第155話 生徒会長と息抜きで
図書委員な彼女をマッサージの虜にした日曜日、その夕方。
とりあえず授業内容分くらいは問題なく抑えたところで、突然かかってきた電話はシトギ先輩からのものだった。
『もしもし、粢です。遅くに申し訳ありません』
「はいこんばんは。ちょうど今暇してたんですよ」
『それを聞いて安心しました。……今から、お会いできますか?』
この時間にあえての、シトギ先輩からのお誘い―――断る理由なんてない。
私は駅前で待ち合わせをして、シトギ先輩とお会いした。
「こんばんは」
「今晩は。わざわざお越しいただきありがとうございます」
「いえいえそんな。全然いつでも呼び出してください」
彼女に呼ばれたなら私はいつでも応えたい。
受験勉強の合間に、少しでも私を必要としてくれるのならそれは幸せなことだ。
……でも、今回はそういう話じゃなさそうだ。
「デート……とかではないですよね」
私が神妙に問いかけると彼女はわずかに目を細め、そっと私の腕を抱く。
「いえ。少し、息抜きに付き合っていただけますか?」
「……はい」
私はうなずき、彼女と一緒に歩き出した。
特に目的地は設定しないで、なんとなく、ただ歩く。
勉強の調子とか、最近食べたお菓子のこととか、ささやかな話題で言葉を交わす。
……不自然なくらいに、私の現状には触れないで。
―――ふと。
先輩が足を止める。
そして見上げる視線を追うと、そこには俗にレジャーホテルと呼ばれる類の宿泊施設がある。一見普通のビジネスホテルとかに見えるような、とてもシンプルな建物だ。
「例えばこんなところを見られてしまったのなら―――また、よからぬ噂が立ってしまうのでしょうね」
「シトギ先輩……」
「冗談ですよ」
ふ、と笑う彼女の言葉に、言葉が出ない。
彼女は確かに結構冗談を言ったりするけど……でも、そんなタチの悪い冗談を言うタイプだっただろうか。
噂。
また、と。
そう言うのは果たして、かつての私に立ったものなのか、それとも。
自宅謹慎という事態にまで発展した、今のものを指しているのか。
「……島波さんの立候補を、取り消しにするべきだろうとお話がありました」
「え?」
「下手に目立つとあまりいい影響はないだろうから、ということです」
「そう……ですか」
立候補―――生徒会選挙のことだろう。
その取り消し。
他ならない彼女が推薦したものが、私の行為によってなくなった。
彼女が私を束縛しようとした鎖が、私のせいで、砕けて消えた。
私は彼女をひどく裏切ったのだ。
いまさらになって、そんなことを理解する。
「ごめんなさい……」
「謝る必要はありません。あなたは私が強引に引き込んだだけなのですからね」
くすくすとおかしそうに笑うシトギ先輩。
まるで少しも気にしていないように見えて―――だけど、そんな訳がないのだと知っている。
「私、明日ちゃんと話してみます」
「その必要はありません」
「そんなことないです。私、先輩と同じ名前が欲しい」
真っ直ぐと彼女を見つめて私は言う。
あなたがくれようとしたものを私も欲しいのだと、そう伝えていないことに気がついたから。
彼女はわずかに目を見開いて、そして首を傾げた。
「でしたら、やはり必要はありませんよ?」
「え?」
なんだか上手く噛み合っていない気がする。
どういうことかと問いかけると、彼女はあっさりと言った。
「取り消しの件は拒絶しました。そもそも対立候補の方ももういらっしゃいませんし―――よほどのことがない限り、あなたは
私を安心させるようにニッコリと笑う。
その『よほどのこと』が今回起きたはずじゃないんだろうか。
困惑していると、彼女はそんな私を見透かして言葉を続ける。
「あなたが不幸な行き違いで謹慎処分になってしまったことは、同情こそすれ大した問題ではありません」
「な、何の話ですか……?」
不幸な行き違い、なんて。
そんなものはなかったはずだ。
全部私の薄弱な意思が招いた自業自得で、それ以外のものでは―――ない。
それなのに。
まるで彼女は、私の今日までの反省と今の状況を踏み潰すように、ただ、笑っている。
「実際に集まった目撃証言は、二件を合わせても十名ほどのもの。どれもが整合性に欠けるものでした」
「いやでも動画とか……」
「
「は」
「そんなものは、ありませんでしたよ。島波さん」
彼女は繰り返しそう言った。
そうすることで現実を書き換えられるとでも言わんばかりにはっきりと―――いや。
もうすでにそれが現実なのだと、そう当たり前に確信しているように。
「仮に存在していたとしても、悪意を持ってそんなものを拡散するメディアリテラシーの低い生徒などいませんよ。この
「シトギ先輩、が……?」
「ふふ。大切な後輩のためですから。生徒会長として当然の務めを果たしただけのことですよ」
彼女がひとりひとり、まさか全校生徒ではないだろう。
動画を持っている人を一人見つければ、拡散ルートから所持者はある程度同定できる。
だとしてもそれはかなりの人数だろうし、そもそも同定したところでなかったことになんて―――
いや。
いや、待て。
私は、誰に動画を見せられた……?
ハッとして顔を上げると、彼女は笑みを深める。
「拡散が三年生のコミュニティを中心としていたのは幸いでした。ええ、誰もみな、人間として当然の良心を持っておられますから」
先輩が私に動画を見せた。
多分先輩は本当に回ってきた動画を手に入れたんだろう。そうでないなら多分そう言うし、さすがにそんなことを先輩にされてたら気がつく。
そして先輩は情報網は広くとも交友関係は浅い。
回ってくるとしたらそれは学年共通とか、クラス共通のコミュニティである可能性が高い。
つまりシトギ先輩が言うように、動画は三年生を中心に回っている―――受験を控えて、色々なことに繊細な先輩方を、中心に。
ぞくり。
背筋が震える。
シトギ先輩は、だから。
だからその状況を利用して、なんらかの方法で……いや。
なんらかの、なんてボヤかせる必要さえない。
口ぶりがそれを隠していない。
彼女は、動画を持っている人を脅して証拠を隠滅させたんだ。
受験が控える中、問題は避けたいはずだ。彼女は『悪意』だの『メディアリテラシーが低い』だのと足ざまに語った。それと同じように、それとももっと辛辣に追及したんだ。
そうなると残るのは、彼女いわく『整合性に欠ける』目撃証言だけ。
それさえどこまで本気で言っているのか分からない。
彼女がどこまでなにをしたのかが、全く予想できない。
けれど。
けれどそれは、名実共にある問題児を生徒会選挙から弾こうとした先生陣の当たり前すぎる方針を、跳ね除けるほどに周到で。
そうなってくると、彼女の言ったあの言葉も意味合いが変わってくる。
『そもそも対立候補の方ももういらっしゃいませんし』
……もう、とは、いつだ。
いったいいつの時点までいて―――いつから、いなくなったんだ。
「島波さんは、ただ堂々としていればいいのですよ」
励ますように、安心させるように、そう笑いかけてくれるシトギ先輩。
その表情が、今まで見たことのないものだとはじめて気がついた。
薄らと目を開き、唇を閉ざしたまま左右に裂いた、恐ろしいまでに美しい笑み。
「―――ですが」
先輩は私の腕を引く。
そっとすり抜けた手が黒リルカを拾い上げた。
そしてその足は、ためらいもなく自動ドアを開く。
「息抜きには、付き合ってくださいね」
ぴぴ、と鳴る電子音。
耳元に触れる吐息。
「お得意でしょう、あなたは」
そうして彼女は私を夜の城へと誘った。
私はただ誘われるままに、惹かれていく。
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