第138話 先輩と独り占めで

保健室登校な彼女と仲良しであることを再確認した私は、ギリギリでチャイムが鳴る前に教室に戻ろうと廊下を走っていた。

授業してる先生がクラス担任とか保健室とかに連絡したら困る。

もしもここに生徒会長さんがいたらめちゃくちゃ怒られそうだけど……授業中だからこそ大丈夫なのだった。


悪行によって悪行を隠すという悪行……ふっ、我ながらワルだね。


なんてくだらないことを思っていたせいで、曲がり角で視界に飛び込んできた人影を回避できない。


「わぷっ」


慌てて立ち止まろうとしたせいで足がもつれてそのまま倒れこんだら、その人影に受け止められる。


―――授業中なのに……?


ハッとして見上げると、先輩の真っ黒な瞳が私を見下ろしていた。


「やあユミカ」

「ひぇっ。ど、どうも先輩」

「あはは。どうしたんだい、そんなに怯えて」


ぎこちなく笑う私の頬に触れる先輩の指先。

熱を吸われた皮膚が先輩に張り付いて、手を離せばそのまま剥がれてしまいそうな、そんなおぞましい妄想が身をすくませる。


「さて、行こうか」

「えっ、と……ど、どこにでしょうか」

「どこがいい? キミに選ばせてあげるよ」


死に場所を……?


「どこでもいいのなら、ちょうどそのあたりの人目につかないところにしようか」


答えられないでいると先輩は私を引きずっていく。

そしてちょうどそのあたりの人目につかないところ―――鍵がかかっていたはずの倉庫みたいな部屋に当たり前のように私を連れ込んで、後ろ手にカギを閉める。


ぐ、偶然空いてただけ、ですよね……?


だって三階の倉庫のカギなんて二階に教室がある先輩が開けている必要なんてあるはずないですもんね……?


「最近……というよりは昨日から今日にかけて、かな」


私の困惑をよそに、先輩はゆぅらり、と揺らぐように私の目の前に立っていた。

そっと持ち上がった両の手が私の首を―――歯形ごと掴んで、そのままきゅっと軽く締められる。


「―――ずいぶんと楽しんでちょうしにのっているようじゃないか」


なんで昨日にちようびのことまで把握しているのか、と。

今更問いかけてみたところで意味はないのだろう。


「ぜひ、ボクとも遊んでくれないか。ねえ、ユミカ」


先輩の言葉を。

私は当然、否定などできず。

懐から取り出した黒リルカを差し出して、そうしたら先輩は、まるで口裂けの妖怪みたいに、笑う。


「へぇ。いい趣向じゃないか。スマホはポケットに入っているよ」


先輩に言われるがまま、黒リルカを彼女のポケットに当てる。

……先輩の命令があったとはいえ、私の手で、私は先輩に私を売った。


ぴぴ。


と。

無機質な破壊音。

人権の残骸が手の中から落ちて、カタ、と小さな音を立てた。

先輩はちろりと赤い舌で唇をなめて、それから首を掴んでいた手をするすると持ち上げていく。


細やかな手が頬を包んだ。

とても優しい手つきだった。


「これが、キミがボクだけのものになるという感覚なんだね」


私になにをしてもいいという先輩は、だけどむしろ普段よりもずっと優し気に笑う。

私は、とても不思議な感覚だった。

先輩に身をゆだねる感覚が……とても、慣れ親しんだものに思える。


「なんだ。存外、そういつもと変わりはしないじゃないか」


先輩も同じ気持ちなのかもしれない。

嬉しそうにそう言って、先輩はそっと鼻先にキスをくれる。

くすぐったくて心地よい感動がゆっくりと広がって、体がぽかぽかしてくる。


「ねえユミカ。なにをしてもいいんだろう?」

「はい……」


考えてみれば、先輩には一番効果のないものなのかもしれない。

そんなことを思いながら先輩に身を寄せると、先輩は私をぎゅってしてくれる。


「ああ……なんだろうね。はは。ボクはもっと、キミにひどいことをしてやろうと思っていたんだけれど」

「いい、ですよ」

「うん。けれど、もう少しだけこうしていよう」


先輩はそう言って、柔らかく頭をなでてくれる。


―――もしかしたら。


自称するほどに嫉妬屋である先輩は、こうして私を差し出したことで、満たされているのかもしれない。

たった30分の独占とはいえ。

それは先輩にとっては、とても特別なことなのかもしれない。


それは少しだけ……申し訳なくて、悲しい気持ちにもなる。


「キミは相変わらず気にしいだね」

「気にもしますよ」


ああ、だめだなぁ、と思うのに。

こんな自己中心的なことをしちゃいけないなと、思うのに。

私の眼は熱く痛んで、涙がるると落ちていく。

隠そうと俯いた顔はくぃと持ち上げられて、口づけが目元をぬぐう。


「いいよ。見せてごらん」


そうやって先輩が言うから、私はそっと口づける。

ゆると離れた先輩は私を見つめて、そうしてうなずく。


「堂々とするといい、ユミカ。―――でないと、ボクがさらってしまうよ」


それは励ましの言葉だった。

だけど、それもいいかもしれないとそう思ってしまう。

黒リルカの影響があるからではもちろんなくて。


例えば本当に、先輩が私を強引にさらったのなら―――ほかの誰もと引きはがして、独り占めをしようというのなら。

きっと私は、なにもなくたってそれを受け入れるだろう。


……先輩は、そんなことはしないだろうけど。




結局私たちは、30分。

ただそうして、ずっと抱き合って、触れ合って、ゆっくりと過ごした。

だけど、途中で鳴ったはずのチャイムの音も聞こえないほどに、それはとても濃密で、幸せな時間だったんだ。


―――ふと、終わったことに気が付く。


そんな喪失感は、リルカの時よりもずっと強い。

ずぅんとお腹の奥に沈む感情を、ごまかすように先輩に身体を擦り付ける。

そうして離れようとしたのに、先輩は私を離さなかった。


「―――けれど考えてみれば、こういうことを他の女ともしているということなんだよねぇ」

「え゙」


今、めちゃくちゃいい雰囲気で終わろうとしたはずなんですけど……?

上げようとした顔はぐぎと抑えられて、先輩の顔が見れない。

それを安堵するべきか恐れるべきか―――どちらも同じようなことだろう。


とっさに足元に落っことしたままの黒リルカに視線を向けた瞬間、先輩の足がそれを踏んで隠す。


「なんでもしていいんだよね? ユミカ」

「いやそれはもう……」

「い い ん だ よ ね」

「……………………はい」


やっぱ黒リルカってダメだわ―――

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