第175話 唯一の担任教師と一番(2)

「残念だがそれはできんよ」

「ぅあ」


あっさりと突きつけられる拒絶が脳を焼く。

どこか罪悪感を覚えるように顔をしかめながら、だけど先生はまっすぐに私を見ていた。


「島波。私とお前は違う」


苦しそうな、だけどどこまでも優しい口調に憎らしささえ覚えた。

そんな顔をするのなら、そんな声を出すのなら、私を受け入れてくれたっていいじゃないか。


それなのに。


「私は、お前を一番だなどと思ったことはない」


それは当たり前のことだった。

当然すぎる言葉だった。

知れたことだ。


教師と生徒以前に、彼女には愛する人がいる。


だけどだったらそもそも、どうして私を特別扱いなんてするんだ。

ずるいじゃないかそんなの。

ひどいじゃないかあまりにも。


「だから私はお前の望むような解法など知らん。お前は私にとって未来永劫二番目だからだ。お前だけなどありえないと、私はお前に言ってやる」


それなのに先生は堂々たるありさまだ。

言いにくそうな表情と裏腹に、その断言はどこまでもゆるぎない。ここまでくるといっそ清々しくて格好いいとさえ思えてきてしまう。


呆然としていると、先生は立ち上がる。

テーブルを回ってこっちにやってきて、手をついて顔を寄せてきた。


「不満か」


当たり前だと、そう言おうとした口が塞がれる。


強引に。

唐突に。


先生の口で―――塞がれる。


「な、ぁ、え、」

「不満か」

「せん、せ、」


なにをしているんだと問いかけたかった。

こんなことでごまかされたり納得したりするわけがないと言ってやりたかった。

だけどすべての言葉はすでに食い千切られていて、私は再び近づいてくる顔に反射的に先生を突き飛ばした。


わずかにたたらを踏んだ先生は私へと冷笑を向け、差し出すように両手を広げて私を見下ろす。


「なにを恐れる。私は今お前の拒むことはなにもできんのだろう」


先生の言うとおりだ。

だけどそれなのにたまらなく恐ろしかった。


「でだ。島波、お前はこの私の二番目がそんなにも不満か」


なんて傲慢だろう。

そしてどうして様になるんだそれが。

貴族かなにかなのかこの人は。


「妻の次に愛してやろうと言っているのにそれが気に入らんのか」

「そんなの普通、」

「普通など知ったことではない。お前がどうなのかと聞いているのだ」


首を掴まれ、強引に引き寄せられる。

額が重なって先生の瞳が私を射抜けば、どうやって言葉を話していたのかさえ一瞬忘れてしまう。


「お前は今以上を求めているのかと、そう聞いている」


今以上。

先生の一番になるということ。

これ以上に、今まで以上に、先生に愛されるということ―――では、ない。


今まで以上になっても、必ずその上に誰かがいるということ。


この先、先生が先生でなくなった未来、どんな関係になったとしても。


「なにか不満があったか」


あるわけもなかった。

どちらかというと教師としてもうちょっと自重したほうがいいんじゃないかとさえ思えるくらいに。っていうか半ば奥さん公認みたいな感じで先生は好き勝手やっている気がするし。むしろ先生が本気で私を落としにかかるとか……見てみたい反面、なんだかそれは違うような気がする。


うまく言語化できないけど。

先生は、先生であって、そして人妻であって、だからこそこの関係がちょうどよくて。

でも、でもそんなのってやっぱりおかしい―――


「島波」

「ひゃい」

「満ちろ」

「は、はい」


……いや『はい』じゃないな。


なんだその、なんだ……?

あまりにも個性的じゃないだろうかそれ。

個性的っていうか頭おかしい。

傲慢と自己中心度合いが私の比じゃないぞこの人。

どうして先生なんてやっていられるんだこんな人が……?


「―――とまあ、これくらい強引にやってしまってもいいと思うがな、いっそのこと」


困惑している私に、顔を離した先生は淡々と言う。

なにを言っているんだと見上げる私の間抜け面を見下ろしながら、先生は肩をすくめた。


……


「え。もしかして今のが解決策のつもりだとかバカなことをおっしゃるつもりで……?」

「効果はありそうだろう」

「私以外の誰に効くんですかッ!!!」

「お前が言うのか……」


ひどく呆れられたけど、私だから言うんだ。

みんなは私みたいにちょろくないし、強引に迫られるとそれだけでちょっとキュンときちゃうような性質を持っているわけじゃない(一部除く)。

っていうかそもそもあんな厚顔無恥で傲岸不遜なことを言えるっていうのはそれだけでもうなんかなにやっても許容せざるを得ない感ある。


私だけだし、先生だけだ、そんなの。


むぐぐ、とうなっていると、先生はふとなにかを思いついたような様子で手を伸ばす。

そして私の懐をまさぐって黒リルカを取り出すと、さも当然のように私を買った。


リルカと黒リルカの効果が競合して―――そのはずなのに、なぜだろう、魂がすでに屈服している。


「な、なんでこんな、」

「お前は私のものになったのだろう」

「だっ、そんな」

「それともまだ不満などと言うつもりか」


うん? と伺うように首をかしげる先生。

つややかな唇に目が惹かれて、無意識にごくりとのどが鳴る。

駄目だと思って目をそらすと、それはそれでなんだかこう……悪いことでも考えたみたいだ。


「べっ、つにそういうわけでは……」

「ならばお前は納得をしたわけだ」


くいと顎を引き寄せられる。

間近に先生の唇がある。

それは三日月のようにゆらりと裂けて。


「望み通り、愛してやろう、島波」


ひぇ。


「どれ。次はお前からしてみせるがいい。多少のオイタなら許してやる」


な、なんだこの人は本当に。

飼い主とかご主人様とか、そういう上位者のムーブが板につきすぎている。

そして悔しく思いながらもいいように従おうとしてしまう私はなんて愚かなんだろうかほんとにもう……


「ふむ。高校生にしてはこなれているな」

「キスの腕前を評価する教師とかそれどうなんですか……」

「手本だ」

「んぁ」


あっさりと口を割られて、舌が捕らわれたと思ったらとろとろにとろけた熱に蹂躙される。

身をゆだねようとしたらそれはすぐに離れて行って、とっさに肩をつかんだ私をからかうような笑みが見ていた。


「どうした。不満か、島波」

「…………当たり前じゃないですか、もう」


手本というだけのことはあって、先生は私の手玉に取り方をよく存じている。

私にはもう抵抗のすべなどなくて、ただただ満足を与えられるだけ―――

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