第165話 賢い姉とズルで(1)
独占的な先輩に付き合ってもらった実験的行為の結果は、けっきょく私がいかに最低であるかを知らしめる以上のものではなかった。
どうしたってどうしようもないこの現状で一体どうすればいいのか。
なんてひとりで悩んでいても仕方がないので、私は姉さんに相談することにした。
どうあっても姉さんは姉さんだし、なにより恋人がいるという点で安心感がある。
私の周囲の関係の中で、ある意味とても特別な立ち位置といえるだろう。
だから姉さんに相談したいなって。
思っているんだけど、なかなか言い出せない。
そもそも相談って、なにをどう聞けばいいんだろう。
そんなことにまた悩むという本末転倒はなはだしいことをしながら、私はいつものように姉さんと過ごしていた。
ただただ時間だけが過ぎて、けっきょく言い出せないまま一緒にベッドに入っているという体たらく。
まだ眠るには少し早くて、私は姉さんの腕の中でしょうもない雑談なんかをしていた。
このままじゃいけないし、とりあえずなんでもいいから打ち明けてみようとそう思って。
だけどその前に、姉さんが言った。
「ゆみ。今日、なにかあった?」
「あー……うん」
姉さんは私が言い出すのを待っていてくれたんだろう。
だけどついに心配が勝ったということらしい。
私は頷いて、言葉が出るに任せてみる。
「私、ね。このままだとだめだなぁ、って」
漠然とした思いを口にして、それからサクラちゃんや先輩との出来事を部分的にぼやけさせて語っていく。
姉さんはそれを最低限の相槌とともに聞いてくれて、話し終わった私は一息ついてから改めて言った。
「このままだと、誰も選ばないだけのままだと、きっと誰からも求めてもらえなくなる……それが、すごい、怖くて。いっそ嫌われた方がいい。ただただ想いがなくなるだなんて……耐えられない」
ひどくわがままなことを言っているという自覚はある。
できるわけがないとそう思う。
だから考えている。
思い悩めば結末は破綻だ。
だから、考えている。
「みんなに想ってもらいたい。私も“みんな”を求めていたい。いつまでも、そうしていたい。結論を後回しにするんじゃなくて、中途半端じゃなくて、みんなが全部満足するように―――そんな風に、愛し合いたい」
言語化するにつれて自分がイヤになる。
自己中心的でわがままで最低のクズみたいじゃないか。
いつか否定した複数交際みたいなことを言っている。
それも、みんなが心の底から受け入れるような形で。
それって、私がそれだけの存在だって自惚れているようなことだ。
どれだけ過大評価しても対等までしか上がれない私が、まるで彼女たち全員の上位者であるかのような構図を求めている。
狂っている。
間違っている。
正しくない。
それなのに。
「ゆみは、誰かじゃなくて、みんなを選んだのね」
「……うん」
うなずく。
本質的には、少し違う気がしたけど。
でも、そうだ。
私を選んでくれた全員を、大好きであるだけでは満足できないって。
そういうことだ。
だけどそのやり方が分からない。
それが聞きたいんだと、ようやく私は問いかけの形をつかんだ。
全員を選ぶにはどうすればいいんだろう。
……自分の傲慢への嫌悪があった。
下唇を噛む私を、姉さんは後ろからやさしく抱きしめる。
そして耳元で、そっとささやいた。
「ゆみは、本当に―――オロカね」
「え」
姉さんの言葉が脳で処理できない。
そんな私を当たり前に見透かして、くすくすと柔らかな笑い声がくすぐった。
「愚かね、ゆみ」
愚か。
姉さんの口から、そんな直球の暴言が吐き出されたことが信じられない。
なにかの間違いであってほしいのに、優しいささやきはどんな間違いも許さない。
まるで小さな子供に伝えるような口調の言葉を、どうやって聞き違えたり思い違えるっていうんだ。
「できるわけがないじゃない。そんなこと」
姉さんの言葉が優しく殺す。
私の傲慢を、甘えを。
「あなた漫画の読みすぎじゃないかしら。私たちはね、そんなに純粋でも、劇的でもないのよ?」
それはただの教育だった。
優しく優しく、ただただ優しく、姉さんは事実を告げている。
事実……?
違う。
それを認めてしまったら、だってもう、終わりじゃないか―――
「どう言ったって、納得なんてできないのよ。ねえゆみ。あなた、『先輩さん』が本当に我慢できるだなんて思っているの?」
「え」
どうして先輩がここで出るんだと驚く。
だけど同時に妙な納得があった。
いま先輩はいったいどんな思いで、なにをしているんだろう……?
「あなたを想って泣いているだけだったらいいけれど」
……
それがとても甘い考えだということは簡単に想像できた。
きっとそれどころじゃない。
だけど先輩は耐えるはずだ―――耐えてしまう、はずだ。
一度は私の延命を許容したから。
先輩として、自分の想いも痛みも包み隠して。
あの瞬間、全てを跳ね除けて私を殺さなかったのは、ただの偶然だったかもしれない。
「全員が『納得』して、受け入れたとしても。本当の納得なんてできるわけがないじゃない」
「で、も、」
「特別なのはあなただけなのよ、ゆみ」
そう言いながら、姉さんはすり抜けるようにリルカを奪った。
それをそっと私の前で弄び、そして当たり前みたいに私に買われる。
「ゆみはできるでしょうね。みんなを選ぶなんていうことが。だけどほかの人はできないのよ、そんなこと。『みんな』を選ぶなんて。『私だけ』がいいに決まっているじゃない。優劣を、独りぼっちを、勝ち負けを感じるに決まっているじゃない」
「そんなの、」
「ゆみはないのね。でもあるのよ、私たちには」
みんなへの感情はどれもこれもが明確に異なっていてそもそも比較対象でさえない。
私にとってそれは自然なことだと思える。
だけどそれは私だけだ。
それは共感できるものじゃない。
だとしたら私が本当にそうなのかどうかを、どうやってみんなは理解できる?
「このカードも。ふふ。とっても特別ね。あなたは、まるで物語の主役みたいに特別なのよ」
特別。
私が……?
「あなたを期待しちゃだめよ、ゆみ。あなたみたいな劇的な人に、ついていける人なんて本当はいないんだから」
「なにを、姉さん? 姉さんは、なにが言いたいの……?」
理解ができない。
姉さんの言葉はなにかズレているようにさえ感じる。
「はっきり言ってよ、ねぇ、ねぇっ!」
私の言葉は、強制力を持って姉さんを縛る。
それなのに姉さんは変わらず柔らかな口調で告げるだけだった。
「『みんな』を選ばれるなんて受け入れられないのよ。それはどうしようもないことなの」
「どうして……」
「決まっているじゃない。あなたを好きだからよ。あなただけが好きだからよ。他の邪魔者なんて、それだけで大っ嫌いなのよ」
姉さんはとても明確な構図を私に示す。
私と、それをめぐる周囲という―――まるで愛憎劇のような構図だ。
「あなたの欲しいものはね、互いの無関心か好きによってしかありえないのよ。そしてあなたに関係する以上無関心ではありえない。だけど好きだなんてどうしてありえるのかしら。あなたを共有することを許すだなんて―――あなたと同じようにみんなを愛することなんて、できないのよ。私たちにはね」
姉さんの言葉はそこで途切れた。
終わった。
私に言うべきをすべて言ったのだと、そう理解できた。
理解できるくらい、私は姉さんの言葉のすべてを受け取っていた。
―――だから。
と。
私の思いに反して、姉さんは言う。
「方法はもう、ズルしかないのよ」
「え……?」
愚かと言ったはずだ。
できないと言ったはずだ。
そんな前言を翻した姉さんの声は、だけどどこまでも冷ややかで。
「本当にゆみがそんなありえないことを望むのなら、神様にでもなるしかないわね」
姉さんが手にするカードが、そっと首筋に添えられる。
人間ひとりを掌握するという魔性のカード。
埒外の異物。
普通の青春に登場すべきじゃないもの。
私のきっかけを作ったもの。
ズル。
「私はゆみのことを応援するけれど……いっそ誰かを選ぶほうがあなたは幸せになれるのよ」
はっきりと、姉さんはそれを拒絶する。
私の相談に答えながら、明確にその結論を選んでほしくないと望んでいる。
カードが買えるのは人生のたった30分。
だけど例えばその中で強烈に縛った約束はその後も効力を発揮するかもしれない。
黒リルカの体験で知ったことだ。
だからやりようは―――あるのかもしれない。
やりよう?
そんなばかな。あってたまるか。
本当ならありえないという道理を捻じ曲げるような、みんなの意思を、信念を捻じ曲げるような、そんな手法なんてありえないだろう。
そんなことを姉さんに言ってほしくなかった。
冗談でも、そうでないならもっと。
―――本当に?
リルカの効果中に、私が本気で拒むようなことをできるわけもないのに。
だとしたら。
私は。
私は―――
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