第163話 独占的な先輩と実験で(2)

結局は私個人のスマホが壊れてしまっただけで。

そしてそれが事故であることを先輩も否定しなかったから、私は特になんのお咎めが下るでもなく解放された。


解放。


なるほど確かにそれは今の状態に相応しいものなのかもしれない。

私は今、いまだかつてないほどに解放されている。


それを示すように。


それ以降、先輩の執着がより過激化する。

授業が終わるたびに駆け付けて、授業が始まるまで離れようとしないで、授業が始まっても傍にいたがる―――それでも普段通りを装う先輩は、だけど隠し切れないほどの不安で私の肌に爪を立てる。


今までに見たこともない先輩に、私の胸は甘く疼いた。


嫉妬と独占欲の権化のような先輩。

私のすべてを知り尽くすかのような魔性の人と思っていた。

だけどなんということはない、先輩だって普通の人なのだ。


私と離れれば不安で、先輩以外の誰かに怯えて。


むしろ普通よりもずぅっと強い不安が、先輩の独占欲を作っていた。

今、先輩が私を拘束する鎖の一本は切れた。

もちろんそれはささやかなことだ。

私の首にはいつだって先輩がつながれている。

だけど先輩は、いつもならそれを確信できるのに、たった一本のせいでそれができない。


「ねえ先輩」

「……なにかな、ユミカ」


放課後になっても、先輩は私のそばにいる。

振り向く笑みは普段通りを装えない。

明らかな焦燥に頬を引きつらせて、不安に瞳をよどませて。


下校途中、歩みを止めて向かい合う。


私は言った。


「やっぱりあのスマホ、なにかしていたんですよね」

「……」


先輩は明らかに視線を動揺させる。

私があんなことをしていた時点で分かりきっていたことなのに。


「位置情報とか、盗聴とかでしょうか。いつもそれで私のことを知っていたんですか?」

「ボクはそんなの……知らないよ」


絞りだした否定の声はどこまでも矮小だ。

弱々しくて、簡単に捻りつぶせてしまえそう。


私は笑った。


「ウソつき」


そんなささやかな言葉で先輩は息をのむ。

言い訳を探す舌は、なにも言葉を見つけられない。


「ねえ先輩。先輩は、本気でずぅっと、私だけを……あなただたけの私を、求めてくれますか?」

「あたりまえだ」

「それは―――怖いからでしょう?」

「ちがっ、……」


否定の言葉が簡単に途切れる。

そして先輩は私の手を強く握っていることに気が付いた。

わざと爪を立てるみたいに、突き刺すように。

慌てて手を離して爪に残る赤を見た先輩はぎゅうとこぶしを握る。


無意識だったんだろう。

無意識に、私が離れないようにと。


私はそっとその手を包む。

柔らかくほぐして、指を絡める。

傷を避けるようにこわばる指先の心地が、たまらなく愛おしい。


「じゃあ、証明してみてくださいよ」


差し出す黒リルカに、先輩は反射的にスマホを取り出した。

そうすれば私を徹底的に独占できるから。

だけど触れる寸前でおびえるように身を引く。

それで正しい。

まだ、先輩はとても正しい。


「ねえ先輩。不安がらないでいいんですよ。私は先輩だけのものになれるんですから」

「こんなの、ボクの求めたものじゃ、」

「私もですよ。でも―――本当に、先輩はイヤなんですか?」

「決まってるだろう……ッ!」


先輩は私を独占したい。

それはこんなたった1/48日ではなくて、365日を一生分。

だから拒んでいる。

今これを受け入れることは、この30分で妥協することに等しい。


サクラちゃんは諦めたと言った。

先輩は諦めないと言う。


それは大きな違いだ。

だけどなんの違いだ。

それが知りたい。

それを知らないと、私はいつか諦めを強いる。


想い、熱、愛―――それとも、ただの時間か、機会か。


諦める機会があるのなら。

先輩だって、こんなに可哀そうなくらいに、揺れているじゃないか。


「だったら、ねえ。証明してください」


私は有無を言わさず先輩に所有された。

そのとたんに先輩の頬は吊り上がる。

だけどそんな事実が苦痛であるかのように唇を噛んで、流れる赤が口の端を伝い、顎を下り、喉を切り裂いていく。

その生々しい赤の断裂から無数の手が伸びて私を拘束しても、おかしいとは思えないだろう。


私はそっと先輩の頬に手を触れて、イヤイヤするみたいに身をよじる先輩に、ひたすらに視線を押し付ける。


「私は知らないといけないんです。思い知らないといけないんです。今のままじゃダメだって、ちゃんと」

「ぼく、は……」

「考えなきゃいけないんです。どうすればみんなが私を好きであり続けてくれるのか―――どうすれば、みんながちゃんと全心で私を好きでいられるような関係になれるのか」


だから。


「だから。ねえ、センパイ。おしえて?」


唇でそっと赤を拭いあげる。

細やかな震えが唇を液状化させていく。

先輩の肌と癒着して、離れがたいと心の底から思う。願う。


私はこんなにも、目の前の人だけを見ているのに。


「みんなをセンパイみたいにするのがちゃんとするっていうことなんだって、おしえてくださいよ」


この関係はいつまでもずるずるとは続かない。

だからその前にどうにかしないといけない。

そのためにどうすればいいかを考えている。

だけど先輩はもしかしたら特別で、どうなっても変わらないかもしれないってそう思ったから。


だからこれは、実験だったんだ。


でも。


「む、りだよ、ぼくには」


たったの一日で崩れ落ちた先輩の自信が、反吐のように口からこぼれる。

私を抱きしめる爪の心地が深々と肉をえぐる。

貪るように拘束して―――それでもなお、先輩の不安は消えはしない。


「いいんですよ。私は先輩のものですから。……安心しても、いいんですよ」


私のささやきに先輩を癒す効果はない。

血液を擦り付けるようなキスがひたすらに甘くて。

私はひたすらに思い知らされるのだ。


私がどれほどに最低であるのかと。


ただただ、熱烈に。

熱烈に。

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