第154話 図書委員とマッサージで

スポーツ娘と性行為の約束を取り付けた。


もっともそれは『なんちゃって』という彼女の言葉によって冗談として処理されて、黒リルカによる絶対的な強制力の影響は外れている……はず。

無意識にカレンダーの月曜日に丸を記入しているのはたぶん余韻的なもののせいだろう。


そのあと彼女とは、デリバリーでスイーツとかお取り寄せしたり、あとなんかダラダラして過ごした。いわゆるおうちデートというやつ……になるんだろうか。あまりおもてなしというおもてなしはできなかったけど、それがいいんだって彼女は笑っていた。


それならそれでいいと私も思う。楽しかったし。

だけどせっかくならまた今度、ちゃんとしっかりおもてなしをしてあげたいな。


そんな感じで終わった土曜日。

空けて日曜日。


冷静に考えると私今謹慎してるんだよね……好きな人とおうちデートとかちょっとナメすぎかもしれない。もうちょっとこう、自重しよう。


私はそんな決意をして心を改めたのだった。


……改めたんだけどなぁ。


「こ、こんにちは」

「こんにちは。どうぞ上がって?」

「お、お邪魔いたします」


とても友達の家に上がるだけとは思えないほどガチガチに緊張した様子の図書委員な彼女。

彼女から連絡があったのは朝一番のことだ。端的に短文なのに不安と葛藤からか連続で内容が行ったり来たりするという独特なメッセージのやり取りを介して、お昼から遊びに来るという約束を取り付けたのだった。


どうして来てくれようと思ったのかはよく分からなかったけど、なにやら話したいことがある……っぽい。

とはいえそんなすぐに本題に入るっていうのも緊張するだろうし、ひとまず私の部屋でおもてなし。


「お待たせー」

「あ、ありがとうございます。すみません、突然お邪魔してしまって」

「お邪魔だなんて。むしろ来てくれて嬉しいよ。二回目だっけ」

「あ、はい」


前の時は……まあ特別だったし、遊びに来てくれるのは今日が初めてだ。

こうして私の部屋に彼女がいるのを見ると、なんだか親密っぽく感じてちょっとうれしい。


そんな風ににこにこしながら紅茶とアップルパイをお出しして、小さなテーブルをはさんでよいこらしょと座る。


「このアップルパイ近くのパン屋さんが売っててね。おいっしいんだぁほんと」

「あ、来るときに通りがかったかもしれません。その、そこの曲がったところですか?」

「そそ。昔からそこのご家族にはお世話になってるんだけど、誕生日とかホールでおっきいの作ってもらったことあってね。こんなの」

「わぁ。素敵ですっ。わたしもアップルパイは大好きですよ。駅前のカフェあるじゃないですか。あそこお持ち帰りもできて、ついたまに買ってしまうんです」

「ほんと?! なら絶対気に入るよ。むしろこっちのほうが―――って、あれだね。まず食べよっか。さっき買ってきたからまだあったかいよ」

「あ、それはなんだかお気遣いさせてしまって……」

「ううん。むしろ食べる口実ができてラッキーかな」

「まあ。うふふ」


のんびり雑談おやつタイムで、しばし彼女の緊張をほぐす。

最初は見るからにぎこちない様子だったのも、おいしいスイーツの力でみるみる自然な笑顔に変わっていった。

さすがハンダベーカリー謹製の『贅沢リンゴのアップルパイ』250円(税込み)……!


とはいえ美味しいパイというのはいつもすぐになくなってしまうものだ。

しかも好きな人と一緒ならなおのことで、おしゃべりをしながらだっていうのにあっという間になくなってしまった。冷めても冷やしても美味しいのに冷める間もなかった。

……まあ、実は今夜姉さんと食べる用に冷蔵庫に入れてあるんだけど。


それはさておき。

紅茶で口を湿らせて、彼女は口を開いた。


「シマナミさん。その、実は今日は、お話ししたいことがあって来たんです」


彼女の真っ直ぐな目が私を見つめる。

なんとなく感じるものがあって、私は黒リルカを差し出した。

だけどこれは欲望のためじゃない。

親友がそうであったように、カケルがそうであったように―――彼女の言葉を、どこまでも深い場所で聞くための行為だ。


「え、えっと、」

「オノデラさんは気にしなくていいから。ちゃんとお金は返すし、ちょっとした儀式みたいなものだから」

「う、うぅ……はい……」


おずおずと差し出されるスマホがぴぴと鳴る。

座りなおして聞く体勢は万全という私に、そして彼女は言った。


「ま、」


ま。


「マッサージを、し、してもらえないでしょうか……」

「うん」


……うん?


あれ。

おかしいな。


そう思いながらも、私の体は彼女の望みをかなえるために立ち上がっている。

いや……うん?

いいの、か……?

てっきりなにかまじめな話があるのだとばかり思って覚悟をしていたんだけど……もしかしてこれ、思いっきり空ぶったな?


やれやれと自分への呆れを覚えつつ。

とはいえそれはそれだ。

彼女が私にマッサージを所望している―――だとすれば、私は彼女を最大限に気持ちよくしてあげなければならない。


「オノデラさん。とりあえず、ベッド。寝よっか」

「ひゃ、ひゃい」


さすがに緊張しいの彼女にしょっぱなから服を脱ぐようにとは言えない。

いつぞや買って以降定期的に補充している防水シーツはあるからオイルを使ってもいいけど、それは彼女をしっかりとほぐしてあげてからの方がいいだろう。


ベッドの上に仰向けになってもらって、私はベッドサイドからそれを見下ろす。


「あ、あの、」

「心配しないでも、いきなりそんなびっくりするようなことはしないよ」


安心させるように笑いかけながら彼女の手を取る。

指からにぎにぎとして、手のひらを圧して―――それを繰り返す。

このくらいでも案外心地いいものだ。なにせ生徒会長さんを堕とした実績もあるし。


とはいえ、この目的は主に彼女にリラックスしてもらうことだ。

実際彼女は安堵した様子で、うっすらと笑みを浮かべながら目を閉じて私の手を受け入れている。


彼女はとても繊細だから、こうして少しずつ私の手を受け入れてもらうところから始めるのだ。

そうすべきだと本能が告げている。

彼女に最高のマッサージをするという決意が自然とそれを選ぶ。


「オノデラさんって右利きだっけ? だったらこっちのほうがマッサージしたほうがいいかもね」

「そんなに変わるんでしょうか」

「うん。あ、ほらやっぱり。こってるこってる」

「ふふ。そうなんですか?」


会話の流れで自然に反対の手に移行して、くだらない言葉とともに彼女の手をほぐす。

すっかりリラックスして見えるけど……まだ少しだけ、足先に力が入っている感じがあるな。


「腕のほうもやっていい?」

「あ、はい。……別に断りを入れないでも大丈夫ですよ?」

「でもほら、やっぱり人によってあんまり触ってほしくないところとかあるでしょ?」

「それは……そうかもしれません」

「オノデラさんはどこかある? あ、胸とかは言われなくても気を付けるけど」

「えっと……あ、足のほうは、あまり」

「ん。了解」


きゅ、と恥ずかし気に交差する足先をちらっと見て、それから笑いかけてあげると彼女は嬉しそうに頬を染める。

してはいけない場所、しないことを明示することで彼女の警戒を解くという単純な手だ。

そうしている間にも私の手は腕のほうを上がって、軽く肩を揉んでいた。

何も言っていないけど、彼女はもはやそれを気にすることさえなく心地よさそうに受け入れている。


「普段本を読んでるからかな。肩っていうか、首の方がこってるかも」

「あ……そのあたり、なんだかほぐれている感じがします」

「でしょ?」


彼女の少し驚いたような言葉に胸を張る。

気持ちよさだけでなく、マッサージが効いているという感覚―――私がおかしなことではなく、ちゃんとマッサージをしているんだと彼女はこれで認識してくれることだろう。


「あとは、目が疲れてるならこの、側頭部の辺りとかも揉むといいらしいね」

「あ、たまにお勉強中とかしますよそれ。あんまりよく分からないんですけど」

「そうなんだ。メガネ外していい?」

「あ、はい」


断りを入れてメガネを外す。

ぱちぱちと瞬いた彼女の目がぐぐっと眇められる。

これじゃもっと目が疲れちゃうな。


「ちょっと待っててね」

「? はい」


いったんマッサージを中断して、あるものを持ってきて彼女に見せる。


「じゃん。ホットアイマスク。これつけよっか。いい?」

「わぁ。気になってたんですそれ。してみたいです」

「ふふ。そっか」


視界を閉ざされることに微塵の警戒もなく彼女は受け入れる。

早速開封して着けてあげると、「ほぁあ」と感動の声を上げた。


ほんの少しだけ口を耳元に寄せてささやく。


「じゃあ、ちょっと頭のところやってみるね」

「おねがいします」


彼女の許しが出たので、そっと頭の横に手を添える。

あまり強く押さないように、円を描くようにぐるぐると。

それから引き延ばすように外側に。

続けていると、彼女の吐息がほんの少しずつ浅く、長くなっていく。

視界を閉ざされ、リラックスした状態は、彼女にわずかな眠気を生んでいる。


「どう?」

「きもちいい……と、思います。自分でやるより人にやってもらうほうがいいんですね……」


どことなくぼんやりとした彼女の言葉。

私はささやくように笑い、しばらくしてまた肩のほうに降りていく。


「足のほうは嫌なんだもんね」

「はい……」

「ここまで歩いてきて疲れてない?」

「すこしだけ……普段は座っていることが多いので……」

「あはは、そうだね。どうして嫌なの?」

「その……匂い、とか、あるかもしれないじゃないですか」

「オノデラさんなら大丈夫だと思うけど」

「だって自分の匂いって分からないっていいますし……」

「そっか。まあオノデラさんが嫌ならやっぱりやめとこっか」


そんなことを言いながら、また彼女の手をほぐす。

手と足は構造的に似ている。

そもそも元々は前足だったんだろうし、それも当然かな。


「気持ちいい?」

「はい……ですが、首とか、頭のほうが気持ちいいかもしれません」

「多分ほぐれてるからだね。軽くなったようには感じない?」

「……言われてみればそんな気がします」


うーむ。

変な商法とかに騙されないように気を付けてほしい。

まあ実際、ほぐしたんだからほぐれているんだろうけど。


しばらく続けていると、彼女はおずおずと口を開く。


「……あの、足の方も、してみてくださいませんか」


そのおねだりに口角が上がるのが、見えていなくて本当に良かった。


「いいの?」

「はい。あ、でも変な匂いとかしたらやめてくださって大丈夫ですから」

「ふふ。分かった」


私はまず彼女のふくらはぎのあたりをほぐしにかかる。

ここが一番抵抗がないだろう。

触れた瞬間にはわずかに生じた緊張も、すぐになくなったし。


「あぁ……気持ちいいです」

「それはよかった。やっぱりちょっと疲れてるみたいだね」

「はい……」


ほぐほぐとじっくりほぐしつつ、少しずつ下に降りていく。

ほぼ足首の辺りにやってきたところで、私は極力自然と彼女に問いかけた。


「靴下脱がしてもいい?」

「あ、はい」


眠気と心地よさにぼやけた彼女は当たり前にそれを受け入れる。

だからあまり緊張させないように手早く足を解放した。

ついでに彼女の香りを確かめてみると……まあ、柔軟剤かな、普通にフローラルな感じ。

彼女の危惧は、やっぱり杞憂だったらしい。


「くすぐったかったら言ってね」

「はい……」


彼女の足に触れて、きゅ、と圧す。

こういうのは下手に触るんじゃなくて、しっかり力を込めたほうがくすぐったくない。

そんな経験則に従ってやってみると、彼女はわずかにのどで声を呑んで気持ちよさそうにする。ぐいぐいと圧すに応えて反応する彼女が愛らしくて、私は力加減を色々変えながらたっぷりと彼女の足を揉みこんだ。


と。


そんなところで30分。


「ぁ」

「はい。おしまいね」

「えっ」


私はあっさりとマッサージをやめて手を離した。

眠気も忘れるくらいの驚きに呆然とする彼女に笑みを向ける。


「続きはまた次の機会に、ね」

「そ、そうです、か……」


しょんぼりとうなだれる彼女に、嘘だよって言って続きをしてあげたい気持ちにかられるけど、我慢だ。

今日、満足するまでしてはいけない。

不満は期待になって、欲になって、欲は受け入れの幅を広げる。

しっかりと待てば、次はきっと開始数分で足を許すだろう。そして彼女はそれを待ち焦がれていたとそう思うだろう。そうなればもっと先へと進むこともたやすい。そしてその次はまた先へ―――満足させないことで、未完成は永遠に続いていく。


最高のマッサージは―――まだ、始まったばかりなのだ。

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