと彼女は言っている。
だけど。
「でも、私はメイちゃんそうだったらイヤだよ」
「……」
「私はみんなを選びたい、けど。でも、みんなに私以外なんていたら許せない」
だからこそ、やっぱりこれが普通じゃないとそう思う。
「好きなものを独占したいっていう、私の欲なんだよこれは。それを普通だなんて思うのは、名前があるから大丈夫だなんて思うのは―――そんな根拠で安心するのは、それこそ自己中心的に思えるよ」
「ユミ姉、でも、」
「そもそも、メイちゃんは、それでいいって、そう思う?」
問い返せば、彼女は瞳を動揺させる。
「それは……だって、ユミ姉がそうならしかたないし、」
「そんな風に諦める理由にするなら、いっそクズだって罵られたほうがマシだよ」
「なんでっ、なんでそういうこと言うのッ!」
ぎゅっと私の腕を握った彼女から、鋭い視線が悲鳴じみた絶叫とともに叩きつけられる。
「わたしっ、わたしユミ姉のこと考えてるんだよっ!? ユミ姉のこと好きだからっ、ユミ姉をちゃんと受け入れたいからっ、なのになんでそんな怒られなきゃいけないの!?」
「怒ってなんて、」
「ユミ姉がゼンブ悪いんじゃん! じゃあわたしだけを見てよッ! できないのになんでそんな上から目線でエラそうにできるの!?」
メイちゃんの怒声が、響いて。
目を見開いた彼女はとっさに自分の口をふさいだ。
言葉の綾と、いうよりは。
むしろきっと、『口が滑った』というほうが近い。
「ッ!」
彼女はじわりと目に涙を浮かべて、私を突き飛ばして出ていこうとする。
だけど扉に手をかけたところでその動きは止まっていた。
私がリルカを差し出していたから。
見えていなくても、届いていなくても、私が求めれば彼女は私のものになるしかない―――この場所に、とどまるしかない。
彼女は顔を伏せながら、投げやりな手つきで私に買われて。
部屋の片隅で、少しでも私から距離をとるみたいに、三角座りで泣きじゃくる姿は吐きそうなくらいに痛ましい。
今の彼女は逃げることも耳をふさぐこともできない。
だから言い訳も、説明も、慰めも、なんだってできるのに。
でも、私はなにもできなかった。
なにも、できなかった。
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