第171話 遅咲きの図書委員とちゃんとして(1)

お手ごろな親友を強引にやってしまった。

相談というのは一歩間違えれば大惨事を引き起こしかねない手段なのだろう……これは私が全面的に悪い。


あの後、たぶん悟りを開いていたのだろうアイは平常運転に戻って無事悶死していた。

ふらつく彼女を保健室に連れていってベッドに寝かせたら、『ベッド』という環境が良くなかったのかくてんくてんになってちょっと……こう……


ともあれ、ひとつの失敗を踏まえたところで次の実践へ。


放課後の図書室で、図書委員な彼女とのんびり読書。

はてさてどうやって話をしようかとか、そんな思いも紙面にさらわれる。


悩んでいるときはやっぱり読みやすいライトノベルとかがいい。ラブコメだとなお良し。コメディというのがいいんだ。


あーあ。

この物語の主人公みたいに、私も思いきれたらいいのにな。


「―――そういう関係が、お望みなんですか?」

「へ?」


紙面を覗き込む彼女の問いかけ。

振り向くと、じぃと見つめる瞳にわずかに竦む。

そっと伸びる指先が紙面の文字をなぞった。


「『ハーレム』……とまではいかなくとも、全員と恋人関係になりたいのですか?」

「突然どうしたの?」

「いえ。サクラさんに聞きまして」

「おっ、ぅん……」


それはまた……なんとも不安なことだ。

いったいどういう話を聞いたんだろう。


「そう心配しなくても、おかしなことは聞いていませんから」


くすくすと笑った彼女に本を閉じられる。

そっと手を取られて、見つめ合った彼女はそっと目を伏せる。


「ひどいことをしてしまったのだと……そう、言っていました」

「サクラちゃん、が?」

「はい」


ひどいこと、だなんて。

むしろしたのは私のほうだ。

今もしているし、きっとこれからもし続ける。


彼女が一体なにをしたっていうんだ。


「その顔を見ると、なにか思うところがありそうですね」

「……聞いてくれる?」

「聞かせてください」


彼女のやさしさに甘えて、自分の想いと欲望を彼女へと打ち明ける。

相談というには一方的なそれを、彼女はうんうんと頷きながら聞いてくれた。


「それは……とても、難しいことになっていますね」

「うん……まあ、全部私が悪いんだけど」

「そうでしょうか」


ふ、と近づいた唇が、そのまま柔らかく頬に触れる。

驚く私に、彼女は笑みを浮かべて首を傾げる。


「こうしたいのは、わたしもなんですよ」

「あ、ありがとう」

「そうではなくて、です」


むに。

細こい指が唇に触れる。


「あなたは自分をわがままで自己中心的だと言いますけど、でも、それはわたしだって同じです」


ふぃ、と唇をまくるように指が入って、ぐいと歯を押される。


「あなたが欲しい。触れ合いたい。独り占めしたい……人と仲良くしていると嫉妬をして、自分以上に好きな人にいてほしくない。それって、とっても傲慢じゃありませんか」

「そんなこと」

「ええ、普通かもしれません。でも、それが普通なのは今だけなんじゃないでしょうか」


濡れた指先に口づける彼女の静かな笑み。

その笑みは、どこか姉さんに重なるところがあって。

もっとも身近な大人と重なるそれは、だからきっと、大人びているということなんだろう。


離れてほしくなくてその手を取る。

頬に引き寄せた手のひらが、柔らかく私を包んだ。


「たぶんきっと、だからあなたが悩んでいるのは、わたしたちが子供だからなんです」

「……そうだとしても、私はちゃんとしないといけないと思う」

「だったら当然、わたしも同じじゃないですか」


つるりと頬をなでおろして、くいと顎を押される。

わずかに下を向いた唇を柔らかく迎えられて、目元が緩むのを自覚する。

それでようやく、今の瞬間まで顔が強張っていたのだと気が付いた。


離れていく彼女は、だけど私をずっと見ている。


「あなたとの結論を、わたしも出さないといけないはずです」

「けつ、ろん……?」

「わたしはあなたにキスをしたい、です。でも、それはただの友達にすることではない。それはちゃんとしていない。わたしはそう思います」


友達。

私と彼女の関係は、きっとそれだ。

それ以上を拒む私のわがままがそうしている。

だけどそこにはリルカがあって、友情以外のものを交わす行為がある。

彼女以外のみんなも同じ。

だからどうしたっていびつで。

破綻はすでに目に見え始めていて。

新しい何かが必要で。


「あなたと恋人になることを目指すのか、それともちゃんとした友達になるのか……あなたがちゃんとするのなら、わたしもそれを決断しないとフェアじゃないです」

「だ、だから私は、」

「あなたにゆだねるものではないはずなんですよ、それは」

「っ」


私は誰かの恋人にならないことを選びたい。

みんなと今のように、だけどいびつのない形になりたい。

ありえないと分かっていても、それ以外を選びたくなんてない。


そんな悩みを、根本的に彼女は否定する。


「あなただけがいいのならそのつもりで。あなたの望みを叶えたいのならそのつもりで。あなたに付き合いきれないのならそのつもりで。いずれにせよそのスタンスは明確にしておくのが、わたしの『ちゃんとする』なんだと思います。あなたに解決のすべてを任せるだなんて、わたしは認められません」


強い眼差しが否定する。

だけどそこには純然たる道理がある。

彼女たちのことは私の問題ではあるけど、前提として彼女たちのことなのだ。

だから彼女の言葉に反論はなくて、ただただ問いかけるだけしかできない。


「じゃあ、じゃああなたはどうしたいの……?」

「分かりませんよ、まだ」

「え?」


緊張と不安がにじんだ問いかけに、あっさりと笑って首を振られる。

拍子抜けする私へと彼女は言った。


「わたしだってまだ悩んでいるんです。あなたと一緒です」

「……そっか」


それもそうだ。

当たり前だ。

なんだか深い納得感があった。


「どうしたら、いいんでしょうね」

「どうしたらいいんだろうね」


ふたりでそろってため息する。

苦笑を交わして、私は彼女の肩を抱き寄せた。


「ありがとね」

「わたしはなにも……」

「ううん。あなたはわがままなんかじゃないから。あんなこと言わせちゃって、ごめんね」


傲慢だのわがままだの自己中心的だの。

なるほどみんなにそうあって欲しいと私が望んでいて、だからサクラちゃんの言葉を受け入れられなかった。

だけど彼女はそうではないはずだ。そう思う。


「―――本当に、そう思いますか?」


彼女の吐息が頬に触れる。

振り向けば、熱に溶けた瞳が浮いている。


「わたしを大人にしないでくださいよ、ねえ」


懐を探る手が、黒のカードを抜き取った。

くるりと弄ぶカードを咥えて、ずぃと近づく彼女の瞳。


私がカードを口で受け取ると、彼女はさらりとスマホを触れる。


「ちゃんと言ったじゃないですか。『わたし』なんです。『わたし』なんですよ」

「で、も」

「わたしだって、あなたが欲しい」

「ひっ」


あまりにも直接的すぎる言葉が心臓を貫く。

強引に椅子から転げ落とされて、床に落ちた私を彼女が見下ろす。


「そう思うことはいけませんか。今更遅いというのなら、今から取り返せるだけのことをしましょうか」

「まっ、ひゃぅっ」

「……と、いうようなことをしてもいいのですが」

「ひぇ」


身を起こした彼女は、どこか冷ややかな一瞬前と比べて、なんとも頼りなく眉根をひそめる。


「それはそのう……ちょっと難易度が高いので」

「そ、そうでしょうか……?」


今の勢いはとてもすごかったですけども。

敬語になっちゃうくらい。


たじろぐ私に、彼女はむすっと頬を膨らます。


「でも、わたしだってちゃんとあなたを大好きなんです」

「うっ、……ぅん」

「なので、ちゃんといっぱい悩ませてください、あなたのことで」


ちゅ。

と、触れる口づけへの返答は決まっている。

そもそもそれは、それこそ私の口を出すことじゃないんだろう。


「―――でも、後でにして、ね」

「ふぇ」


彼女の首に腕を絡めてとらえる。

引き寄せた額を重ねれば、瞳の動揺が目前にある。


「今は悩みなんて、忘れちゃお?」

「はわわっ」

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