第166話 賢い姉とズルで(2)

「―――ふふ」


と。

足元さえ不確かになるくらいに動揺する私を姉さんは笑う。

ぽんぽんと頭をなでられて、ハッと顔を上げれば優しい視線に迎えられる。


「怖がらせちゃってごめんなさいね、ゆみ」

「え、と」

「心配しないでもそんなに深刻になる必要なんてないのよ」

「でも……」


ふつう、深刻にもなる。

なにせ私の欲求はまっとうな手段だと絶対に満たせないのだと言われたようなものだし。

そしてそれを満たせるかもしれない方法が手中にあって、だからこそ事態は深刻だ。


してはいけないと分かっていることなのに、できるというだけで意識がさらわれてしまう。


それはなんとも恐ろしいことだと私は思う。

ないはずの選択肢が手元にあるというのは、なんとも誘惑的に見える。

そのはずなのに、姉さんはなおも微笑みを崩さない。


「たしかにゆみ、あなたはとても大変な状況にあって、それは人生に関わる大きな出来事なのかもしれないわ」


人生―――それはとても大げさな言葉のはずなのに、私は当然だとうなずけてしまう。

それも私だけの人生じゃない。関わっているみんなの人生に、私は不用意に手をかけてしまっているのだと思う。


「けれど、あなたはまだ高校生なの」


姉さんの言葉に、一瞬だけ否定的ないらだちみたいなものが生まれる。

だけどそれは私が幼いからと軽んじるようなものではなくて、ただただ事実を口にしている様子だった。


「あなたの選択で誰かが悲しむかもしれないし、どうしようもなくこじれてしまうかもしれない。案外思ったよりもうまくいくかもしれないわね。今は今しかないから、どんな選択だって取り返しはつかないでしょうけれど」


でも。


「それでも、ひとまずやってみればいいのよ」

「やってみる……?」

「ええ。カードで無理やりしないでも、例えば……そう、ゆみちゃんハーレムなんて面白いかもしれないわね。いいじゃない、いっそみんなと愛人になっちゃえば」

「いやいやいや」


冗談めかして笑う姉さんに、さすがに乗れない。

ハーレムって。

何様だよっていう感じだ。


みんなを選ぶっていうのはそういうことじゃない。


ぶんぶんと首を振って否定すると姉さんはからからと楽しそうに笑う。


「もちろんうまくはいかないだろうけれど、それでいいじゃない。ダメだったらやっぱりダメでした、で」

「それは……ダメだよ。ちゃんとしないと」


サクラちゃんにも、先輩にも約束した。

ちゃんとするって。

もし禁忌に手を染めることになったとしても―――悲しみなんて感じさせない結末にするって。


そう、約束した。


意固地になっているという自覚があった。

だけど姉さん相手でも、これは頑なにならないといけないことだとそう思う。

誠実と呼ぶにはおこがましいけど、でも、こんなことさえやめてしまえばきっと私はもう、誰にも顔向けできやしない。


姉さんは、それでも、微笑みを浮かべている。


「ゆみ。ちゃんとって、なぁに?」

「それは……それが分からないんだよ」

「もしも考えて考えて、ゆみが納得いく答えを出したとして、それが本当にみんなに受け入れられるってどうして分かるの?」

「そんなこと言ったらもうどうしようもないよ」

「ええそうね。だからちゃんとなんてしないでいいのよ。できないんだから」


できない。

姉さんは、さっきからそう言う。

色々なことを、否定する。


……私を、否定する。


それなのに、どうしてこんなにも嫌な気持にならないんだろう。


「そもそもゆみ。あなたは相談しないのが悪いところだわ」

「してる、よ?」

「私じゃないわ。あなたが話してくれたふたりや、ほかのみんなによ」

「相談って……」


姉さんにしたように。

みんなを選びたいけどどうすればいいか、って。

そんなのできるわけがない。


し、そもそも。


「でも、どうせできないんでしょ……?」

「ええ。だけど、それは私の意見だわ」

「姉さんの、意見?」


姉さんの断言は、どこまでも深い納得感とともにこの胸に突き刺さっている。

だけど姉さんは、まるでそれを大したことないみたいに言う。


「あなたはみんなの欲しいものを聞くつもりだったみたいだけれど、だったらちゃんとあなたはどうしたいかっていうのを伝えるべきよ。そして一緒に悩むの」

「でもぜんぶ私が……」

「少なくとも、私はふたりのことをユキノひとりで勝手に決められたら殴るわ」

「なぐる」

「ええ。こう、みぞおちを」

「みぞおち」


ね、姉さんらしからぬ言葉だ。

妙に生き生きしてるのはなぜなんだ……


「ゆみも殴られたくはないでしょう? みぞおち」

「まあ基本的には」


そりゃあ、殴られたい人なんてそうそういないだろうけども。


「おんなじよ。互いに意見があって、意思があって、それがぶつかって葛藤しているのなら、相談するのが一番じゃない」

「それは……たしかに」


相談。

言われてみればそうなのかもしれない。

サクラちゃんも先輩も、私を独り占めしたいのだとそう言った。

私はそれができないから彼女たちを受け入れられなくて、だからなにか別の方法で彼女たちを満足させたいとそう思っている。

普通に考えて、関係者を集めて会議とかする必要がありそうな場面だ。


でも、それは、だって元はといえば私がこんなだから悪いんだし……責任の所在は私だし……


「まあ結局はどうにもならないかもしれないけれど」

「えぇ……」

「でもゆみ。あなたがひとりで抱え込むよりはずっといいと思うわよ。だって少なくとも今、あなたはにっちもさっちもいかなくなっているんでしょう?」

「……まあ、うん」


それを言われると……反論の余地もない。

考え込んで結論が出なさそうだから相談するというのはひどく当たり前のことだ。

そして相談するのなら関係者とするのが一番手っ取り早いし、意見は手広く拾ったほうがいい。


うーむ。


なんか、すごい納得感が強い。

姉さんには短絡的に答えを求めて相談してしまっていたけど、答えの求め方を授けられるとは……さすが姉さんだ。


「そう、だね。うん。やってみる」

「そう。ふふ、少しは力になれたかしら」

「うん。ありがとう、姉さん」


そうやって笑みを交わして、めでたしめでたし―――とは、いかない。


「さて。それじゃあ対価の話をしましょうか」

「え」


一瞬前までの大人な姉さんの空気は死んだ。

そしてにこやかに笑いながら、ヘッドボードの黒リルカを手に取る。


「相談に乗ってあげたんだから、もちろんお礼があるのよね?」

「い、やあの、姉妹間の相談なんだけど……?」

「そう」


そう。

って、全然通じてないぞ……?

おかしいな。

不思議と、してやられたとかそういう気持ちはない。

なんかむしろ……なんか……そっかぁ、みたいな。


「うふふ。私30分って中途半端な気がするのよね。ここは豪勢に1時間コースでお願いしちゃおうかしら」

「そんな食べ放題みたいなコース設定してない……」


私のささやかなツッコミは届かず、姉さんは私を購入する。

購入できたということはつまりそういうことで、もうすでに私が何を言ってもどうしようもない。


「これからも、困ったことがあったらいつでも相談してね、ゆみ」


今のタイミングで言われてもなぁ……

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