第144話 生徒会長と『なんでもする』で
しにたい……
担任教師と車内猫プレイってなんだそれ……もし効果時間がもっと長かったら勢い余ってチョーカーとか買ってたぞあれ……にへ……いや待てにやにやするな狂ってる……!
―――なんて。
多分世界一くだらない葛藤と戦っていたある日のこと。
ある日っていうか、まあ事件のあった翌日なんだけど。
でも多分三日くらいは引きずることになるだろう……チョコ、甘かったなぁ……
さておき。
その日、私は生徒会長さんに呼び出されていた。
生徒指導ならともかく生徒会に呼び出されるようなことは特にないのになぁと思いつつ生徒会室に向かうと、そこにはシトギ先輩だけがいる。
「失礼します」
「いらっしゃい島波さん。そちらにお座りになって?」
そう言って手を向けられるのは、彼女の隣にあるパイプ椅子。
私が来るなりいそいそと紅茶の準備を始めた彼女はテーブルの上にティーセットとお茶うけのハトサブレを置いてくれた。
「もう少しだけお待ちいただけますか? 他ごとをすべて済ませたうえでお話ししたいので」
「あ、はい」
そんな腰を据えてなにか話すことがあっただろうかと、なにかとても不安な気分になってくる。
だけど集中した様子で書類と向き合う横顔に声をかけようとは思わなかった。
大人しく鳩を頭から丸かじりしつつ待っていると、彼女はかた、とペンを置いて軽く伸びをする。
それから椅子をがたっとこっちに向けて座りなおし、まっすぐに私を見た。
「島波さん。生徒会選挙が行われるのがいつになるのか、ご存じですか?」
「え、っと……例年ならもうそろそろです、よね? あ、そういえば立候補締め切りがそろそろだって」
「ええ。もうそろそろ
「そう、ですか」
そういえば彼女は、もともと書記の座にあったんだっけ。
それが生徒会選挙を経て、信任投票によって生徒会長になった。
ちょうど一年位前、私がまだ一年生だったころの出来事だ。
それを思えば、彼女は一年生から三年生までずっと生徒会に所属していたということで。
私はそんな風に続けているものもないから、彼女の寂しさを少しうらやましくも思った。
だけど、それがいったいどうしたっていうんだろう。
わざわざこうして呼び出したことに、いったいどんな理由があるのだろう―――
「……まあ、それは本題には関係ないのですが」
「あ、ないんですか」
「ええ。雑談で少しリラックスしていただこうかと」
「あはは。それはどうも、ありがとうございます」
私がちょっと緊張していたことを、彼女は見抜いていたらしい。
なんだか照れ臭くなって頭をかく私に、彼女は笑う。
「いえ。その方が口の滑りもよくなるはずですから」
「え」
今なんて、と問い返す隙間はなかった。
すん。
と、彼女の表情が消えうせる。
一瞬のっぺらぼうに見えるほどの変わりように、私の心臓はたぶん数秒間停止していた。
「昨日―――」
キノウ
きのう
機能?
いや―――昨日。
変換がうまくいった瞬間に、私の脳裏によぎるのは当然放課後のこと。
さぁと血の気が引く音さえ聞こえるほどの静寂を噛み潰して、そして彼女は告げる。
「―――相生先生のお車に連れられていましたね」
それは問いかけでさえない事実確認。
言い訳も開き直りも―――私に許されたすべての行動は、それを事実と認めるのを前提としている。
「は、い。でもえと、理由が、」
「生徒が教師の車に同乗する……それも学校祭などのイベントごともない時期に。一応養護教諭の麻宮先生に確認いたしましたが、島波さんの体調不良も報告されていませんでした」
「あの、それは傘を忘れて……」
「職員室前に置き傘が設置されているのをご存じですね? 忘れられて持ち主の現れなかった傘や、教師が一時的に購入したものの不要となったビニール傘などが置かれたものです。
「ゔぅ」
あらゆる言い訳が封殺されていく。
というかその傘には、職員玄関前に行くときに気が付いた。
そういえばこんなのあったなって思って、だけど先生が待ってろって言ったから……
「このことから
車で猫プレイをするプライベートじゃない理由……あるか?
いやないな。あるわけないな。
えっ。
もしかして先生これ処分受けるコース……?
先生の教え子に対する淫行(語弊……?)がつまびらかにされて世間の暴力にさらされるパターン……?
「あの、た、正しいですけど、でもそんなおかしなことはなにもしていなくて、」
「ではなにを」
「ひょえっ」
なにを。
なにって……猫プレイ……?
おかしいな、言い訳の余地もないぞ……?
それともおかしいのは私なのか……?
自明だった。
私はすっかりパニックになっていた。
冷静に考えれば、なんとなくいろいろと理解しているだろう彼女がわざわざ私だけをこうして呼び出すんだからくぎを刺すくらいが目的なんだろうとわかったはずなんだ。
だけどもしこれで先生の将来とか奥さんとかに影響が出たらと考えただけでもうまともな思考はできなくて、だから私はおそらくこの瞬間最も悪手であろう行為に手を伸ばした。
「な、なんでもしますから秘密にしてくだ、さい、」
取り出した黒リルカが私とシトギ先輩の間を分断する。
そんな光景が私には見えた。
冷ややかに咎める視線に引っ込めようとした手は掴み止められて、万力みたいな強烈な握力で握りしめられる。
「この
「ぁ、ちが、ちがくて、」
強引に奪われた黒リルカが、ぴぴ、と彼女のスマホに触れる。
四肢と首に鎖が繋がれるような異様な閉塞感があって、いつもなら幸せに溶けだしそうな感覚があるのに、今は、ただただひたすらに絶望的で冷ややかな感触だけがある。
「ええいいでしょう。なんでもするとおっしゃいましたね―――その言葉、二言は許しません」
「あ、ぅ、」
彼女は私を突き放し、そして書類を一枚引っ張り出すとテーブルにたたきつけた。
そしてさっきまで使っていたペンを差し出してくる。
「これをお持ちなさい」
「はひゃい」
「こことここに丸と、こちらに署名を」
「はひぃ」
「最後にこちらに捺印を。印鑑はこれをお使いなさい」
「はいっ……んぇ?」
言われるがままに書類に記載をし終えて、それからようやく私はそれがなんの書類なのかに気が付いた。
「生徒会……立候補……?」
「ご苦労様です島波さん」
「あっ」
詳しく確認するよりも早く書類を取り上げた先輩は、それを素早く、だけど丁寧に折りたたんで懐にしまった。
「あ、の、?」
「なんでしょうか、島波さん」
「いやえと、今の書類って……」
「生徒会への立候補書類ですが?」
「そっ、えっ、な、なんでですか!?」
「なぜ、ですか。これは異なことを」
くつくつと笑うシトギ先輩。
さっきまでの冷ややかさはそのままに、それなのに、どうしてこんなにも視線が熱いんだ。
「あなたが悪いのではありませんか、島波さん」
笑う、笑う、笑う。
なにかとても異様なことが起きていると理解できた。
だけど何が引き金で、そして何が目的なのかが全く分からない。
先輩の細い指が頬に触れる。
まるで熱く熱された鉄の芯をあてられたような感触があった。
そのままずぶりと頬を突き抜けていくような錯覚があった。
息をのむ私を笑いながら、彼女はとろりと言葉をつぶやく。
「あなたが
「とく、べ、つ……?」
「生徒会選挙に、推薦枠というものがあるのをご存じですか?」
「え、と、はい……えっ」
まさかと思ってまじまじと見つめると、彼女はにこりとうなずいて見せる。
「
「な、んでそんな……?」
「ふふ。なぜでしょう。考えてごらんなさい」
「考えて、って」
そんなことを言われても、だ。
だって普通に考えておかしい。
みんな大好き生徒会長さんが、悪い噂だらけ(だった)私を生徒会長に推薦する―――
いや意味が分からない。
彼女がそこに見出している意味って何なんだ……?
「分かりませんか? ふふ。自分のことには鈍感なのですね」
「自分のこと……?」
何を言っているのかと問い返すと、彼女はとびきりの秘密を明かすように耳元でささやく。
「
「どう思った……」
教師と生徒が仲良く肩を寄せ合って車に……まあただならぬなにかがあるんだろうな、と、……?
「あっ」
「うふふ。突然
「え、と」
どう思うか。
どう、思うんだ―――いや。
もう、そこに疑問はない。
彼女が考えていることが、理解できてしまった。
「分かっていますよ。あなたは確かにおかしなことはしていないのでしょう……このカードは見たことがありませんから、最近手に入れたのでは? そしてあなたのことですから、いろいろと試してみたくなってしまったのでしょう。相生先生のこともその一環ですね」
合っているけど間違っている……けど具体的な返答はいろいろとまずそうなのでただ沈黙する。
それを肯定と捉えてくれたようで、彼女は言葉を続ける。
「だけれど、それを見たとき思ったのです。ああ、その手があるのだ、と」
「その手、というのは……?」
「贔屓をすることですよ、もちろん」
「ひいき……?」
確かに教師が特定の生徒を車で送迎するみたいなのはひいきになるのかもしれない。
そして今回の推薦だって、他から見れば圧倒的なひいきに見えるはずだ。だって私、生徒会に全く関係なかったんだし。
「
「そ、そんなことのために……?」
「ふふふ。とても大切なことなのですよ。とてもね。……
『致す』って……言い方っていうものがあるでしょうに、とかは、まあ、あんまり口にしないほうがいいんだろう。
「それにこういったことは、立場ある者にしかできません。木野さんにさえ真似できない、
彼女は笑う。
身の毛もよだつほどに美しく。
その指先が私の首筋に触れる。
肩に下り、つぅと落ちて、お腹を圧して。
だけど最後にたどり着くのは、彼女の懐に入った書類だった。
「これで
「う、うぅ」
強烈な独占欲。
もはやあきれ返るほどに独特な所有欲。
自らを嫉妬しいと称する彼女のそれは、肩書という形で私に刻み込まれようとしている。
「ご安心ください。何をしてでもあなたを生徒会長にして差し上げます。もちろん、分からないことはなんだって聞いてくださってもいいのですよ―――プライベートなときでしたら、ね」
そう言ってウィンクする彼女の言葉には、妙な説得力と圧力があって。
なんでもするだなんて口走ってしまった私には、ただただそれを受け入れてしまうほかなくて。
「これで
……もしかして生徒会長という立場を失った彼女は、これからが本気なのではないかと。
そんな予感がひやりと首筋を伝って。
痙攣するように吊り上がった頬を見逃さない視線とすれ違って、またひとつ、ささやきが鼓膜を震わせた。
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